中村晋也
中村 晋也(なかむら しんや、1926年7月29日 - )は、日本の彫刻家。文化勲章受章者[1]。鹿児島県鹿児島市名誉市民[2][3]。三重県亀山市名誉市民[4][5]。
中村晋也 | |
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生誕 |
中村晋也 1926年7月29日(98歳) 三重県亀山市 |
国籍 | 日本 |
教育 | 東京高等師範学校 |
著名な実績 | 彫刻 |
受賞 |
日展文部大臣賞 日本芸術院賞 紺綬褒章 勲三等旭日中綬章 文化勲章 |
2013年、日本体育大学世田谷キャンパス(深沢)1階エントランスホールに名作EOS・萌えるリズム・太古の血潮・朝の祈り・姉妹のブロンズ像が飾られた。
経歴
編集1926(大正 15 )年 | 三重県に生まれる | |
1949(昭和 24 )年 | 23 歳 | 東京高等師範学校(現・筑波大学)卒業
鹿児島師範学校文部教官、兼鹿児島大学講師となる |
1950(昭和 25 )年 | 24 歳 | 第6回日展に「首」初入選 |
1951(昭和 26 )年 | 25 歳 | 鹿児島大学講師となる |
1960(昭和 35 )年 | 34 歳 | 鹿児島大学助教授となる |
1964(昭和 39 )年 | 38 歳 | 沖縄県摩文仁の丘に沖縄戦没者鹿児島慰霊塔「安らかに」を建立 |
1966(昭和 41 )年 | 40 歳 | この年より翌 42年までフランス留学 A ・ FENOSA に師事 |
1967(昭和 42 )年 | 41 歳 | 第10回日展に「華の譜」を出品し特選を受賞 |
1968(昭和 43 )年 | 42 歳 | 「比島戦没者慰霊碑」を鹿児島県指宿市花瀬海岸に建立
「戦艦大和を旗艦とする特攻艦隊慰霊塔」を鹿児島県徳之島犬田布岬に建立 第11回日展に「想華の詞」を無鑑査出品し特選を受賞 |
1969(昭和 44 )年 | 43 歳 | 改組第1回日展に「宴の華」を委嘱出品し菊花賞を受賞
この年より翌45年まで文部省在外研究員として1年間フランス留学、再度 A・FENOSAに師事する |
1970(昭和 45 )年 | 44 歳 | 日展審査員となる |
1972(昭和 47 )年 | 46 歳 | 鹿児島大学教授となる |
1979(昭和 54 )年 | 53 歳 | 「大久保利通公」像を鹿児島市甲突河畔に建立 |
1981(昭和 56 )年 | 55 歳 | 第13回日展に「星のいのり」を出品し会員賞を受賞 |
1982(昭和 57 )年 | 56 歳 | 「若き薩摩の群像」を鹿児島市鹿児島中央駅前広場に建立
日展評議員となる |
1984(昭和 59 )年 | 58 歳 | 日中友好和平の7体よりなる群像を中国湖南省長沙市に建立
南日本文化賞受賞 第16回日展に「焦躁の旅路」を出品し、文部大臣賞を受賞 「種子島時堯公」像を西之表市に建立 |
1985(昭和 60 )年 | 59 歳 | 「M r.KanayeNagasawa 」像をアメリカ・サンタローザ市に建立 |
1988(昭和 63 )年 | 62 歳 | 「朝の祈り」(第19回日展出品作)により昭和 62年度日本芸術院賞を受賞
西日本文化賞受賞 「島津義弘公」像を鹿児島県伊集院駅広場に建立 |
1989(平成元)年 | 63 歳 | 社団法人日展理事に就任
「雄飛(ペガサス)」像を鹿児島県南さつま市金峰町県立南薩少年自然の家に建立 日本芸術院会員に任命される |
1990(平成2)年 | 64 歳 | 社団法人日展常務理事に就任
社団法人日本彫刻会常務理事に就任 |
