松浦晧

江戸時代後期の大名、平戸新田藩第8代藩主

松浦 晧(まつら ひかる)は、江戸時代後期の大名肥前国平戸新田藩の第8代藩主。平戸藩第9代藩主・松浦清の四男。

 
松浦 晧
時代 江戸時代後期
生誕 文化元年10月18日1804年11月19日
死没 安政3年7月3日1856年8月3日
改名 幼名:鶴松、半蔵→晧
官位 従五位下大和守備後守伊予守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉家慶
肥前平戸藩平戸新田藩
氏族 松浦氏
父母 父:松浦清、母:不詳
養父:松浦良
兄弟 信苗信旭信元滝川貞固浦上重義菅沼義陣松浦季子中山愛子、伯、仲、参子、阿部正粹正室、姉小路公遂室、宮原義直室、機、稲垣長興正室、松浦信逸室、松浦重光室、米津田利正室
正室:柳沢保光の娘
柳沢泰孝正室、松浦詮正室ら
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略歴

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文化11年(1814年)、先代藩主のが嗣子なくして早世したため、文化12年(1815年)1月に跡を継いだ。文政2年(1819年)、従五位下・大和守に叙任した。嘉永3年(1850年)8月、家督を次男に譲って隠居し、安政3年(1856年)7月3日に53歳で死去した。

系譜

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父母

正室

子女