葉室宗行
藤原行隆五男、藤原宗頼の養子
葉室 宗行(はむろ むねゆき)は、鎌倉時代の公卿。左大弁・藤原行隆の五男。権大納言・藤原宗頼の養子。官位は正三位・権中納言、贈従二位。
時代 | 鎌倉時代 |
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生誕 | 承安4年(1174年) |
死没 | 承久3年7月14日(1221年8月3日) |
官位 | 正三位、権中納言、贈従二位 |
主君 | 後鳥羽天皇→土御門天皇→順徳天皇→仲恭天皇 |
氏族 | 藤原北家勧修寺流葉室家 |
父母 |
父:藤原行隆、母:美福門院越前(藤原行兼の娘) 養父:藤原宗頼 |
兄弟 | 行房、行時、行長、行方、宗行 |
子 | 範宗、宗基、教尊、業資王室、花山院忠経室、資宗王室 |
経歴
編集建保2年12月(1215年1月)参議に任ぜられ、建保6年(1218年)正三位・権中納言に叙任。承久3年(1221年)に起きた承久の乱では、後鳥羽上皇とともに北条義時の追討を図るも失敗におわり、鎌倉方の小山朝長に預けられた。鎌倉に護送される最中の駿河国藍沢原で斬られる。
辞世の詩は 昔南陽県菊水 汲下流而延齢 今東海道菊河 宿西岸而失命(昔は南陽県の菊水 下流を汲んで齢を延ぶ 今は東海道菊河の 西岸に宿して命を失う)[1]
静岡県御殿場市の藍澤五卿神社は、承久の乱で処刑された葉室宗行・藤原範茂・一条信能・源有雅・藤原光親を祀っている。 死後700年以上経った1928年(昭和3年)11月10日に従二位が贈られている[2]。
系譜
編集脚注
編集- ^ “中納言宗行卿(むねゆききょう)・日野俊基(ひのとしもと)歌碑”. 一般社団法人島田市観光協会. 2022年6月6日閲覧。
- ^ 『官報』號外「授爵,叙任及辞令」1928年11月10日. (1928/11)
参考文献
編集- 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年