1991(平成3)年 | 65 歳 | 「愛と詩情を刻む―中村晋也展」を鹿児島市立美術館にて開催
岩手県花泉町にて同展を開催 |
1992(平成4)年 | 66歳 | 鹿児島大学名誉教授となる
「菊池武光公」像を菊池市に建立 鹿児島県より教育文化部門にて県民表彰をうける |
1993(平成5)年 | 67歳 | 瀬市御殿浜に彫刻公園名瀬市御殿浜に彫刻公園を建立を建立
「Ursula Ursula レリーフ群」を東京都愛国学園に設置 大阪市御堂筋彫刻ストリートに「姉妹」を建立 |
1994(平成6)年 | 68歳 | 社団法人日本彫刻会理事長に就任 |
1995(平成7)年 | 69歳 | 「翔(ペガサス)」像を原町市馬事公苑に建立 |
1996(平成8)年 | 70歳 | パリ三越エトワール美術館にて「中村晋也展」を開催
財団法人中村晋也美術館設立 岩手県奥州市種山高原に「風の又三郎」像を建立 バチカン美術館に「M iserere iserere Ⅲ」が収蔵される 世界文化社より「中村晋也―人間を奏でる―」を刊行 岩手県玉山村石川啄木記念館に「石川啄木」像を建立 鹿児島県議会議事堂内に「隼人之舞」像を設置 |
1997(平成9)年 | 71 歳 | 財団法人中村晋也美術館オープン
大阪大丸にて「パリ帰国展」開催 |
1998(平成10)年 | 72 歳 | 鹿児島県南さつま市金峰町に「木花咲耶姫」像を建立 |
1999(平成11)年 | 73 歳 | 勲三等旭日中綬章を受章
崇城大学(旧熊本工業大学)の副学長に就任 岩手県一関市 東山町に「太古の血潮」を設置 靖国神社に「かへりみはせじ」を奉納 鹿児島県警本部前に「川路大警視」像を建立 愛国学園大学に大レリーフ「愛の国伝説」を設置 宮城県白石市に第18 代横綱「大砲」像を建立 紺綬褒章を受章(以後5回) |
2000(平成 12 )年 | 74 歳 | 中村晋也作品集「 Misereremei ―命よ―」六耀社より
鹿児島県霧島アートの森に「Miserere ⅩⅢ」収蔵 |
2001(平成 13 )年 | 75 歳 | 川崎医科大学に「川崎祐宣先生」像建立
神戸市三ノ宮・花時計前駅に「Miserere Ⅰ」設置 |
2002(平成 14 )年 | 76 歳 | 鹿児島山形屋・天満屋高松店にて「中村晋也展」
宮城県白石市公立刈田総合病院に「Miserere ⅩⅦ」設置 中村晋也作品集「平成の釈迦十大弟子」光村推古書院 鹿児島県南さつま市金峰町に「鎌田要人先生」像建立 文化功労者として顕彰される[6] |
2003(平成 15 )年 | 77 歳 | 奈良市・薬師寺大講堂に「釈迦十大弟子」像奉納
中村晋也作品集「薬師寺釈迦十大弟子」光村推古書院 「釈迦と十人の弟子たち」河出書房新社 |
2004(平成 16 )年 | 78 歳 | 薬師寺と薬師寺東京別院に「高田好胤大和上」像設置
愛媛県今治市今治城に「藤堂高虎公」像建立 大阪取引所前に「五代友厚公」像建立 |
2005(平成 17 )年 | 79 歳 | 北海道知事公邸に「残響」を建立
上田女子短期大学に創立者北野次登先生像を建立 |
2006(平成 18 )年 | 80 歳 | 東京都立川市真如苑恒明湧祥之舎応現院に「純陀」群像を建立 |
2007(平成 19 )年 | 81 歳 | 京セラ美術館にて「祈り―中村晋也・内なる精神を刻む―」展開催
大阪城内に「豊臣秀吉公」像を建立 薬師寺大講堂に「阿僧伽菩薩」「伐蘇畔度菩薩」像を奉納 「甦った平成の阿僧伽・伐蘇畔度」を法蔵館より刊行 パラミタミュージアムにて「 中村晋也 祈りの造形」展 を開催 鹿児島中央駅構内に「小里貞利先生」像を建立 文化勲章受章 熊本県天草市に「鈴木重成公・鈴木正三和尚・鈴木重辰公」像建立 三重テレビ「元気大賞」を受賞 社団法人日展顧問に就任 |
