田辺通
田辺通(たなべとおり)は、愛知県名古屋市瑞穂区の地名。現行行政地名は田辺通1丁目から田辺通6丁目[WEB 1]。住居表示未実施地域[WEB 5]。
田辺通 | |
---|---|
名古屋市立大学 田辺通キャンパス | |
北緯35度7分43.51秒 東経136度56分44.51秒 / 北緯35.1287528度 東経136.9456972度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 名古屋市 |
区 | 瑞穂区 |
町名制定[1] | 1931年(昭和6年)1月1日 |
面積 | |
• 合計 | 0.31914729 km2 |
人口 | |
• 合計 | 2,589人 |
• 密度 | 8,100人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
467-0027[WEB 3] |
市外局番 | 052 (名古屋MA)[WEB 4] |
ナンバープレート | 名古屋 |
地理
編集名古屋市瑞穂区東部に位置する[2]。東は陽明町・密柑山町・下山町・八勝通・日向町、西は初日町・師長町・山下通・市丘町、南は弥富通、北は檀渓通に接する[2]。
歴史
編集町名の由来
編集弥富町の小字名「田辺」に由来する[3]。「田辺」は古代農耕に携わった部民「田部」に由来するという[4]。
沿革
編集- 1931年(昭和6年)1月1日 - 南区瑞穂町字大流および弥富町字向田・石川・大廻間・中奥・狐塚の各一部により、同区田辺通1〜5丁目として成立[1]。
- 1931年(昭和6年)10月1日 - 南区弥富町字田辺の一部が1丁目に編入される[1]。
- 1932年(昭和7年)8月1日 - 南区弥富町字密柑山・牛山の各一部が3〜5丁目に編入される[1]。
- 1933年(昭和8年)7月1日 - 南区弥富町字田辺の一部が1〜2丁目にそれぞれ編入される[1]。また、一部が初日町1〜2丁目に編入される[5]。
- 1937年(昭和12年)10月1日 - 行政区の変更に伴い、昭和区田辺通となる[6]。
- 1943年(昭和18年)8月16日 - 師長町・弥富町の各一部が編入される[6]。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 行政区の変更に伴い、瑞穂区田辺通となる[6]。
- 1947年(昭和22年)12月15日 - 大殿町4丁目・田辺通4丁目および弥富町字石川・狐塚の各一部が3〜4丁目にそれぞれ編入される[1]。
- 1952年(昭和27年)9月1日 - 弥富町字牛山・東市ノ正・丸根・廻間の各一部が6丁目に編入される[1]。
世帯数と人口
編集2019年(平成31年)3月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
田辺通 | 1,260世帯 | 2,589人 |
人口の変遷
編集国勢調査による人口の推移
1950年(昭和25年) | 559人 | [7] | |
1955年(昭和30年) | 795人 | [7] | |
1960年(昭和35年) | 1,335人 | [8] | |
1965年(昭和40年) | 1,671人 | [8] | |
1970年(昭和45年) | 1,757人 | [9] | |
1975年(昭和50年) | 2,329人 | [9] | |
1980年(昭和55年) | 2,611人 | [10] | |
1985年(昭和60年) | 2,654人 | [10] | |
1990年(平成2年) | 2,644人 | [11] | |
1995年(平成7年) | 2,419人 | [12] | |
2000年(平成12年) | 2,570人 | [WEB 6] | |
2005年(平成17年) | 2,658人 | [WEB 7] | |
2010年(平成22年) | 2,591人 | [WEB 8] |
学区
編集市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 9]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 10]。なお、小学校は学校選択制度を導入しておらず、番毎で各学校に指定されている。
丁目 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
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田辺通1丁目 | 名古屋市立汐路小学校 名古屋市立陽明小学校 |
名古屋市立汐路中学校 | 尾張学区 |
田辺通2丁目 | |||
田辺通3丁目 | 名古屋市立陽明小学校 | ||
田辺通4丁目 | |||
田辺通5丁目 | 名古屋市立弥富小学校 | 名古屋市立萩山中学校 | |
田辺通6丁目 |
交通
編集施設
編集史蹟
編集その他
編集日本郵便
編集脚注
編集WEB
編集- ^ a b “愛知県名古屋市瑞穂区の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2019年3月21日閲覧。
