宮原義直

日本の江戸時代後期~明治時代前期の武士。江戸幕府旗本宮原義周長男で、高家宮原氏10代当主(上総宮原氏12代当主)。従四位下侍従・摂津守。高家肝煎を勤める

宮原 義直(みやはら よしなお)は、幕末高家旗本。禄高は1400石で代々高家職を勤める家柄。父は宮原義周

 
宮原 義直
時代 江戸時代末期 - 明治時代初期
生誕 文化6年(1809年
死没 明治14年(1881年2月11日
改名 通称:勘五郎、号:方斎
官位 従四位下侍従摂津
幕府 江戸幕府 高家旗本
主君 徳川家斉
父母 父:宮原義周
正妻:平戸藩松浦清の娘
足利聡氏、養子:義敬(実父は島津忠徹)、義以(実父は細川利和)、義路
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文政10年(1827年)12月15日、将軍徳川家斉御目見する。文政11年(1828年)11月4日、部屋住ながらも高家見習に召し出される。同年12月16日、従五位下・侍従・摂津守に叙任する。後に従四位下に昇進する。安政元年(1854年)9月27日、高家肝煎に就任する。安政2年(1855年)11月16日、父義周の隠居により家督を相続する。慶応4年(1868年)3月11日、高家肝煎を辞職し、明治14年(1881年)2月11日に73歳で逝去した。

『大日本人名辞典』4(1887年 初版、1974年 講談社復刊)、『名家伝記資料集成』4(1984年 思文閣)には、維新の際に公武間を周旋して政治上の功績があり、和歌・書画・茶道にも秀でていたことが記述されている。