習志野市

千葉県の市
津田沼町から転送)

習志野市(ならしのし)は、千葉県の北西部に位置する

ならしのし ウィキデータを編集
習志野市
習志野市旗 習志野市章
習志野市旗
1975年11月13日制定
習志野市章
1955年8月1日制定
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県
市町村コード 12216-5
法人番号 6000020122165 ウィキデータを編集
面積 20.97km2
総人口 176,123[編集]
推計人口、2024年12月1日)
人口密度 8,399人/km2
隣接自治体 千葉市船橋市八千代市
市の木 アカシア
市の花 アジサイ
習志野市役所
市長 宮本泰介
所在地 275-8601
千葉県習志野市鷺沼二丁目1番1号
北緯35度40分53秒 東経140度01分36秒 / 北緯35.68128度 東経140.02664度 / 35.68128; 140.02664座標: 北緯35度40分53秒 東経140度01分36秒 / 北緯35.68128度 東経140.02664度 / 35.68128; 140.02664
外部リンク 公式ウェブサイト

習志野市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

地図
ウィキプロジェクト

人口は約17.6万人で、千葉県内では八千代市に次いで第9位の人口規模である。旧千葉郡。1954年(昭和29年)市制施行。

概要

編集
 
津田沼の繁華街(津田沼駅北口側)

明治時代には軍都として栄え、津田沼駅周辺は津田沼戦争と称されるほど商業施設学習塾の競争激化が相次ぐ関東有数の繁華街文教都市となっている(ただし津田沼は船橋市にも属している地域も多い)[1][2]人口密度は非常に高く、浦安市、市川市につぎ第3位である。これは千葉市で一番人口密度が高い稲毛区船橋市を上回る[3]

東京都都心から約20-30キロメートル圏内に位置し、都市雇用圏における東京都市圏東京都区部・千葉市)のベッドタウンとしての性質が強く、高層マンション住宅街が林立している。通勤率は、東京都特別区部へ32.7%・船橋市へ11.7%・千葉市へ10.5%(いずれも平成22年国勢調査)。

地理

編集

千葉県北西部に位置し、東は県庁所在地である千葉市、西は中核都市船橋市、北は八千代市に接し、南は東京湾奥部の千葉港第5区に面している。幕張新都心拡大地区に一部含まれる。

関東平野に含まれ、下総台地の端に位置する。内陸部から海岸部にかけて高低差が大きい。東京湾沿いには広大な遠浅の海岸を埋め立てた住宅地や商工業地が広がるなか、1か所だけ埋め立てられずに残ったラムサール条約登録地谷津干潟があり、干潟を必要とする渡り鳥の重要な中継飛来地となっている。

隣接している自治体・行政区

編集
旧津田沼町時代

歴史

編集

原始・古代・中世

編集
 
鷺沼古墳群A号墳

千葉市加曽利貝塚などにも見られるように千葉県の東京湾岸には多くの縄文時代遺跡が存在する。習志野市周辺にも藤崎堀込貝塚などの当時の遺跡が多数確認されている。市内には鷺沼古墳群があり、鷺沼地区には有力な豪族がいたことが分かる。律令制下で下総国に属し、古東海道の浮嶋駅を習志野市内に比定する説もあるが詳しくは不明である。治承4年(1180年)、吾妻鏡には、石橋山の戦いに敗れ安房国に上陸した源頼朝が、軍勢を連れて北上して鎌倉に向かったときに陣を置いた館(やかた)の場所として、「鷺沼御旅館」の名前が見られる。現在、市役所がある鷺沼地区の八剱台や、八剣神社周辺、また、暗渠となっている菊田川の左岸が下総台地に迫る位置の大堀込が、中世の武士の城館である鷺沼城跡の候補地となっている。

