加藤登紀子
加藤 登紀子(かとう ときこ、本名:藤本 登紀子[1]、1943年〈昭和18年〉12月27日 - )は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家、女優。「おときさん」の愛称で親しまれている。 東京大学在学中の1965年に第2回「日本アマチュアシャンソンコンクール」で優勝。1966年 「誰も誰も知らない」でレコード・デビュー。2枚目のシングル「赤い風船」で、「第8回日本レコード大賞」新人賞受賞。1969年 「ひとり寝の子守唄」で第11回日本レコード大賞歌唱賞受賞。1971年 「知床旅情」で、2度目の第13回日本レコード大賞歌唱賞受賞。「百万本のバラ」(1987年 のヒット曲)の日本語歌詞作詞を行ったことや、「難破船」の作詞作曲などでも知られる。日本訳詩家協会6代目会長。1983年の映画『居酒屋兆治』では高倉健の妻の役を演じた。
加藤 登紀子 | |
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『婦人生活』1966年4月号より | |
基本情報 | |
生誕 | 1943年12月27日(80歳) |
出身地 | 満洲国・ハルビン市 |
学歴 | 東京大学文学部西洋史学科卒業 |
ジャンル | |
活動期間 | 1966年 - 現在 |
レーベル |
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事務所 | トキコ・プランニング |
共同作業者 | |
公式サイト | TOKIKO WORLD |
加藤登紀子 | |
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YouTube | |
チャンネル | |
活動期間 | 2020年4月 - |
ジャンル | ミュージック |
登録者数 | 約2万4600人 |
総再生回数 | 156万回以上 |
チャンネル登録者数・総再生回数は 2022年8月22日時点。 |
城西国際大学観光学部で客員教授をした後、星槎大学共生科学科客員教授[2](2021年1月現在)。日本訳詩家協会会長に就任(2021年5月〜)。夫は学生運動活動家の藤本敏夫。次女は歌手のYae[3]。
略歴
編集満洲国ハルビン市生まれ[4]、京都育ち(中学1年の夏まで[5])。実父の加藤幸四郎(1910-1992)は旧制京都二中、ハルピン学院を経て関東軍特務機関や南満洲鉄道(ロシア人係)に勤務した人物で[6][7]、敗戦後に母の加藤淑子の実家がある京都に引き揚げ、小中に進学。中1の夏に父がレコード会社[注 1]に務めていた関係で東京都世田谷区へ転居。高校時代に永六輔の知己を得る[要出典]。世田谷区立桜木中学校卒業。
1962年3月、東京都立駒場高等学校卒業[5]。同年4月、東京大学文学部に入学[9]。
1965年、同大学在学中に第2回「日本アマチュアシャンソンコンクール」優勝。
1966年、「誰も誰も知らない」でレコード・デビュー。2枚目のシングル「赤い風船」で、「第8回日本レコード大賞」新人賞受賞。
1968年3月、東京大学文学部西洋史学科卒業[10]。
1969年、「ひとり寝の子守唄」で第11回日本レコード大賞歌唱賞受賞。
1971年、「知床旅情」で、2度目の第13回日本レコード大賞歌唱賞受賞。同年末の「第22回NHK紅白歌合戦」へ初出場を果たす。
1972年 全学連の活動家の藤本敏夫と獄中結婚。出産のため、一時音楽を離れる。長女を出産。1973年 産休後、音楽界に復帰。
1975年 所有する伊東市の別荘にて革マル派と革労協が内ゲバ。1人死亡、9人重軽傷。
1976年 2年前のアルバム「この世に生まれてきたら」に参加した告井延隆が本格的にライブに参加。以降告井およびセンチメンタル・シティ・ロマンスは加藤の音楽には欠かせない存在として現在までサポートを続けている。
1978年 中島みゆきより提供された「この空を飛べたら」がロング・ヒットを記録。
1980年 三女を出産。
1980年代には中国でコンサートを行い、残留日本人孤児と共に中国語で「知床旅情」を歌い、泣いた事がある[11]。
1981年、千葉県に農業体験などを提供する鴨川自然王国を夫の藤本と共に設立。
1983年の映画『居酒屋兆治』で高倉健の妻役、1986年のテレビドラマ『深夜にようこそ』では千葉真一の妻役で共演した。
1987年 「百万本のバラ」大ヒット。中森明菜には「難破船」[12]、石原裕次郎には「わが人生に悔いなし」といった提供曲も、好セールスを記録。
1988年・1990年 ニューヨークのカーネギー・ホール(大ホール)でコンサート敢行。
1989年「百万本のバラ」で「第40回NHK紅白歌合戦・第2部」に18年ぶり2回目の出場。翌1990年末、2度目の「知床旅情」で「第41回NHK紅白歌合戦・第2部」に2年連続3回目の出場をそれぞれ果たした。
1992年 スタジオジブリ作品『紅の豚』に声優として出演。主題歌「さくらんぼの実る頃」、エンディング・テーマ「時には昔の話を」も担当した。また同年に、芸術文化活動における功績に対して、フランス政府から芸術文化勲章(シュヴァリエ)を授与される。
1995年6月21日に発生した函館空港の全日空857便ハイジャック事件では、実母やバックバンドのメンバーらと一緒に搭乗し、16時間余りの緊張を体験した[注 2]。当日函館のコンサートの予定が中止となってしまったが、翌日苫小牧のコンサートでは、寝不足ながらも元気な姿を見せた。そのライブ終了後、加藤らはハイジャック事件の状況について記者会見に応じている。
1997年 世界自然保護基金日本委員会評議員に就任。この年から2000年にかけて、「さよなら私の愛した20世紀たち」と銘打った10枚シリーズのアルバムを次々と発表する。
2006年、NPO法人・グラウンドワーク三島の専務理事で都留文科大学教授の渡辺豊博からの依頼を受け、富士山の応援歌を制作。阿久悠の詩「富士が好き」に加藤が作曲し「富士山だ」と改題して発表した。
2006年 FUJI ROCK FESTIVAL06出演。若手ミュージシャンとも交遊が広く積極的にコラボレートするなど、現在も精力的に活動。
2008年 九条世界会議に参加し、全体会のフィナーレを飾った。
2009年 ソウル・フラワー・ユニオンらが主催した『PEACE MUSIC FESTA!』に出演。
2009年9月29日、国の特別天然記念物に指定されている佐渡のトキ野生復帰に向け行われた第2回トキ放鳥を記念して「佐渡トキ環境親善大使」に任命される。環境保全に熱心であること、名前に「とき」を含み、国産最後の「キン」を観るため、以前佐渡を訪れるなど、トキとの縁も深かったことから白羽の矢が立った。任期は3年間。
2012年2月23日、イベント等での限定で「富士山だ」のCDを発売[13]。
2012年10月20日 ブータンの首都・ティンプーにある時計塔広場でコンサートを行う。
2014年1月1日、「富士山だ」を全世界に向けて音楽配信で発売。同年1月22日、一般の音楽流通ルートに乗ったCDが発売された。
2018年9月17日、高崎音楽祭で加藤プロデュース「ジブリソングを歌う」コンサートを開催。加藤、夏木マリ、中川翔子が出演。
2018年11月8日、次女でシンガーソングライターとして活動しているYaeのコンサート「未来への詩(うた)」をプロデュース。娘のコンサートのプロデュースは初となる。
2020年6月28日、新型コロナウィルス拡大後初、東京・渋谷「Bunkamura オーチャードホール」にて大規模コンサートを開催した。感染対策も万全にした緊急事態宣言解除後初コンサートは音楽業界からも注目された。
