永井尚征
永井 尚征(ながい なおゆき)は、山城国淀藩2代藩主、後に丹後国宮津藩初代藩主。永井家宗家3代。
永井尚征(興聖寺蔵) | |
時代 | 江戸時代前期 |
生誕 | 慶長19年(1614年) |
死没 | 延宝元年11月11日(1673年12月18日) |
別名 | 大膳(通称) |
戒名 | 雲山宗関竜谷院 |
墓所 | 京都府宇治市の興聖寺 (宇治市) |
官位 | 従五位下右近大夫 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱 |
藩 | 山城淀藩主、丹後宮津藩主 |
氏族 | 永井氏 |
父母 | 永井尚政、内藤清成娘 |
兄弟 |
尚征、尚保、尚庸、直右、尚春、尚申、 尚盛、長子、高力隆長正室、 松平憲良正室、松平定政正室、 森長俊正室、米津田盛正室、上林重胤室、小浜広隆正室ら |
妻 | 毛利秀元娘 |
子 |
尚房、尚長、直種、直円、永井直時正室、長姫、有馬則故正室、有馬則故継室、 中村光慶室、高力忠弘正室ら |
生涯
編集慶長19年(1614年)、淀藩の初代藩主・永井尚政の長男として生まれる[1]。明暦4年(1658年)2月に父が隠居したため、家督を継いだ[1]。寛文9年(1669年)2月24日、丹後宮津藩に移封される[2]。
系譜
編集父母
正室
- 毛利秀元の娘
子女
脚注
編集参考文献
編集- 浜垣容二「増上寺で殺された文人大名」『大名廃絶読本』、読本シリーズ第3号、新人物往来社、254-257頁、1991年。