日満議定書
日満議定書(にちまんぎていしょ)は、1932年[2]9月15日に大日本帝国と満洲国の間で調印された議定書[1](条約)である。
満洲国新京ニ於テ帝国特命全権大使ガ満洲国国務総理ト共ニ署名調印シタル議定書 | |
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日満議定書の署名・調印 (左が日本全権の武藤、右が満洲国全権の鄭) | |
通称・略称 | 日満議定書 |
署名 | 1932年9月15日[1] |
署名場所 | 満洲国 新京 |
発効 | 1932年9月15日 |
締約国 |
日本 満洲国 |
文献情報 | 昭和7年9月15日官報号外条約第9号 |
言語 | 日本語、漢文(齟齬ある場合は日本語を正文とする) |
主な内容 |
日本による満洲国の承認 満洲での日本の既得権益維持 関東軍の満州駐屯 |
条文リンク | 条約本文(国立国会図書館デジタルコレクション) |
ウィキソース原文 |
全権は、日本側が武藤信義陸軍大将(関東軍司令官)、満洲国側は鄭孝胥国務総理。満洲国首都新京の執政府において、両人が午前9時10分、署名・調印を完了した[3]。
関東軍は前年9月18日に開始した軍事行動により、中華民国東北部の満洲全域を制圧(満州事変)。1932年3月1日に建国させた満洲国に対して、日本政府は、この議定書を以て国家の承認を行なった[1]。議定書では満洲国における日本軍の駐屯(第2条)が明記され、また附属文書(交換公文)において満洲国国防の関東軍・日本軍への委任[4]が取り決められた。
議定書による取り決め事項
編集議定書の調印によって、下記の事項が取り決められた。また同時に補足条約ともいえる書簡の交換も行っている。
議定書の内容
編集この議定書で交わされた約定は主に以下の3点である。
交換書簡の内容
編集過去に交わされた下記の文書について、引き続き行使する事。
1.1932年3月10日に満洲国執政(愛新覚羅溥儀)から送付され、5月10日に関東軍司令官(本庄繁)から回答された書簡の件
- 具体的な内容としては、
- の4点。
2.1932年8月7日に満洲国国務総理(鄭)と関東軍司令官(本庄)との間で交わされた、満洲国政府の鉄道、港湾・水路、航空路等の管理並びに二線路の敷設管理に関する協約とそれに基づく附属協定
3.1932年8月7日に満洲国国務総理(鄭)と関東軍司令官(本庄)との間で交わされた、航空会社(満洲航空)設立に関する協定
4.1932年9月9日に満洲国国務総理(鄭)と関東軍司令官(武藤)との間で交わされた、国防上必要な鉱業権の設定に関する協定
議定書全文(現代口語訳)
編集
- 日本は、満洲国が住民の意思で成立した独立の国家である事を確認した。また満洲国は、これまで中華民国が諸外国と結んでいた条約・協定を可能な限り満洲国にも適用する事を宣言した。そのため日本政府と満洲国政府は、日満両国の「良い隣人」としての関係をより強め、お互いにその領土権を尊重し、東洋の平和を確保しようと、次のように協定する。
- 1. 満洲国は満洲国領域内で、将来日満両国間で個別の条約を締結しない限り、従来日本国と日本国民が中華民国との間で締結した条約・協定・その他の取り決めや公私の契約によって得ていた全ての権利利益を認め、これを尊重する。
- 2. 日本国と満洲国の一方の領土や治安に対する脅威は、同時にもう一方の平穏に対する脅威であるという事実を認識し、両国は共同で国家の防衛に当たるべきである事を約束する。このため、日本軍は満洲国内に駐屯する事とする。
- 本議定書は署名の日から効力を生じる。
- 本議定書は日本語文・中国語文で2通作成し、日本語文と中国語文とで解釈が異なる場合には、日本語文の文面で解釈することとする。
- 以上の証拠として次の名の者は、各本国政府から正当な委任を受けて、本議定書に署名調印する。
- 昭和7年9月15日すなわち大同元年9月15日新京においてこれを作成する。
- 日本国特命全権大使 武藤信義(印)
- 満州国国務総理 鄭孝胥(印)
締結日の日満両国
編集満洲国執政溥儀は午後2時より午餐会を開き、満洲国側からは鄭や張景恵参議府議長ら35人が、日本側からは武藤や小磯国昭関東軍参謀長ら22人が列席し、武藤の音頭取りにより乾杯し、満洲国の悠久と溥儀の萬歳、両国の親善を祈念した[3]。
日本国内でも各地で慶祝行事が開かれたほか、内田康哉外務大臣がラジオを通じて午後7時25分より、世界に向けて満洲国を承認したことなどを説明した[3]。