2022年5月22日 ウクライナ支援チャリティーアルバム「果なき大地の上に」をリリース。売上の全額を日本チェルノブイリ連帯基金を通じて寄付する。
2022年度毎日芸術賞受賞。
エピソード
編集人物
編集自身の生業はあくまでも歌手であり、左派運動家ではないとしている[14]。
世田谷区立桜木中学校へ転入した際に、京都との違いにカルチャーショックを受けた。6歳上の兄(加藤幹雄:元住友金属工業(現・新日鉄住金、後の日本製鉄)副社長、現在はロシア料理店経営者[15])と机を並べて勉強をするうちに成績は伸び、東京都立駒場高等学校にはトップ合格した[5]。
高校時代は放送部(駒場放送局)に所属。高2でアナウンス部長を務める[注 3]。同じ部活に1学年後輩の吉永小百合も仕事の合間に参加していた[5]。
60年安保のデモに高校時代の放送部仲間と参加。その4日後に樺美智子の訃報にショックを受け、翌朝に事件をニュース原稿にし校内放送した。これをきっかけに『樺さんの後を継ぐためにも東大に入ろう』と思うようになった[5][10]。
東大在学中は学生運動とはすでに距離を置いており演劇活動に熱中。また歌手デビューも決まっていたことから大学からは足が遠のき、6年かけて卒業単位を取得した[10]。
MCやインタビューなどでは軽妙なトークを展開しており、「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」で松居直美と共に「知床旅情」を歌った際に[16]、司会の今田耕司に「普段の喋りは意外と漫談口調なんですね」と評されたほどである[16]。
毎年10月1日に「日本酒の日コンサート」を行うほど、日本酒が好きである[17]。また、1971年に大関のCMソング「酒は大関」(作詞・作曲:小林亜星)を歌唱した事により、大関から樽酒が贈られ、これを機に来場客に日本酒をふるまい、自分も飲みながらコンサートをする「ほろよいコンサート」を定期的に行なわれている[18]。
後述する波乱万丈な人生を送ったこともあって「見かけによらず衝動的で軽はずみで、迷いやすくて、行き当たりばったりの人生を送ってきた」と回想している[19]。また、自身の人生や活動について「その全部が、世の中の人に認められたわけではないけども、私にとっては宝ものだし、経験した全てが私の血肉になっているわけです。それも運命。命を運んできたということですね」と述べている[20]。
「生きることは、アップデートすること」という持論を持っており[21]、スマートフォンなども使用して、最新の知識を取り入れている[22]。また、脳を若く保つために新聞の切り抜きをテーマごとにファイリングする、洋服を自らリメイクするなど、アンチエイジングを意識した行動にも積極的に取り組み、2017年に「爆報! THE フライデー」(TBS)で脳年齢を計測したところ、30歳と診断された[23]。
Twitterを開設して2ヶ月後に「なう」などの用語を覚え、定期的に多用している[24][25]。
家族との交流も「アップデート」の宝庫であることを語っている[25]。
キマグレン[20] やBABYMETAL[26] などの若手アーティストの楽曲にも理解を示す発言をしている。またお笑い好きでもあり、銀シャリ[26] やオリエンタルラジオ[23] などのお笑い芸人に対しても理解を示している。その流れで、ダイアンの津田篤宏は遠戚ながら親戚同士であることを明かしている。加藤の父の姓が津田で、直系とのこと[27]。
スポーツなども積極的に見ており、日本人スポーツ選手の活躍に感動した旨を自身のTwitterで度々述べている[28][29][30]。
高倉健のファンであり、高倉が亡くなった際には「1960年代に青春を生きた私たち世代にとって、高倉健さんの生きざまはバイブルでした。(中略)亡くなったことを知り、寂しさでいっぱいです。『居酒屋兆治』で妻の役をやらせていただいた思い出、何より大切に、心からご冥福をお祈りします」という追悼コメントを発表している[31]。
2011年の東日本大震災を受けて被災地を訪問したり、チャリティ・コンサート収益金の全額が被災地への義援金に充てられるなど、チャリティー活動も行なっており[32]、2012年5月1日には日本財団により、伊勢谷友介、EXILE、小林幸子、コロッケ、坂本龍一、サンドウィッチマン、杉良太郎、伍代夏子、中村雅俊、はるな愛と共に加藤も「被災地で活動した芸能人ベストサポート」に選出、表彰されている[33]。2013年から開始された「311 未来へのつどい Peace On Earth」には毎年出演している。
夫・藤本敏夫との出会い
編集1968年の東大紛争の際、加藤は「振り袖で来てほしい」という女性週刊誌の要請を振り切ってジーパンで卒業式の会場に現れ、その噂を聞きつけた同志社大学の学生であり、ブント系の「反帝学連」委員長の藤本敏夫にコンサートへの出演依頼を受けるものの、歌を政治運動に利用されることを嫌って断る。しかし、この件をきっかけに2人は交際を開始[34]。
紆余曲折を経て1972年5月に、防衛庁襲撃事件などで逮捕され勾留の身であった藤本と獄中結婚。周囲が交際に反対する中、母と当時の所属事務所「石井音楽事務所」の社長の石井好子が賛成した事が二人の結婚を後押しする形になった[35][36]。「ひとり寝の子守歌」は、塀の中にいる夫を思って作られた代表曲のひとつでもある。
勾留と釈放を挟み、合わせて30年間を連れ添った夫は、2002年に死去(享年58)。夫との間には1972年、1975年、1980年生まれの3人の娘がおり、次女はYaeとして歌手活動中。
音楽観
編集文字面や言葉として格好良くても、会話の中で使わない言葉は歌詞にも使わないという[20]。
日本全国から世界各国まで幅広い場所を訪れており、様々な音楽をレパートリーに取り入れている[37]。「PHP」1993年8月号では、このエピソードを語ったうえで「結局、私はスタイルを決めない歌手として、やり通してきたことになるような気がします」[19] と述べている。
日本語の唄に対して「日本というのは海に囲まれているということだけではなくて、言葉という国境があるんですね。日本人のアーティストで外国で活躍した人はたくさんいるけど、まだうたうということで、その壁を越えた人がいないというふうに私は感じて、そしてほんとうの願いは日本語のポピュラー・ソングをポピュラーにしたい。そのきっかけが作れればいいなと思っています」と述べている[38]。
昭和歌謡から最新のJ-POPまで幅広くカバーしており、「自分が作った歌詞じゃないものを歌うってことが面白い」と述べている[20]。
「初めから答えが決まっているような、つまり、つじつま合わせのような『政治的なプロパガンダ』は本当のメッセージじゃない」「政治の力だけで世の中を変えるなんて、おこがましいと思いませんか?」「むしろ2つに分断されている人たちをつなげたい」としており、「どんな人たちとも一緒に音楽を楽しみたいし、プロの歌手として、あらゆる人たちの心の中に届くような表現の形を持っていなくちゃならない」といった考えがある事を述べている[14]。
評価・交流
編集森繁久彌は1969年に自身が主催のコンサートで、「ひとり寝の子守唄」を歌っていた加藤の声を楽屋越しに聴き、「誰が歌っているんだ。ツンドラの風の冷たさを知っている声だ」と言い、舞台の袖で両手を広げて迎えたというエピソードがあり、前述のとおり加藤がハルビン生まれで、森繁が旧満州からの引き揚げ者だったため、加藤は「大陸への思いの共有が、縁を結んだと思っている」と語っている[11]。また、両者が新幹線でたまたま遭遇し、加藤が「知床旅情」をカバーしていることを報告した際には、「聞いたよ。君は、歌はうまくはない。(でも)心はあるな」と森繁に言われたという[11]。