近世

編集

中世までは葛飾郡とされることもあったが、江戸時代初期に現市域内に分布した谷津久々田鷺沼藤崎実籾などの村々は千葉郡に属し、ほとんどが幕府領または旗本領となっていた。また、大久保新田が関西(おもに大阪府羽曳野市)からの移住者である市⻆頼母ら一族によって開発された。当時の資料には海岸部に谷津村や久々田村・鷺沼村などの地名が見られ、内陸の実籾村の北部には幕府によって小金牧が置かれた。藤崎村・大久保新田・実籾村には東金御成街道が通り、藤崎の名はその地を通った徳川家康が「藤咲」と名付けたと伝えられる。後に同地にある子安神社の祭神コノハナサク(咲)ヤヒメの名を憚って「咲」を「崎」に変えたという。また、屋敷台新田が馬加村(後に幕張)の一部となっていた。この海岸部の村々と内陸の台地の村々の二つの地域が、その後の習志野市の地理的な二大要素、すなわち後述の「津田沼」と「習志野原」を構成するようになるのである。

東京湾沿岸には海岸近くにまで下総台地が迫り、そこに三本の谷(谷津田)が刻まれている。ここに開けた水田の回りに開けた集落が最も西に位置する谷津、中央の久々田とその上流に位置する藤崎、東の鷺沼であった。

明治 - 昭和

編集
 
鉄道連隊材料廠舎・鉄道第2連隊営舎

1888年(明治21年)、町村制施行により、谷津、久々田、鷺沼、藤崎、大久保新田(後の大久保)の5村が合併し、人口約4,500人の千葉郡津田沼村が誕生した。「津田沼」の名は、谷津の津、久々田の田、鷺沼の沼を合わせたものである。一方、実籾村は馬加村などと合併して幕張村となった。1895年(明治28年)、前年開通した総武鉄道津田沼駅が開業。1903年(明治36年)には津田沼村が町制を敷き、人口約6,000人の津田沼町となった。

1873年(明治6年)、小金牧の大和田原(現・千葉県船橋市習志野台から高根台周辺)で明治天皇御覧の下で陸軍による演習が行われた。後に明治天皇によって、その地は「習志野原」と命名され、陸軍の演習場となった。なお演習場の敷地はその後拡張され、現在の当市・八千代市の一部の広大なものとなった。※一説には篠原国幹少将による指揮に感銘し、そのときの天皇の発言(「篠原を見習え」>習え篠原>習志野原)がもととなったという。後に陸軍によって買収され習志野演習場となった。

陸軍習志野練兵場には日露戦争の時に捕虜の収容施設が作られ、ロシアの捕虜が、また、第一次世界大戦の時には、ドイツオーストリア=ハンガリーの捕虜が収容された。大久保には、第十三・十四・十五・十六の4つの騎兵連隊陸軍衛戍病院(現在の千葉県済生会習志野病院)がおかれ、第1第2の2つの騎兵旅団が編成された。昭和に入り騎兵連隊が中国大陸へと侵出すると、後には陸軍習志野学校や戦車第2連隊が置かれるようになった。また、近隣の藤崎に騎砲兵第2連隊が、実籾には東西の高津廠舎と糧秣廠倉庫が置かれた。津田沼には鉄道第二連隊が置かれ、松戸から津田沼までに演習で路線が引かれ、それが現在の新京成電鉄となった。

こうして津田沼町の一帯も含む広い地域が「軍郷」とよばれ、軍隊の街「習志野」が成立した。戦前には本町と二宮町幕張町犢橋村大和田町睦村豊富村の千葉郡西部7町村を合併させる大習志野市建設構想も持ち上がったが、実現しなかった。近年では日本全国の日本陸軍軍用跡地で旧帝国陸軍地毒ガス埋設問題が浮上し、関連施設の安全性調査を実施している[4](別項陸軍習志野学校習志野演習場を参照)。

太平洋戦争後

編集
 
旧陸軍 鉄道第二連隊表門(登録有形文化財 第12-0007号)

津田沼町周辺は軍郷・習志野の一部として1901年(明治34年)に設置された騎兵第1旅団(現日本大学東邦大学)、騎兵第2旅団(現東邦大学付属東邦中学校・高等学校など)をはじめ、津田沼駅前に鉄道第二連隊(現千葉工業大学)などの軍関係施設が点在していた。