- ^ a b “町・丁目(大字)別、年齢(10歳階級)別公簿人口(全市・区別)”. 名古屋市 (2019年3月20日). 2019年3月21日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年3月17日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年1月6日閲覧。
- ^ 名古屋市役所市民経済局地域振興部住民課町名表示係 (2015年2月10日). “瑞穂区の町名一覧”. 名古屋市. 2015年10月8日閲覧。
- ^ 名古屋市役所総務局企画部統計課統計係 (2005年7月1日). “(刊行物)名古屋の町(大字)・丁目別人口 (平成12年国勢調査) (8)瑞穂区(第1表から第3表)” (XLS). 2015年10月15日閲覧。
- ^ 名古屋市役所総務局企画部統計課統計係 (2007年6月27日). “(刊行物)名古屋の町(大字)・丁目別人口 (平成17年国勢調査) (8)瑞穂区(第1表から第3表)” (XLS). 2015年10月15日閲覧。
- ^ 名古屋市役所総務局企画部統計課統計係 (2012年4月22日). “(刊行物)名古屋の町(大字)・丁目別人口 (平成22年国勢調査) (8)瑞穂区(第1表から第3表)” (XLS). 2015年10月15日閲覧。
- ^ “市立小・中学校の通学区域一覧”. 名古屋市 (2018年11月10日). 2019年1月14日閲覧。
- ^ “平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について”. 愛知県教育委員会 (2015年2月16日). 2019年1月14日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 平成29年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年3月21日閲覧。
新聞
編集- ^ “交差点の無事故祈る 瑞穂 道分地蔵で地元住民ら” (日本語). 中日新聞朝刊市民版: p. 14. (2018年5月21日)
文献
編集- ^ a b c d e f g 瑞穂区制施行50周年記念事業実行委員会 1994, p. 610.
- ^ a b c d e f g h i j k l m 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1520.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 392.
- ^ 山田寂雀 1985, p. 236.
- ^ 瑞穂区制施行50周年記念事業実行委員会 1994, p. 613.
- ^ a b c 名古屋市計画局 1992, p. 803.
- ^ a b 名古屋市総務局企画室統計課 1957, p. 84・85.
- ^ a b 名古屋市総務局企画部統計課 1967, p. 78・79.
- ^ a b 名古屋市総務局統計課 1977, p. 53.
- ^ a b 名古屋市総務局統計課 1986, p. 75・76.
- ^ 名古屋市総務局企画部統計課 1991, p. 44.
- ^ 名古屋市総務局企画部統計課 1996, p. 113.
参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。
- 瑞穂区制施行50周年記念事業実行委員会 編『瑞穂区誌―区制施行50周年記念―』名古屋市瑞穂区役所、1994年2月11日。
- 山田寂雀 編『瑞穂区の歴史』愛知県郷土資料刊行会、08-01。ISBN 4871610357。
統計資料
編集- 名古屋市総務局企画室統計課 編『昭和31年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1957年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『昭和41年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1967年。
- 名古屋市総務局統計課 編『昭和51年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1977年。
- 名古屋市総務局統計課 編『昭和60年国勢調査 名古屋の町・丁目別人口(昭和60年10月1日現在)』名古屋市役所、1986年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『平成2年国勢調査 名古屋の町(大字)別・年齢別人口(平成2年10月1日現在)』名古屋市役所、1994年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『平成7年国勢調査 名古屋の町(大字)・丁目別人口(平成7年10月1日現在)』名古屋市役所、1996年。
関連項目
編集外部リンク
編集- ウィキメディア・コモンズには、田辺通に関するカテゴリがあります。