桑田佳祐は、自身がリーダーを務めるバンドサザンオールスターズの楽曲「東京VICTORY」を「知床旅情」のようなイメージで制作していた旨を述べており、「やはり僕は日本人[注 4]。いくらロックに憧れても、僕らは発祥地たる西洋の人たちと同じにできないじゃないですか。それより日本人には日本人のボディサイズに合った歌があって、僕は何とかそれを見つけたい」「森繁久彌さんの歌詞と、生ギター一本で歌う加藤さんの姿は今回、僕にとっての”いい歌”の基準でした」と述べている[39]。「東京VICTORY」の制作意図や歌詞のテーマを桑田のファンから知らされた加藤は「ありがとう!なんか桑田さんからラブレターもらったみたいな気持ち。応えなきゃね」といった感想を述べている[44]。なお、奇しくも桑田の父親も満州からの引き揚げ者であった[45]。
音楽
編集シングル
編集# | 発売日 | A/B面 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 規格品番 |
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1960年代 | |||||||
1 | 1966年 5月5日 |
A面 | 誰も誰も知らない | なかにし礼 | 中島安敏 | SDR-1189 | |
B面 | あじさい色の雨 | 水木かおる | 藤原秀行 | ||||
2 | 1966年 8月5日 |
A面 | 赤い風船 | 水木かおる | 小林亜星 | SDR-1221 | |
B面 | 北の街 | 今井かずなり | |||||
3 | 1966年 11月5日 |
A面 | 恋の別れ道 | なかにし礼 | 中島安敏 | 川上義彦 | SDR-1245 |
B面 | お別れしましょう | 山屋清 | |||||
4 | 1967年 3月15日 |
A面 | ギターをひこう | 水木かおる | 小林亜星 | SDR-1267 | |
B面 | 小さな花びらの思い出 | 永田文夫 | 林雅諺 | 竹内一朗 | |||
5 | 1967年 7月5日 |
A面 | 真夜中の電話 | 加藤登紀子 | 早川博二 | SDR-1286 | |
B面 | 虹は消えても | 橋本淳 | すぎやまこういち | ||||
6 | 1967年 11月5日 |
A面 | 夜のブランコ | 梅村たかし | 下村耕史 | 早川博二 | SDR-1312 |
B面 | 赤い月が出たなら | 水木かおる | 小林亜星 | ||||
7 | 1968年 2月5日 |
A面 | あなたのおもかげ | 荒木一郎 | 早川博二 | SDR-1326 | |
B面 | 哀愁のモスクワ | なかにし礼 | 石川皓也 | ||||
8 | 1968年 7月5日 |
A面 | 虹をさがそう | 滝田順 | 信楽順 | 早川博二 | SDR-1363 |
B面 | チャンスは今だ | 加藤登紀子 | 中村八大 | ||||
9 | 1968年 8月5日 |
A面 | 積木の箱 | 水木かおる | 小林亜星 | SDR-1371 | |
B面 | チョコレートの夜 | 薩摩忠 | 松井八郎 | ||||
10 | 1969年 3月5日 |
A面 | つめたくすてて | 岩谷時子 | 筒美京平 | SDR-1414 | |
B面 | やっぱりなのね | 小野崎孝輔 | |||||
11 | 1969年 8月5日 |
A面 | 愛のデュエット | なかにし礼 | すぎやまこういち | SDR-1453 | |
B面 | 遊びつかれて | ||||||
12 | 1969年 9月15日 |
A面 | ひとり寝の子守唄 | 加藤登紀子 | 森岡賢一郎 | DR-1461 | |
B面 | 枯木の上に | 加藤登紀子 | C.Mansard | 早川博二 | |||
1970年代 | |||||||
13 | 1970年 2月1日 |
A面 | 帰りたい 帰れない | 加藤登紀子 | 小野崎孝輔 | DR-1487 | |
B面 | 終ったよ | ||||||
14 | 1970年 6月1日 |
A面 | 別れの数え唄 | 加藤登紀子 | 森岡賢一郎 | DR-1519 | |
B面 | とっても長い道 | 平井吉夫 | 小野崎孝輔 | ||||
15 | 1970年 12月1日 |
A面 | 知床旅情[注 5] | 森繁久彌 | 竹村次郎 | DR-1572 | |
B面 | 西武門哀歌 | 川田松夫 | |||||
16 | 1971年 5月21日 |
A面 | 少年は街を出る | 加藤登紀子 | 馬飼野俊一 | DR-1609 | |
B面 | 琵琶湖周航の歌 | 小口太郎 | 早川博二 | ||||
17 | 1971年 10月1日 |
A面 | 愛のくらし | 加藤登紀子 | T.Children A.Hause |
馬飼野俊一 | DR-1635 |
B面 | 悲しみの島 | ||||||
18 | 1971年 12月1日 |
A面 | さよならの口笛 | 加藤登紀子 | ジミー時田 | DR-1651 | |
B面 | 五右衛門節 | 竹村次郎 | |||||
19 | 1972年 3月1日 |
A面 | 美しき五月のパリ | 加藤登紀子 | 広瀬雅一 | DR-1665 | |
B面 | 日暮れにうたう唄 | 加藤登紀子 | 小室等 | ||||
20 | 1972年 7月21日 |
A面 | 海からの願い | 加藤登紀子 | 深町純 | DR-1704 | |
B面 | 風に吹かれていたら | 福山敦夫 | |||||
21 | 1973年 11月21日 |
A面 | 風の舟唄 | 加藤登紀子 | 佐藤勝 | DR-1809 | |
B面 | 傷心[注 6] | G.Moustaki M.Theodorakis |
広瀬雅一 | ||||
22 | 1974年 3月21日 |
A面 | 灰色の瞳[注 7] | 加藤登紀子 | U.Ramos | 山木幸三郎 | DR-1844 |
B面 | 黒の舟唄 | 能吉利人 | 桜井順 | 広瀬雅一 | |||
23 | A面 | かもめ挽歌 | 加藤登紀子 | 深町純 | DR-1903 | ||
B面 | 九月の便り | ||||||
24 | 1975年 6月21日 |
A面 | リリー・マルレーン | 加藤登紀子 | N.Schultze | 山木幸三郎 | DR-1941 |
B面 | テネシーワルツ | P.W.King | |||||
25 | 1975年 10月21日 |
A面 | 酔いどれ女の流れ唄 | みなみらんぼう | 木森敏之 | DR-1980 | |
B面 | 私は修羅 | 加藤登紀子 | |||||
26 | 1976年 11月21日 |
A面 | あなたの行く朝 | 加藤登紀子 | 告井延隆 | DR-6055 | |
B面 | すれ違う夕暮 | 加藤登紀子 | 告井延隆 | ||||
27 | 1977年 10月21日 |
A面 | 時代おくれの酒場 | 加藤登紀子 | 告井延隆 森下登喜彦 |
DKQ-1022 | |
B面 | 水のように | 清水邦夫 | 坂田晃一 | ||||
28 | 1978年 3月10日 |
A面 | この空を飛べたら | 中島みゆき | 福井峻 | DKQ-1028 | |
B面 | 裸足になって | 加藤登紀子 | 告井延隆 | ||||
29 | 1978年 6月1日 |
A面 | 夜の静けさの中で[注 8] | 加藤登紀子 | 玉木宏樹 | DR-6211 | |
B面 | 港町 | 津島玲 | 長谷川きよし | ||||
30 | 1978年 9月10日 |
A面 | ANAK(息子) | 加藤登紀子 | F.Aguilar | 星勝 小野崎孝輔 |