戦後、軍施設は民用施設に転換され、住宅地となったり、教育施設、病院、工場として利用された。千葉工業大学津田沼キャンパスには、鉄道第二連隊の表門が残されている。北東部の「習志野原」と呼ばれる旧陸軍演習場の敷地の大部分は、外地からの引揚者などの手による開墾地となった(「平林巌と習志野原の開拓」を参考)。 1946年(昭和21年)6月17日には、昭和天皇が開拓地に行幸している(昭和天皇の戦後巡幸[5]

昭和の大合併では当初幕張・二宮両町との合併を目指すも、旧幕張は千葉市に編入された上に、習志野演習場の自衛隊施設に転用された部分を含む旧二宮も1953年(昭和28年)に船橋市に編入されてしまった。結果として1954年(昭和29年)8月1日 津田沼町が習志野町に名称変更、同日千葉市の一部(旧幕張町北部)を編入合併、同日市制施行により習志野市が成立した(この部分、「習志野市の成立」を参照)。市制が布かれて以降、「津田沼」の地名は旧久々田村の地域を指す地名として残された。総武線は乗客数増加に対応し東京-津田沼間で複々線化し、快速運転を開始するようになった。また、津田沼駅周辺に大型店舗が乱立するようになった。津田沼戦争を参照のこと)。

沖合いに広がる遠浅の海岸は、戦後、伝統的な潮干狩りに加えて海苔養殖で繁栄したが、1960年代千葉県企業庁がこれを埋め立て、日本住宅公団袖ヶ浦団地を造成した。また、1970年代の第二次の埋め立てでは秋津、香澄の住宅公団の団地や分譲住宅地の他、芝園・茜浜などに工業地が作られ、東関東自動車道水戸線の建設の際には緑地が作られた。このとき旧大蔵省管轄の土地が池状に埋め立てられずに残された。東京湾と二本の水路でつながった干潟谷津干潟と呼ばれ、船橋沖に広がる三番瀬と並ぶ野鳥の飛来地として保護され、ラムサール条約登録地となった。

東日本大震災の影響により市役所本庁舎の耐震強度が低下したことから、道路を挟んだ北側の場所に本庁舎を移転して建て替えすることになり、2012年10月1日からは別棟の市民課を除き、本庁舎内の各課を市役所周辺の施設に移転させた上、習志野市津田沼五丁目(京成津田沼駅前)の以前ホテルが入っていた建物も仮庁舎として使用した。新しい本庁舎は2017年4月30日に竣工し、5月8日より新庁舎での業務を開始している[6]

2020年7月2日に隕石が落下した(習志野隕石)。

沿革

編集
 
旧・習志野市役所(建て替え前)

