永井 直時(ながい なおとき)は、江戸時代前期の大名摂津高槻藩の第2代藩主。

 
永井 直時
時代 江戸時代前期
生誕 寛永15年(1638年)3月
死没 延宝8年7月18日1680年8月12日
改名 伝吉(幼名)、直時
戒名 心渓泉安本光院
墓所 東京都品川区北品川の東海寺清光院
官位 従五位下、市正
幕府 江戸幕府
摂津高槻藩
氏族 永井氏
父母 父:永井直吉、母:高木正綱の娘
正室:永井尚征の娘
継室:宗義真の養女(三条公富の娘)
2女、養子:直種
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略伝

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寛永15年(1638年)3月、山城長岡藩主・永井直清の長男・直吉の長男として生まれる。万治2年(1659年)12月28日、從五位下に叙され、市正と称す。

寛文9年(1669年)に父が祖父に先立って早世したため(一説に直吉は病弱で、寛永12年(1635年)に世嗣を廃されて直時が世嗣になったとも言われる)、寛文11年(1671年)に祖父が死去すると跡を継ぎ、3月10日に藩主となった。延宝8年(1680年)7月18日に死去した。享年43。

子は女児しかなかったため、養子の直種永井尚征の四男、直時の正室の兄弟)が跡を継いだ。