DKQ-1044 |
B面 | 赤いダリア | 加藤登紀子 | 告井延隆 星勝 | ||||
31 | 1979年 4月1日 |
A面 | 生きてりゃいいさ | 河島英五 | 馬飼野俊一 | DKQ-1054 | |
B面 | 愛する人があるのなら | 加藤登紀子 | 告井延隆 星勝 | ||||
32 | 1979年 11月1日 |
A面 | 燃えろジングルベル[注 9] | 河島英五 | 玉木宏樹 | DKQ-1066 | |
B面 | 酔えば | 加藤登紀子 | 安田裕美 福井峻 | ||||
1980年代 | |||||||
33 | 1980年 2月21日 |
A面 | あなたに捧げる歌 | 加藤登紀子 | 小杉仁三 | DKQ-1079 | |
B面 | エージデー(母よ) | 加藤登紀子 | P.Myangaru | 深町純 | |||
34 | 1980年 8月1日 |
A面 | 止まらない汽車 | 加藤登紀子 | 若草恵 | DR-6438 | |
B面 | いく時代かがありまして | 深町純 | |||||
35 | 1980年 10月5日 |
A面 | 灰色の季節 | 加藤登紀子 | 松井忠重 | 7DX-1016 | |
B面 | カーニバル | ||||||
36 | 1981年 5月21日 |
A面 | 悲しみよ河になれ | 加藤登紀子 | 福井峻 | 7DX-2001 | |
B面 | ふいふい鳥 | 山乃雨太郎 | 金谷憲司 | ||||
37 | 1981年 11月1日 |
A面 | グッバイ・サドネス[注 10] | 加藤登紀子 | オノ・ヨーコ | 川村栄二 | 7DX-2010 |
B面 | Out of Border | 加藤登紀子 | |||||
38 | 1982年 5月1日 |
A面 | 寝た子を起こす子守唄[注 11] | 阿木燿子 | 宇崎竜童 | 青木望 | 7DX-2018 |
B面 | ランニング・オン | 加藤登紀子 | 矢野立美 | ||||
39 | 1983年 3月1日 |
A面 | 唯ひとたびの | 加藤登紀子 | W.R.Heymann | 坂本龍一 | 7DX-2028 |
B面 | 愛はすべてを赦す | 水木陽子 北川フラム |
H.Wars | ||||
- | 1983年 11月10日 |
A面 | 時代おくれの酒場 | 加藤登紀子 | 告井延隆 森下登喜彦 |
7DS-0061 | |
B面 | 鳳仙花 | 金護経 | 洪蘭波 | 福井峻 | |||
40 | 1984年 4月25日 |
A面 | 風来坊 | 阿久悠 | 加藤登紀子 | 萩田光雄 | 7DX-1299 |
B面 | 浪漫浪乱 | ||||||
41 | 1984年 9月25日 |
A面 | ない・もの・ねだり | 加藤登紀子 | 白井良明 | 7DX-1338 | |
B面 | ロマネスク | ||||||
42 | 1985年 6月1日 |
A面 | 七色の罪 | 加藤登紀子 | 佐藤隆 | 星勝 | 7DX-1370 |
B面 | ブルースなんか唄わない | 芳道璃生 | 松田良 | ||||
43 | 1985年 12月10日 |
A面 | 哀しみのダンス[注 12] | 加藤登紀子 | L.Cohen | M.Goldenberg | 7DX-1407 |
B面 | 港の伝説 | 加藤登紀子 | |||||
44 | 1986年 6月25日 |
A面 | 海辺の旅 | 岩谷時子 | 木下忠司 | 川村栄二 | 7DX-1430 |
B面 | 百万本のバラ | 加藤登紀子 | R.Pauls | ||||
45 | 1986年 10月25日 |
A面 | 陽ざしの中で | 加藤登紀子 | 山本健司 | 7DX-1461 | |
B面 | 北の便りを | ||||||
46 | 1987年 4月25日 |
A面 | 百万本のバラ | 加藤登紀子 | R.Pauls | 川村栄二 | 7DX-1489 |
B面 | 時には昔の話を | 加藤登紀子 | 山本健司 | ||||
47 | 1988年 5月21日 |
01 | 愛さずにはいられない | 加藤登紀子 | 船山基紀 | 10EH-3066 | |
02 | 漂泊の海へ | 石坂まさを | 加藤登紀子 | 深町純 | |||
48 | 1989年 4月21日 |
01 | 18の頃〜Chaz Maria〜 | 加藤登紀子 | 萩田光男 | 10EH-3271 | |
02 | 雑踏〜La Foule〜 | 加藤登紀子 | A.Cabral | ||||
1990年代 | |||||||
49 | 1990年 3月21日 |
01 | Revolution | 加藤登紀子 | 萩田光男 | CSDL-3075 | |
02 | ランバダ | 加藤登紀子 | Chico de Oliveira | ||||
50 | 1991年 2月1日 |
01 | 私のヴァンサンカン | 加藤登紀子 | 倉田信雄 | CSDL-3223 | |
02 | 歌いつきるまで | ||||||
51 | 1991年 9月26日 |
01 | グッバイ・ダンス | 加藤登紀子 | 告井延隆 | SRDL-3362 | |
02 | シークレット・ナイト | 菅野よう子 | |||||
52 | 1992年 2月1日 |
01 | スト・カロ | 加藤登紀子 | J.Linardos | 告井延隆 | SRDL-3427 |
02 | 百万本のバラ | R.Pauls | 飛澤宏元 | ||||
53 | 1992年 5月2日 |
01 | バラ色のハンカチ | 加藤登紀子 | 告井延隆 | SRDL-3460 | |
02 | ファシネイション | ||||||
54 | 1992年 7月1日 |
01 | さくらんぼの実る頃 | J.B.Clement | A.Renard | 富樫久美子 | SRDL-3498 |
02 | 時には昔の話を | 加藤登紀子 | 菅野よう子 | ||||
55 | 1992年 11月21日 |
01 | 早春賦 | P.Gilles | 中田章 | 服部克久 | SRDL-3592 |
02 | 美しき20歳 | 加藤登紀子 | 告井延隆 | ||||
56 | 1993年 3月21日 |
01 | 川は流れる | 加藤登紀子 | 告井延隆 | SRDL-3625 | |
02 | バラ色のハンカチ | ||||||
57 | 1993年 8月21日 |
01 | 島唄[注 13] | 宮沢和史 | 告井延隆 | SRDL-3710 | |
02 | 旅人 | 加藤登紀子 | |||||
58 | 1994年 2月2日 |
01 | 愛がとどかない | 加藤登紀子 | VOICE | 中村哲 | SRDL-3787 |
02 | 残照 | 加藤登紀子 | 告井延隆 | ||||
59 | 1994年 6月22日 |
01 | 花 | 喜納昌吉 | P.Eidel | SRDL-3860 | |
02 | 石ころたちの青春 | 加藤登紀子 | 告井延隆 | ||||
60 | 1995年 5月1日 |
01 | 人・生・不・思・議 | VOICE | 鳥山雄司 | SRDL-4012 | |
02 | まっすぐ見つめたい | 加藤登紀子 | 告井延隆 | ||||
61 | 1996年 4月1日 |
01 | 愛の日々へのララバイ | 加藤登紀子 | 星勝 | SRDL-4171 | |
02 | Dance For Tonight | ||||||
2000年代 | |||||||
62 | 2001年 5月17日 |
01 | 宛のない手紙 | 加藤登紀子 | 白昌牛 | 小六禮次郎 | RWCL-35001 |