町村制の施行以来、一度も他の市町村全域との廃置分合を行っていない。千葉県内では他に鎌ケ谷市富里市酒々井町がある。

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により谷津村、久々田村(現津田沼)、鷺沼村、藤崎村、大久保新田の区域を以って千葉郡津田沼村(つだぬまむら)が発足。
  • 1903年(明治36年)3月3日6月3日) - 町制を施行し津田沼町となる。
  • 1954年(昭和29年)
    • 8月1日 - 津田沼町が千葉市の一部(旧幕張町北部:実籾、愛宕、安生津、長作、天戸)を編入して改称、市制を施行し習志野市となる。
    • 8月28日 - 一部の地域(旧幕張町北部:天戸、長作の字開有富、字享保の一部を除く大部分)を千葉市に編入。
    • 大字久々田が改称して津田沼となる。
  • 1955年(昭和30年)9月30日 - 船橋市習志野町の一部(現東習志野)を編入。
  • 1957年(昭和32年)12月1日 - 千葉市幕張町二丁目の一部(現花咲)、長作町の一部(現実籾)を編入。
  • 1964年(昭和39年) - 習志野市役所庁舎(旧庁舎)完成。
  • 1965年(昭和40年)9月1日 - 千葉市長作町の一部(現実籾)を編入。
  • 1966年(昭和41年)12月27日 - 公有水面埋立地(現袖ケ浦)を編入。
  • 1967年(昭和42年)3月1日 - 東習志野町字新生の一部を千葉市に編入(現長作町)。千葉市幕張町二丁目の一部(現花咲)を編入。
  • 1969年(昭和44年)
    • 3月1日 - 千葉市幕張町二丁目の一部(現屋敷、花咲)、長作町の一部(現実籾)を編入。
    • 10月1日 - 東習志野町字新生の一部を千葉市に編入(現長作町)。
  • 1970年(昭和45年)5月1日 - 千葉市幕張町二丁目の一部(現屋敷、花咲)を編入。
  • 1971年(昭和46年)5月1日 - 屋敷町の一部を千葉市に編入(現幕張町)。千葉市幕張町二丁目の一部(現花咲、本大久保、花咲)、長作町の一部(現実籾、実籾本郷)を編入。
  • 1977年(昭和52年)12月15日 - 公有水面埋立地(現香澄、秋津、茜浜、芝園)を編入。
  • 1980年(昭和55年)8月5日 - 公有水面埋立地(現芝園)を編入。
  • 1981年(昭和56年)5月1日 - 谷津7丁目の一部を船橋市に編入(現前原西)。
  • 1989年(平成元年)2月17日 - 公有水面埋立地(現香澄)を編入。
  • 1992年(平成4年)3月3日 - 公有水面埋立地(現袖ケ浦)を編入。現在の市域となる。
  • 1994年(平成6年)7月31日 - 市制40周年を記念して、第1回市民まつり「習志野きらっと’94」が開催される。
  • 2017年(平成29年)4月30日 - 新市庁舎(2代)が竣工。
  • 2020年(令和2年) 7月2日 - 隕石が落下した(習志野隕石)。
  • 2021年(令和3年)3月 - 新消防本部庁舎(3代)が竣工。

人口

編集

平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、2.05%増の167,909人であり、増減率は千葉県下54市町村中8位、60行政区域中10位。

 
習志野市と全国の年齢別人口分布(2005年) 習志野市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 習志野市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
習志野市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 99,955人
1975年(昭和50年) 117,852人
1980年(昭和55年) 125,155人
1985年(昭和60年) 136,365人
1990年(平成2年) 151,471人
1995年(平成7年) 152,887人
2000年(平成12年) 154,036人
2005年(平成17年) 158,785人
2010年(平成22年) 164,530人
2015年(平成27年) 167,909人
2020年(令和2年) 176,197人
総務省統計局 国勢調査より