02 | 忘れ去られた人々 | ロシア民謡 | |||||
63 | 2001年 6月6日 |
01 | Paikaji-南風- | 加藤登紀子 | P.Hanmer | POCE-4008 | |
02 | MAMA | 加藤登紀子 | S.Mabuse | S.V.Masondo | |||
64 | 2003年 5月 |
01 | 愛 Love Peace[注 14] | 加藤登紀子 | 告井延隆 | THCD-1075 | |
65 | 2003年 7月23日 |
01 | あなたに[注 15] | 上江洌清作 | MONGOL800 | 告井延隆 | UICZ-5007 |
02 | 海の子守唄 | 加藤登紀子 | 上地正昭 | ||||
66 | 2003年 10月8日 |
01 | 薔薇と月[注 16] | 加藤登紀子 | 原田真二 | TRCS-5 | |
67 | 2004年 8月4日 |
01 | 知床旅情 the 40th Anniversary |
森繁久彌 | 告井延隆 | UICZ-5010 | |
02 | 涙そうそう[注 17] | 森山良子 | BEGIN | ||||
03 | 子連れ狼[注 18] | 小池一夫 | 吉田正 | ||||
68 | 2004年 11月26日 |
01 | 絆 ki・zu・na | 加藤登紀子 | 村上てつや 妹尾武 |
熊原正幸 | UICZ-5012 |
02 | 花筐 | 村上てつや | 告井延隆 | ||||
69 | 2006年 11月22日 |
01 | 生きてりゃいいさ | 河島英五 | S.V.Masondo | UICZ-5028 | |
02 | 恋の花ひらく時 | 加藤登紀子 | 島健 | ||||
70 | 2007年 6月6日 |
01 | 千の風になって | 新井満 | 島健 | UICZ-5031 | |
02 | 愛のよろこび | 加藤登紀子 | J.P.Martini | ||||
03 | ギタリズム[注 19] | 宇佐美秀文 | |||||
71 | 2007年 10月6日 |
01 | 愛の讃歌 | 加藤登紀子 | M.Monnot | 島健 | UICZ-5036 |
02 | バラ色の人生 | Louiguy | |||||
03 | 枯葉 | J.Kosma | |||||
04 | 愛しかない時 | J.Brel | |||||
2010年代 | |||||||
72 | 2010年 4月21日 |
01 | 君が生まれたあの日 | 加藤登紀子 | 菅野よう子 | UICZ-5046 | |
02 | Seeds in the fields | P.Seymour | |||||
73 | 2011年 2月2日 |
01 | パーマ屋ゆんた[注 20] | ちゅんなーや | 三浦秀秋 | TECG-32 | |
02 | あの小さな家 | 加藤登紀子 | 告井延隆 | ||||
74 | 2012年 7月11日 |
01 | わせねでや[注 21] | 内海和江 | ヒザシ | 宮田正広 | TBC-001 |
75 | 2013年 4月24日 |
01 | 過ぎし日のラブレター | 加藤登紀子 | 島健 | UICZ-5059 | |
02 | 檸檬 | 告井延隆 | |||||
76 | 2014年 1月22日 |
01 | 富士山だ | 阿久悠 | 加藤登紀子 | 告井延隆 | COCA-16830 |
02 | 青いこいのぼりと白いカーネーション | 加藤登紀子 | 石川ハルミツ | ||||
77 | 2014年 6月25日 |
01 | 広島 愛の川 | 中沢啓治 | 山本加津彦 | 島健 | UICZ-5062 |
78 | 2016年 8月11日 |
01 | 山はふるさと | 吉井省一 | 都倉俊一 | 服部隆之 | COCA-17197 |
02 | 富士山だ | 阿久悠 | 加藤登紀子 | 告井延隆 | |||
79 | 2016年11月25日 | 01 | ともだちあなた戦う心 | 永六輔 / 加藤登紀子 | 加藤登紀子 | TRCS-0021 | |
02 | 二本の糸 | 永六輔 /加藤登紀子 | 加藤登紀子 | ||||
80 | 2017年9月10日 | 01 | 生きる | 山田かまち | 加藤登紀子 | TRCS-0022 | |
81 | 2019年5月13日 | 01 | 未来への詩(うた) | 加藤登紀子 | 加藤登紀子 | MHCL-2846 | |
82 | 2021年12月1日 | 01 | 江の川挽歌 | 加藤登紀子 | 加藤登紀子 | TRCS-0027 | |
83 | 2022年5月22日 | 01 | 果てなき大地の上に | 加藤登紀子 | 加藤登紀子 | TRCS-0028 | |
84 | 2022年11月1日 | 01 | 乾杯! | 加藤登紀子 | 加藤登紀子 | UPCY-5113 |
オリジナル・アルバム
編集- ポリドール
- 赤い風船(1967年6月5日)
- ギターをひこう(1967年11月5日)
- ひとり寝の子守歌(1969年12月5日)
- 帰りたい帰れない(1970年4月1日)
- 私の中のひとり(1970年7月1日)
- ロシアのすたるじい(1971年2月1日)
- 日本哀歌集(1971年4月10日)
- 美しき五月のパリ(1971年11月1日)
- 色即是空(1972年9月1日)
- 日本寮歌集(1972年10月1日)
- この世に生まれてきたら(1974年3月21日)
- 音楽のパートナーとしてサポートを続ける告井延隆が初参加。
- 赤い靴 すばらしき詩人たち(1974年12月21日)
- いく時代かありまして(1975年12月1日)
- 回帰船(1976年12月21日)
- 本作より、告井およびセンチメンタル・シティ・ロマンスが本格的に参加する。
- さびた車輪(1977年12月1日)
- キティ・レコードから発売。
- 愛する人へ(1978年10月10日)
- キティ・レコードから発売。
- 悲しみの集い(1979年9月10日)
- キティ・レコードから発売。
- OUT OF BORDER(1981年2月5日)
- Rising(1982年6月25日)
- 愛は全てを赦す(1982年11月1日)
- 夢の人魚(1983年12月1日)
- デ・ラ・シ・ネ(1984年6月5日)
- 現在唯一のミニアルバムである。
- 最後のダンスパーティー(1984年12月1日)
- ムーンライダーズとのコラボレーション。
- Ethnic Dance 〜ゆらめく異邦人〜(1986年2月1日)
- My Story 〜時には昔の話を〜(1987年2月1日)
- 「時には昔の話を」「100万本のバラ」が初収録。
- CBS/SONY RECORDS
- TOKIKO—愛さずにはいられない(1988年9月1日)
- エロティシ 〜謎〜(1989年10月8日)
- ファシネイション(FASCINATION)(1991年9月26日)
- 25周年記念3ヶ月連続リリース第1弾。
- Cypango(シパンゴ)(1991年10月25日)
- 25周年記念3ヶ月連続リリース第2弾。全曲をフランス語で制作し、同国でも発売。
- TOKIKO SONGS(1991年11月21日)
- 25周年記念3ヶ月連続リリース第3弾。これまでの代表曲を全てリファインした。
- Sony Recoeds
- さくらんぼの実る頃(1992年9月21日)
- モンスーン 〜祈りの歌を呼び戻す〜(1993年11月21日)
- 花(1995年2月22日)
- 30周年記念盤。フランスで制作、同国でも発売された。
- 晴れ上がる空のように(1996年11月21日)
- TOKIKO ROMANCE 〜百万本のバラ〜 さよなら私の愛した20世紀たち Vol.1(1997年6月21日)
- 10枚に渡るアルバムシリーズ「さよなら私の愛した20世紀たち」の第1弾。
- TOKIKO CRY 〜美しい昔〜 さよなら私の愛した20世紀たち Vol.2(1997年11月21日)
- TOKIKO DANCE 〜踊れ時を忘れて〜 さよなら私の愛した20世紀たち Vol.3(1998年5月21日)
- Tokiko Records
- TOKIKO Ballads 1 〜バラ色のハンカチ〜 さよなら私の愛した20世紀たち Vol.4(1998年12月2日)
- TOKIKO Ballads 2 〜まっすぐ見つめたい〜 さよなら私の愛した20世紀たち Vol.5 (同上)
- TOKIKO L'amour 1 〜愛の讃歌〜 さよなら私の愛した20世紀たち Vol.6(1999年4月21日)
- TOKIKO L'amour 2 〜Songs For You 愛の歌を〜 さよなら私の愛した20世紀たち Vol.7(同上)
- TOKIKO Jurney 〜Born on the Earth〜 さよなら私の愛した20世紀たち Vol.8(1999年10月1日)
- TOKIKO Poesie 〜春待草〜 さよなら私の愛した20世紀たち Vol.9(2000年4月2日)
- TOKIKO SKY 〜蒼空〜 さよなら私の愛した20世紀たち Vol.10(2000年8月2日 南アフリカ共和国のヨハネスブルグで現地ミュージシャンが参加しレコーディング。)
- 〜人生の始まりと終わり〜「ひばりとピアフ」(2017年5月28日)
- ユニバーサルミュージック
- MY BEST SONGS 〜TOKIKO Today〜(2001年11月1日)
- 前作の演奏陣がポリドール時代の代表曲を演奏する形でリメイクしたベスト盤。
- 花筐(2002年10月3日)
- 沖縄情歌(2003年5月28日)
- 青い月のバラード Sound History(2004年5月26日)
- 今があしたと出逢うとき(2004年11月6日)
- どこにいても私(2005年4月6日)
- 40周年記念6枚組ボックス・ベストアルバム
- 登紀子情歌 〜LOVE SONGS〜(2005年5月18日)
- プライムセレクション(2006年1月18日)
- シャントゥーズ TOKIKO ~仏蘭西情歌~(2006年5月10日)
- シャントゥーズ 2 〜野ばらの夢〜(2007年5月9日)
- Essential Best(2007年8月22日)
- SONGS ~うたが街に流れていた~(2008年5月27日)
- ほろよい物語 加藤登紀子オリジナル曲集 1968-2008(2008年10月29日)
- 薔薇と恋のうた 〜シャントゥーズTOKIKOコレクション WITH 島健〜(2009年4月22日)
- iTunes Originals(2010年4月21日)
- iTunesダウンロード形式のみで発売されるベストアルバム。
- 命結〜ぬちゆい(2011年9月28日)
- ふくしま・うた語り(2012年6月6日)
- 「加藤登紀子、鎌田實」名義。
- 風歌 Kazeuta(2012年11月21日)
- 登紀子 愛歌 Aiuta(2013年12月4日)
- 百歌百会 Hyakka Hyakue(2015年11月18日)
ベスト・アルバム
編集- 加藤登紀子ダブルデラックスアルバム(1970年12月)
- 豪華決定版愛のくらし(1971年10月)
- 歌に生命を(1971年)3枚組。楽譜つき。
- パーフェクト24(1978年11月)
- BEST SELECTION(1979年12月)
- 加藤登紀子/Best14(1980年2月)
- 百万本のバラ(1988年3月)
- 加藤登紀子 全曲集 〜 百万本のバラ (1996年9月)
- 加藤登紀子 全曲集 (1999年9月)
- MY BEST ALBUM -TOKIKO TODAY- (2001年11月)
- GOLDEN☆BEST 加藤登紀子 シングルス (2003年11月)
- 終わりなき歌 加藤登紀子半世紀BEST 50th ANNIVERSARY (2014年)
- 花物語 (2021年9月)
ライブ・アルバム
編集- 加藤登紀子リサイタル(1970年10月1日)
- リサイタル'71.3.30(1971年7月1日)
- 加藤登紀子'72(1972年6月25日)
- 真夏の夜のコンサート(1972年11月21日)
- 加藤登紀子ライヴ'73(1973年11月21日)
- 祭り(1974年7月10日)
- 加藤登紀子・長谷川きよしライブ(1978年6月1日)
- ほろ酔いコンサート・ライブ(1980年3月1日)
- ハルピンの夏 〜中国コンサート・ライブ〜(1981年9月21日、2013年7月3日にSHM-CDで再発)
- TOKIKO Best Live 〜酔夢〜(1985年3月1日)
- カルメン・カルメン 〜芝居仕立ての音楽会 3〜(1986年7月1日)
- 私は私 〜サムシングスペシャル・シャンソン編〜(1986年9月25日)
- Live at カーネギー・ホール N.Y.(1991年3月21日)
ビデオ・DVD
編集- 加藤登紀子LIVE IN THE SUN -花咲く頃に- (1995年)
- 加藤登紀子デビュー40周年記念コンサートDVD-Nowisthetime- (日本音声保存)(2005年)
- 加藤登紀子の半世紀 -その胸の火を絶やさずに(2014年10月14日)
- 加藤登紀子50周年記念百万本のバラコンサートwithラトビア・リエパーヤ交響楽団(2015年11月15日)
提供曲
編集- 1974年 「土耳古行進曲」(トルコ行進曲): 小沢昭一
- 1975年 「黄昏のなかで」: 沢田研二
- 1975年 「流転」: 沢田研二
- 1976年 「ひとり立ち」:勝野洋
- 1976年 「パパが好き」:いのうえみどり、コロムビアゆりかご会(作詞:作曲)、「空のうた」:いのうえみどり(作詞:作曲)- 日本テレビ「ロンパールーム」より。
- 1978年 「パパが好き」:やまみどり、コロムビアゆりかご会(作詞:作曲)[46]
- 1987年 「わが人生に悔いなし」 : 石原裕次郎(作詞: なかにし礼)
- 1987年 「難破船」 : 中森明菜 - 厳密には中森がカバーした形でリリース。
- 1988年 「今あなたにうたいたい」 : 和田アキ子
- 1988年 「天国のかけら」: 北原ミレイ(作詞:荒木とよひさ)
- 2012年 「青いこいのぼりと白いカーネーション」: うつみ宮土理(作詞作曲:加藤登紀子)
- 2016年 「想秋ノート」: 手嶌葵(作詞作曲:加藤登紀子)
- 2016年 「白い街と青いコート」: 手嶌葵(作詞作曲:加藤登紀子)
- 2016年 「百年の恋歌」:森昌子(作詞作曲:加藤登紀子)
- 2022年 「残雪」:石川さゆり(作詞作曲:加藤登紀子)
校歌類
編集- 大阪府立大塚高等学校の校歌(作曲・編詞)
- 佐賀県立神埼清明高等学校の校歌(作曲・作詞)
- 長浜バイオ大学の校歌
- 千葉県立銚子高等学校の校歌(作曲・作詞)
- 東松島市立鳴瀬未来中学校の校歌(作曲・作詞)[47]
タイアップ曲
編集年 | 楽曲 | タイアップ |
---|---|---|
1968年 | チャンスは今だ | TBS系テレビドラマ「お多江さん」主題歌 |
積木の箱 | テレビ朝日系テレビドラマ「積木の箱」主題歌 | |
1972年 | 風の舟唄 | 松竹映画「故郷」主題歌 |
1974年 | かもめ挽歌 | フジテレビ系テレビドラマ「6羽のかもめ」主題歌 |
1977年 | 水のように | 日本テレビ系テレビドラマ「秋日記」主題歌 |