町名

編集

習志野市では、ほとんどの区域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。出典

習志野市役所管内(94町丁)
町名 町名の読み 町区域新設年月日 住居表示実施年月日 住居表示実施前の町名等 備考
茜浜一丁目 あかねはま 1977年4月1日 1982年10月1日
茜浜二丁目
茜浜三丁目
秋津一丁目 あきつ 1977年4月1日 1980年3月1日
秋津二丁目
秋津三丁目
秋津四丁目 1981年3月1日
秋津五丁目
泉町一丁目 いずみちょう 年月日 1967年10月1日
泉町二丁目 年月日
泉町三丁目 年月日
大久保一丁目 おおくぼ 年月日 1967年10月1日
大久保二丁目 年月日 一部地域は1969年1月1日実施
大久保三丁目 年月日
大久保四丁目 年月日
香澄一丁目 かすみ 年月日 1981年3月1日
香澄二丁目 年月日
香澄三丁目 年月日
香澄四丁目 年月日
香澄五丁目 年月日
香澄六丁目 年月日
奏の杜一丁目 かなでのもり 2013年2月1日 2013年2月1日 谷津一・六・七丁目の各一部
奏の杜二丁目
奏の杜三丁目
鷺沼台一丁目 さぎぬまだい 年月日 1970年7月1日
鷺沼台二丁目 年月日
鷺沼台三丁目 年月日
鷺沼台四丁目 年月日
鷺沼一丁目 さぎぬま 年月日 1965年7月1日
鷺沼二丁目 年月日
鷺沼三丁目 年月日
鷺沼四丁目 年月日
鷺沼五丁目 年月日
芝園一丁目 しばぞの 年月日 1982年10月1日
芝園二丁目 年月日
芝園三丁目 年月日
新栄一丁目 しんえい 年月日 1967年10月1日
新栄二丁目 年月日
袖ケ浦一丁目 そでがうら 年月日 1967年11月1日
袖ケ浦二丁目 年月日 1967年4月1日
袖ケ浦三丁目 年月日
袖ケ浦四丁目 年月日 1967年11月1日
袖ケ浦五丁目 年月日
袖ケ浦六丁目 年月日
津田沼一丁目 つだぬま 年月日 1988年7月1日
津田沼二丁目 年月日 1977年2月1日
津田沼三丁目 年月日
津田沼四丁目 年月日
津田沼五丁目 年月日
津田沼六丁目 年月日
津田沼七丁目 年月日
花咲一丁目 はなさき 年月日 1968年7月1日
花咲二丁目 年月日
東習志野一丁目 ひがしならしの 年月日 1973年7月1日
東習志野二丁目 年月日
東習志野三丁目 年月日
東習志野四丁目 年月日
東習志野五丁目 年月日
東習志野六丁目 年月日
東習志野七丁目 年月日
東習志野八丁目 年月日
藤崎一丁目 ふじさき 年月日 1970年7月1日
藤崎二丁目 年月日
藤崎三丁目 年月日
藤崎四丁目 年月日
藤崎五丁目 年月日
藤崎六丁目 年月日
藤崎七丁目 年月日
実籾本郷 みもみほんごう 2001年2月1日 2001年2月1日 実籾町本郷、実籾町三丁目の一部
実籾一丁目 みもみ 年月日 2001年2月1日 実籾町一〜四丁目
(三丁目は一部を除く)
実籾二丁目 年月日
実籾三丁目 年月日
実籾四丁目 年月日
実籾五丁目 年月日
実籾六丁目 年月日
本大久保一丁目 もとおおくぼ 年月日 1968年7月1日 一部地域は1970年7月1日実施
本大久保二丁目 年月日
本大久保三丁目 年月日
本大久保四丁目 年月日
本大久保五丁目 年月日
屋敷一丁目 やしき 年月日 1972年2月1日
屋敷二丁目 年月日
屋敷三丁目 年月日
屋敷四丁目 年月日
屋敷五丁目 年月日
谷津町一丁目 やつちょう 年月日 年月日 住居表示未実施
谷津町四丁目 年月日 年月日
谷津一丁目 やつ 年月日 1977年2月1日 一部の地域は分割し、奏の杜に変更
谷津二丁目 年月日
谷津三丁目 年月日
谷津四丁目 年月日
谷津五丁目 年月日
谷津六丁目 年月日 一部の地域は分割し、奏の杜に変更
谷津七丁目 年月日

行政

編集

市長

編集
歴代市長

議会

編集

習志野市議会

編集

千葉県議会

編集
2023年千葉県議会議員選挙
  • 選挙区:習志野市選挙区
  • 定数:2人
  • 投票日:2023年4月9日
  • 当日有権者数:141,772人
  • 投票率:41.31%
候補者名 当落 年齢 所属党派 新旧別 得票数
鈴木均 59 立憲民主党 20,328票
伊藤寛 47 自由民主党 19,098票
佐藤健二郎 47 自由民主党 18,076票
2019年千葉県議会議員選挙
  • 選挙区:習志野市選挙区
  • 定数:2人
  • 投票日:2019年4月7日
  • 当日有権者数:139,472人
  • 投票率:39.53%
候補者名 当落 年齢 所属党派 新旧別 得票数
伊藤寛 43 無所属 19,809票
佐藤健二郎 43 自由民主党 18,305票
鈴木均 55 立憲民主党 16,078票

衆議院

編集
当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 重複
小林鷹之 46 自由民主党 153,017票
黒田雄 62 立憲民主党 69,583票
寺尾賢 45 日本共産党 24,052票