1978年 | この空を飛べたら | フジテレビ系テレビドラマ「球形の荒野」主題歌 |
1980年 | 止まらない汽車 | にっかつ映画「元祖大四畳半大物語」主題歌 |
1981年 | Out of Border | TBS系テレビドラマ「うわさの淑女」主題歌 |
1984年 | ない・もの・ねだり | サントリー「リザーブ」CMソング |
1986年 | 海辺の旅 | 松竹映画「新・喜びも悲しみも幾歳月」主題歌 |
陽ざしの中で | AGF「マキシムレギュラーコーヒー」CMソング | |
北の便りを | ハウス食品「うまいっしょ」CMソング | |
1988年 | 愛さずにはいられない | 日本テレビ系テレビドラマ「春の砂漠」主題歌 |
漂泊の海へ | 日本テレビ系テレビドラマ「花らんまん」主題歌 | |
1992年 | バラ色のハンカチ | 資生堂「トリートメント・カラーリンス」CMソング |
さくらんぼの実る頃 | アニメ映画「紅の豚」主題歌 | |
時には昔の話を | アニメ映画「紅の豚」エンディングテーマ | |
早春賦 | 郵便貯金「冬の花火」CMソング | |
1993年 | 川は流れる | TBS系報道番組「筑紫哲也 NEWS23」エンディングテーマ |
1994年 | 愛がとどかない | 日本テレビ系テレビドラマ「麻酔」主題歌 |
残照 | 映画『新極道の妻たち 惚れたら地獄』主題歌 | |
1995年 | 人・生・不・思・議 | テレビ東京系情報番組「徳光和夫の情報スピリッツ」エンディングテーマ |
まっすぐ見つめたい | サントリー「レゼルブ&マドンナ」CMソング | |
2001年 | Paikaji-南風- | NHKの音楽番組「みんなのうた」挿入歌 |
2005年 | 絆 ki・zu・na | テレビ東京系テレビドラマ「国盗り物語」主題歌 |
出演
編集テレビドラマ
編集- お多江さん (1968年、朝日放送制作・TBS) - 町田昌子 役
- 土曜グランド劇場 / 秋日記 (1977年、日本テレビ)
- 第10話
- 第11話
- コカコーラスペシャル / 女ともだち —誰のものでもない私の人生— (1982年3月29日、TBS)
- コカコーラスペシャル / 風にむかってマイウェイ (1984年11月12日、TBS)
- 金曜ドラマ / 深夜にようこそ (1986年、TBS) - 篤子 役 ※特別出演
- 第3回
- 第4回(最終回)
- 男と女のミステリー / 安川刑事の事件簿 少女あみの反乱 (1989年、フジテレビ)
- ドラマ新銀河 / ワイン殺人事件25歳の夏 (1995年、NHK総合)
- ドラマ30 / 家族善哉 (2006年、毎日放送)
- 豆腐プロレス(2017年) ‐ ナレーション
- 名建築で昼食を スペシャル 横浜編(2021年) - 宇野依子 役
- 水平線のうた(2025年放送予定、NHK総合・BSP4K) - 菊池敏子 役[48]
映画
編集- 居酒屋兆治 (1983年) - 兆治の妻・茂子 役
- ハチ公物語 (1987年) - たみ子 役
- 花の季節 (1990年)
- 紅の豚 (1992年) - マダム・ジーナ 役[49]
- OPEN HOUSE (1998年) - トキコ 役
- 折り梅 (2002年) - 中野先生 役
- 月のあかり (2002年) - 月子 役
- 木曜組曲 (2002年) - 綾部えい子 役
- ありがとう (2006年) ※タイトルロゴを揮毫
- 書くことの重さ 作家 佐藤泰志 (2013年)
- ああ栄光は君に輝く (2018年)[50] - 歌
- 時には昔の話を/森山周一郎 声優と呼ばれた俳優(2022年)[51]
NHK紅白歌合戦出場歴
編集※NHK総合・ラジオ第1
年度/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 |
---|---|---|---|---|
1971年(昭和46年)/第22回 | 初 | 知床旅情 | 06/25 | デューク・エイセス |
1989年(平成元年)/第40回 | 2 | 百万本のバラ | 06/20 | 伊藤多喜雄 |
1990年(平成2年)/第41回 | 3 | 知床旅情(2回目) | 18/29 | チョー・ヨンピル |
- 注意点
- 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
- 出演順は「出演順/出場者数」で表す。
NHKみんなのうた出場歴
編集▲はラジオのみの放送。
初放送 | 曲目 | 再放送 |
---|---|---|
1970年(昭和45年)8月 - 9月 | つり橋 | 2017年(平成29年)12月 - 2018年(平成30年)1月▲ |
1982年(昭和57年)4月 - 5月 | かんかんからす | (詳細) |
1984年(昭和59年)6月 - 7月 | ペルシャの子守歌〜わたしの花〜 | 1985年(昭和60年)6月 - 7月 1987年(昭和62年)4月 - 5月 2024年(令和6年)4月 - 5月▲ |
2001年(平成13年)6月 - 7月 | Paikaji ~南風~ | 2002年(平成14年)6月 - 7月▲ 2005年(平成17年)6月 - 7月▲ 2011年(平成23年)6月 - 7月▲ 2018年(平成30年)6月 - 7月 2021年(令和3年)8月[52] |
その他の番組
編集- 四国八十八か所 (1998年 - 2000年、NHK総合) - ナレーション
- ウィークエンドモーニングショー(毎日放送) - 八木治郎と共に司会を行う
- 報道スペシャル 国鉄 最後の夜 TBSテレビ系列全国ネット 書き下ろしの曲を披露する。
- 後藤新平がいない日本 レールの先に描いた幻の国家構想 (2022年3月26日、BSフジ) - 進行[53]
ラジオ
編集- nepia GENKI! 君が生まれたあの日 (2010年10月 -、TOKYO FM、FM大阪)
- 登紀子とYaeの地球に乾杯! [注 22](2008年4月 - 放送中 ラジオ関西、2008年10月 - 放送中 ラジオ日本) ※yaeもパーソナリティで登場
- 加藤登紀子の大関ほろよい倶楽部 (FM大阪) ※バッファロー吾郎・木村がアシスタントを務める
- ラジオ深夜便・ミッドナイトトーク (NHKラジオ第1・FM、偶数月第1木曜日担当)
- 未来への手紙プロジェクト~生まれてくる君へ(ミュージックバード)
ドキュメンタリー
編集- 人間ビジョンスペシャル「日本最北 愛しき野生たち〜利尻・礼文・サロベツの四季」(2002年2月3日、北海道テレビ放送制作・テレビ朝日系全国ネット) - ナレーション・音楽
- きらり!えん旅~加藤登紀子 岩手・遠野市へ~(2011年10月27日、NHK BSP)
- "百万本のバラ"はどこから そして どこへ ~加藤登紀子 ジョージアへの旅~ (2024年2月17日18:00~19:30、NHK BSP4K / 同年2月23日8:00~9:30、NHK BS)
- 百万本のバラ物語 TOKIKO KATO ~歌は国を越えて心をつなぐ~ (2024年2月17日19:30~21:00、NHK BSP4K / 同年3月8日22:40~翌0:10、NHK BS)
YouTube番組 登紀子の「土の日」ライブ
編集(「土」の字の成り立ちに伴い、毎月11日に配信されている)
著書
編集- ろばと砂漠と死者たちの国 文化出版局 1972 のち角川文庫
- 壊された大地の上に 合同出版 1972 のち角川文庫
- 死人たちの祈り 角川書店 1975
- 旅人たち 潮出版社 1980.5 のち講談社文庫
- 止まらない汽車 文化出版局 1980.7 のち新潮文庫
- 加藤登紀子この瞬間を愛せよ 1982.9 (新潮文庫)
- ほろ酔い行進曲 講談社 1984.4 のち文庫
- 加藤登紀子の悪男悪女列伝 1985.7 (潮文庫)
- ほろ酔い行進曲 結婚編 講談社 1985.9
- ほろ酔い行進曲 放浪編 講談社 1986.11
- 日本語の響きで歌いたい 日本放送出版協会 1990.9 (NHKブックス
- 愛する人へ 自選詩集 サンリオ 1990.10
- 時には昔の話を 宮崎駿共著 徳間書店 1992.8
- わんから 即自独楽 中央法規出版 1994.1
- 男と女の一心不乱 対談/ 森繁久彌,加藤唐九郎 風媒社 1997.9
- 加藤登紀子の男模様 三省堂 1999.6
- 「青い月のバラード - 獄中結婚から永訣まで」小学館 2003.4 のち文庫
- ひとりぼっちはひとりじゃない 一書一夢 平凡社 2003.3 (深夜倶楽部)
- 絆 / 藤本敏夫共著 藤原書店 2005.3
- 土にいのちの花咲かそ サンマーク出版 2008.1
- 「登紀子1968を語る」(2009年12月、情況出版、ISBN 978-4915252730)
- 君が生まれたあの日 廣済堂出版 2013.2
- 愛の讃歌 エディット・ピアフの生きた時代 発行:東京ニュース通信社、発売:徳間書店 2016.6.21
- TOKIKO’S HISTORY-Since1943 運命の歌のジグソーパズル 朝日新聞出版 2018.4.20
- にっぽん漂流 すっぴんお登紀の旅100 話! アルファーベータブックス 2018.11.2
- 自然を生きる、自分を生きる 河出書房新社 2019.2.7
- 自分からの人生 大和書房 2019.3.1
- 登紀子自伝〜人生四幕目への前奏曲 2020.11.29
- 哲さんの声が聞こえる〜中村医師が見たアフガンの光 合同出版 2021.8.2
- 百万本のバラ物語 光文社 2022.12.21
- 加藤登紀子詩集 美しき20歳 2023.12.19
翻訳
編集- 大きな空の木 (エリック・バテュ フレーベル館 2003年11月)
脚注
編集注釈
編集- ^ 登紀子の回想によると、父は復員後すぐに現在のキングレコードに入社、1957年7月に東京・新橋にロシア料理店「スンガリー」を開店した時は、マーキュリーレコード(1957年にキングが販売権を獲得)の芸能部長だった[8]。
- ^ なおこの時、バックバンドのメンバーである告井延隆が持っていた携帯電話で密かに警察に連絡していたことが事件終息に一役買っている。
- ^ 同期の放送局長は佐藤信だった[5]。
- ^ 桑田は自身が生粋の純日本人であることを公言しており、日本の文化や日の丸・国歌「君が代」を肯定する考えがあることも明かしている[39][40][41][42]。また、東日本大震災発生から一週間後に放送された自身のラジオ番組『桑田佳祐のやさしい夜遊び』(TOKYO FM)では「日本の国民のみなさんは素敵で優しい人たちだと思う。この国に生まれて良かったなと思います」と発言している[43]。詳細は桑田佳祐#思想・哲学、桑田佳祐#日本文化への造詣も参照のこと。
- ^ 森繁久彌の同名曲のカバー。
- ^ ジョルジュ・ムスタキの「L'Homme Au Coeur Blesse」の日本語カバー。
- ^ 長谷川きよしとのデュエット。
- ^ 長谷川きよしとのデュエットシングル。
- ^ 河島英五とのデュエット。
- ^ オノ・ヨーコの「Goodbye Sadness」の日本語カバー。
- ^ 豊島たづみの同名曲のカバー。
- ^ レナード・コーエンの「Dance Me to the End of Love」の日本語カバー。
- ^ THE BOOMの同名曲のカバー。
- ^ 加藤登紀子 with 京都市少年合唱団名義。
- ^ MONGOL800の同名曲のカバー。
- ^ 原田真二とのデュエットシングル。
- ^ 森山良子の同名曲のカバー。
- ^ 橋幸夫の同名曲のカバー。
- ^ 村上てつやとのデュエット。
- ^ BEGINの同名曲のカバー。
- ^ 加藤登紀子 with みちの空名義。
- ^ 2022年6月までは『加藤登紀子の地球に乾杯!』の番組名で放送していた。
出典
編集- ^ 加藤登紀子(かとう ときこ)とは - コトバンク
- ^ “客員教授 | 共生科学部・専攻 | 通信制大学 星槎大学”. seisa.ac.jp. 2015年6月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月22日閲覧。
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- ^ 『日本とロシアの近現代史』歴史街道編集部、 2022
- ^ 産経新聞「満州文化物語」、2013.07.15
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- ^ a b c 峠を越えて 「知床旅情」50周年〈1〉 「地の涯」に人情の歌 知床特集
- ^ “加藤登紀子「幸せです!」歌手60周年パーティー「難破船」提供した中森明菜からもメッセージ”. 日刊スポーツ (2024年10月10日). 2024年10月10日閲覧。
- ^ 富士山遺産登録へ応援歌 23日CD発売 阿久悠さん詞に加藤登紀子さんが曲、富士山NET(山梨日日新聞)、2012年2月20日。[リンク切れ]
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- ^ シークレットライブ '99 SAS 事件簿 in 歌舞伎町 SOUTHERN ALL STARS OFFICIAL SITE
- ^ 桑田佳祐と吉田拓郎との隠された過去。今日までそして明日から。 - Techinsight 2011年3月20日配信 2022年5月5日閲覧。
- ^ 加藤登紀子 @TokikoKato 2014年9月21日9:59のツイート
- ^ 桑田佳祐「ただの歌詩じゃねえか、こんなもん」(1984年、新潮社、p248)
- ^ 「ロンパールーム」LP盤「ロンパールーム はる・なつ・あき・ふゆ」(1978年、日本コロムビア)に収録。
- ^ “加藤登紀子さんが校歌の原案披露 東松島・鳴瀬未来中”. 河北新報社. (2013年1月22日) 2013年1月23日閲覧。
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- ^ “紅の豚”. 金曜ロードSHOW!. 2016年6月2日閲覧。
- ^ “キャスト|映画「ああ栄冠は君に輝く」”. www.eikanhakimini.com. 2018年9月15日閲覧。
- ^ “時には昔の話を~森山周一郎 声優と呼ばれた俳優~”. 映画ナタリー (2022年10月21日). 2023年5月28日閲覧。
- ^ ワンコーラス
- ^ “後藤新平がいない日本 レールの先に描いた幻の国家構想”. BSフジ. 2022年4月11日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- プロフィール
- 加藤登紀子 - 日本映画データベース
- 加藤登紀子 - allcinema
- 加藤登紀子 - KINENOTE
- Tokiko Katô - IMDb
- 加藤登紀子 - MOVIE WALKER PRESS
- 加藤登紀子 - テレビドラマデータベース
- 加藤登紀子 - NHK人物録
- オフィシャルブログ「TokikoKiss」 - Ameba Blog
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