経済

編集

産業

編集
農業

住宅化が進み、農地は減って来ているが、近郊農業は行われている。主な産物はニンジンネギなどで、菊田川・浜田川上流域において水田が僅かに存在する。

工業

東習志野にいくつか大きな工場がある。千葉港から広がる京葉工業地域には、重化学工業が発達している。

習志野市は当初、内陸部・東習志野の旧陸軍習志野演習場を解放した開拓地を、農地法による売買制限解除前に買い上げ、工業団地を造成して日立製作所(現在の日立産機システム)などの大工場を誘致した。沿岸部では第二次埋立の行われた1970年代に公害が大きな社会問題となったこともあって大工場の誘致は行わず、埋め立て完了後、茜浜に中小工場による工業団地を造成した。また、鷺沼で天然ガスの採掘が行われていたが、現在は休止中である。

商業
 
モリシア津田沼
 
津田沼パルコ

習志野の陸軍施設の玄関口として総武線津田沼駅北口には戦前から駅前商店街が形成されたが、それらの多くは船橋市(旧二宮町)に属する。津田沼駅北口・南口の再開発事業によって大型商業施設が集積する1970年代後半までは京成電鉄谷津遊園(現・谷津)・京成津田沼京成大久保実籾の各駅周辺に駅前商店街が形成される以外に目立った商業施設は無かった。その中で谷津遊園に続く谷津遊園駅南口と、大久保の陸軍施設(戦後は国立病院および大学)に続く京成大久保駅北口の商店街は早くから発展し、市内で最も賑わう繁華街であった。

1970年代後半、千葉県立千葉工業高等学校と習志野第一中学校といった駅周辺に大きな面積を占めていた学校施設の移転後に再開発事業の行われた津田沼駅周辺では、隣接する船橋市域に跨って長崎屋パルコイトーヨーカドー丸井(以上北口)、髙島屋ダイエー(以上南口)などの大型店が相次いで進出し、新京成電鉄沿線の船橋市東部も含めた膨大な居住人口を背景に津田沼戦争[注 1]と呼ばれる激しい競争が展開した。これらの大型店のうち長崎屋、高島屋は1980年代に、ダイエーが2005年(平成17年)末に、丸井が2007年(平成19年)に撤退しているが、2003年(平成15年)10月4日イオン株式会社がイオン津田沼ショッピングセンター(現在のイオンモール津田沼)をオープン、2007年(平成19年)11月9日ファーストリテイリングユニクロを核店舗としたミーナ津田沼を丸井撤退後の店舗にオープンさせ、更に2008年(平成20年)にはダイエー撤退後の津田沼サンペデックビルがモリシア津田沼と名称を変え(核店舗はイオンモリシア津田沼店であったが後々ダイエーモリシア津田沼店として再出店)、ヤマダデンキLABI津田沼店ほか多数テナントをオープンさせた。また、奏の杜地区の再開発が行われ、奏の杜フォルテなど大型店舗が新たにオープンしている。

2000年代に入って、造成の遅れていた京葉線新習志野駅南側に郊外型大型商業施設が進出した。これに対してかつては団地住民の日常の買い物で賑わった袖ヶ浦団地内のショッピングセンターは、苦戦を強いられながらも比較的健闘していたが秋津団地のショッピングセンターは撤退に至り、跡地はマンションセブン-イレブンになった。

主な商業施設
 
イオンモール津田沼
 
ミーナ津田沼
主な宿泊施設

本社・本店を構える企業

編集

姉妹都市・提携都市

編集
日本国内

  京田辺市京都府

日本国外

地域

編集

地区

編集
住宅団地
  • 香澄団地
  • 秋津住宅公団海浜団地
  • 袖ヶ浦団地
  • 谷津パークタウン
  • 大久保団地(本大久保、賃貸224 1957年(昭和32年))
  • 谷津遊園ハイツ
  • 海浜谷津団地
郵便局
  • 習志野郵便局(ゆうちょ銀行 習志野店)(05107)
  • 習志野津田沼郵便局(05108)
  • 習志野谷津郵便局(05347)
  • 習志野大久保郵便局(05366)
  • 習志野実籾郵便局(05370)
  • 習志野袖ヶ浦郵便局(05403)
  • 習志野藤崎郵便局(05411)
  • 東習志野郵便局(05474)
  • 習志野鷺沼台郵便局(05490)
  • 津田沼南口郵便局(05549)
  • 習志野秋津郵便局(05562)
  • 習志野屋敷郵便局(05579)
  • 習志野さぎ沼一郵便局(05596)
  • 習志野大久保東郵便局(05696)

郵便番号は以下が該当する。1集配局が集配を担当する。

医療

編集
千葉県済生会習志野病院(災害拠点病院)

二次医療圏(二次保健医療圏)としては東葛南部医療圏(管轄区域:葛南地域および鎌ヶ谷市)である。三次医療圏は千葉県医療圏(管轄区域:千葉県全域)。

医療提供施設は特筆性の高いもののみを記載する[8]

教育

編集

大学

編集
 
千葉工業大学(新習志野キャンパス)
 
日本大学(津田沼キャンパス)

東邦大学習志野キャンパスは市境沿いの船橋市に所在。

専門学校

編集

高等学校

編集
 
習志野市立習志野高等学校

中学校

編集

小学校

編集

幼稚園

編集

市立

  • 習志野市立東習志野こども園(2004年4月開設)
  • 習志野市立杉の子こども園(2012年4月に開設)
  • 習志野市立袖ケ浦こども園(2014年9月開設)
  • 習志野市立つくし幼稚園
  • 習志野市立谷津幼稚園
  • 習志野市立津田沼幼稚園
  • 習志野市立屋敷幼稚園
  • 習志野市立藤崎幼稚園
  • 習志野市立大久保東幼稚園
  • 習志野市立向山幼稚園
  • 習志野市立新栄幼稚園
  • 習志野市立秋津幼稚園
  • 習志野市立香澄幼稚園
  • 習志野市立実花幼稚園

※ 統合

  • 習志野市立袖ケ浦東幼稚園(袖ケ浦こども園に吸収合併)
  • 習志野市立袖ケ浦西幼稚園(袖ケ浦こども園に吸収合併)

私立

  • 第一くるみ幼稚園
  • 青葉幼稚園
  • 習志野みのり幼稚園
  • みもみ幼稚園
  • ホーリネス幼稚園
  • 認可外保育園

    • やひろ学園

    スポーツ

    編集
    スポーツ施設
    公営競技

    交通

    編集

    鉄道

    編集
    東日本旅客鉄道(JR東日本)
     
    津田沼駅(JR東日本)
     
    京成津田沼駅(京成電鉄・新京成電鉄)
      総武線各駅停車  総武快速線
      京葉線
    京成電鉄
      本線
      千葉線
    新京成電鉄
      新京成線

    市役所の最寄り駅は京成津田沼駅である。なお、新京成線習志野駅及び北習志野駅は、習志野市ではなく船橋市に所在する。

    かつて存在した鉄道路線

    編集
    京成電気軌道

    バス

    編集

    路線バス

    編集
     
    京成バス(新都心営業所の車両)

    以下のバス事業者が市内で一般路線バスを運行している。路線の詳細は各記事を参照のこと。

    コミュニティバス

    編集
     
    習志野市ハッピーバス

    深夜急行バス

    編集

    高速バス

    編集

    道路

    編集
    高速道路
    国道
    街道

    船舶

    編集
    国際拠点港湾
    • 千葉港(第5区、千葉北部地区)
      • 習志野港

    名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

    編集

    名所・旧跡

    編集
    主な神社
     
    菊田神社
    主な寺院
     
    西中山無量寺
    主な旧跡
     
    旧鴇田家住宅
    過去に存在した主な軍事施設

    一部遺構や石碑が軍事史跡として残されている。

    観光スポット

    編集

    上記以外の観光スポット。

     
    谷津干潟自然観察センター
     
    谷津バラ園

    祭事・催事

    編集
    • 下総三山の七年祭り(大原大宮神社、菊田神社)
    • あんば様の祭り[13](菊田神社)
    • 剣の祭(八剣神社)
    • 市民まつり「習志野きらっと」

    文化財

    編集

    千葉県指定および国登録文化財一覧[14]

    番号 指定・登録 類別 名称 所在地 所有者または管理者 指定年月日 備考
    1 県指定 有形文化財(建造物) 旧大沢家住宅 森林公園内 習志野市 昭和50年12月12日 1棟
    2 旧鴇田家住宅 実籾本郷公園内 習志野市 平成17年3月29日 1棟
    3 有形文化財(歴史資料) 小金原のしし狩り資料・色羽織1枚・村小旗2枚・稲葉神明社の絵馬1面 習志野市鷺沼二丁目1-10 個人・習志野市・神明社 昭和42年3月7日 3枚・1面
    4 無形民俗文化財 下総三山の七年祭り 習志野市津田沼・実籾町 七年祭り保存會 平成16年3月30日
    5 記念物(史跡) 藤崎堀込貝塚 習志野市藤崎一丁目 習志野市他 昭和42年3月7日
    6 国登録 登録有形文化財(建造物) 千葉工業大学通用門(旧鉄道第2連隊表門) 習志野市津田沼二丁目17-1 千葉工業大学 平成10年9月2日 1件
    7 旧陸軍演習場内圍壁 習志野市東習志野四丁目 個人 平成14年2月14日 1件
    8 廣瀬家住宅主屋他 習志野市津田沼六丁目 個人 平成15年7月1日 4件

    出身有名人

    編集

    習志野市を舞台・ロケ地とした作品

    編集

    ・バディコンプレックス 渡良瀬青葉の出身地 1話で登校風景が出てくる習志野市谷津と学生証に住所に表記されている

    脚注

    編集

    注釈

    編集
    1. ^ 特に昭和53年(1978年)を中心に新聞・雑誌に「津田沼戦争」「戦場にかける橋」(総武線上をかけただけでなく、当地にあった鉄道連隊もかけたと見られている) 、「津田沼も戦国時代」という見出しが現れた。[7]

    出典

    編集
    1. ^ 「津田沼戦争」「谷津遊園」…懐かしさと戦後教育の問題描く長編『みかづき』(インタビュー・記事/金井元貴)”. だれかに話したくなる本の話 - 新刊JP. 2019年4月1日閲覧。
    2. ^ 住んでみたい街カタログ〜第1回 習志野市〜 | 京成不動産”. www.keisei-land.co.jp. 2019年5月20日閲覧。
    3. ^ http://area-info.jpn.org/to21010006120006.html
    4. ^ 防衛省:習志野演習場に係る旧軍毒ガス弾等の環境調査について
    5. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、92頁。ISBN 978-4-10-320523-4 
    6. ^ 習志野市の新庁舎完成 30日、竣工式と市民見学会 - 東京新聞・2017年4月26日
    7. ^ 東武百貨店著『グッドデパートメント東武百貨店30年の歩み』船橋東武小史・P.177「激戦地、船橋・津田沼」
    8. ^ 千葉県. “千葉県保健医療計画(平成30年度〜平成35年度)”. 千葉県. 2019年6月14日閲覧。
    9. ^ 千葉県. “災害拠点病院の指定について”. 千葉県. 2019年6月14日閲覧。
    10. ^ 津田沼キャンパスマップ”. 日本大学生産工学部. 2022年11月1日閲覧。
    11. ^ 実籾キャンパスマップ”. 日本大学生産工学部. 2022年11月1日閲覧。
    12. ^ 習志野市は「ソーセージ製法 伝承の地」 習志野 地域情報・コミュニティーサイト 『ならコミ』”. naracomi.com. 2019年8月5日閲覧。
    13. ^ あんば様 習志野市ホームページ”. www.city.narashino.lg.jp. 2019年8月5日閲覧。
    14. ^ 千葉県. “習志野市の県指定および国登録文化財”. 千葉県. 2019年6月21日閲覧。

    関連項目

    編集

    外部リンク

    編集
    行政
    観光