2008(平成 20 )年 | 82 歳 | 筑波大学より名誉博士号の称号が授与される
財団法人中村晋也美術館二号館を開館 |
2009(平成 21 )年 | 83 歳 | 崇城大学より名誉学長の称号を授与される
青森県五所川原市芦野公園に「太宰治」像を建立 パリのユネスコ本部に「蝶の人」が収蔵される |
2010(平成 22 )年 | 84 歳 | 三重県亀山市より名誉市民の称号を授与される
奈良市・喜光寺に「仁王」像を奉納 鹿児島市鶴丸城跡に「天璋院」像を建立 |
2011(平成 23 )年 | 85 歳 | 大阪市玉造稲荷神社に「豊臣秀頼公」像を建立 |
2012(平成 24 )年 | 86 歳 | 医療法人常清会に尾辻達意先生胸像を設置
福岡女子大学に「ミゼレーレX―命よ―」を建立 日本体育大学に「EOS 」「朝の祈り 」「姉妹」「萌えるリズム」「太古の血潮」を設置 宮城県白石市傑山寺境内に「片倉小十郎景綱公」像を建立 鹿児島銀行中央支店に「わたしの宝物」を設置 |
2013(平成 25 )年 | 87 歳 | 香川県善通寺にて「釈迦十大弟子」の安座開眼法要が行われる
福山通運「小丸法之翁」像を建立 |
2014(平成 26)年 | 88 歳 | 堺市EH本社に「愛と勇気」像を建立
いちき串木野市薩摩藩英国留学生記念館に「羽島浦出航之図」レリーフを設置 鹿児島市より名誉市民の称号を授与される |
2015(平成 27)年 | 89 歳 | 釈迦八相像(果相)を薬師寺(西塔)に奉納 |
2016(平成 28)年 | 90 歳 | 大阪府堺市に「夢みる季節」を設置
愛知県新城市設楽原歴史資料館に「岩瀬忠震公」像を建立 東京国立博物館に「初代町田久成館長」胸像を建立 |
2017(平成 29)年 | 91 歳 | 千葉県浦安市浦安音楽ホールに「春に奏でる」「春風の調べ」を設置 |
2018(平成 30 )年 | 92 歳 | 青森県五所川原市新市庁舎に復興初代立佞武多「親子の旅立ち」を設置
広島県福山市㈱エフピコに「創業者小松安弘の像」を設置 |
2019(令和元)年 | 93 歳 | 「即位の礼」に出席 |
2020(令和 2 )年 | 94 歳 | 「若き薩摩の群像」に堀孝之と高見与一像を加え 建立 |
2023(令和 5 )年 | 96 歳 | 三重県亀山市の駅前広場に亀山ゆかりの「ヤマトタケル」と妃(きさき)の「オトタチバナヒメ」の銅像を設置 |
著作
編集彫刻
編集- 「大久保利通銅像」(1979年[3]、鹿児島市西千石町)[7]
- 「若き薩摩の群像」(1982年[3]、鹿児島市中央町・鹿児島中央駅東口)[1]
- 「EOS」(1989年、鹿児島市武三丁目・長島美術館)[3]
- 「天璋院」(2010年、鹿児島市城山町・鹿児島県歴史資料センター黎明館)[3]
- 「薩摩辞書の碑」(1981年、鹿児島市城山町・鹿児島県立図書館)[3]
- 「西南の役官軍戦没者慰霊塔」(1977年、鹿児島市浜町・祇園之洲公園)[3]
- 「貴様と俺の碑」(1966年、鹿児島市鴨池二丁目・鴨池公園)[3]
- 「おしゃれな渡り鳥」(1978年、鹿児島市城山町・鹿児島市立美術館)[3]
- 「焦躁の旅路」(1984年、鹿児島市城山町・鹿児島市立美術館)[3]
- 「MAE像」(1990年、鹿児島市城山町・鹿児島市立美術館)[3]
- 「水辺の囁き」(1978年、鹿児島市加治屋町・鹿児島県立鹿児島中央高等学校)[3]
- 「奏でる」(1979年、鹿児島市与次郎二丁目・鹿児島市民文化ホール)[3]
- 「星の祈り」(1981年、鹿児島市与次郎二丁目・鹿児島市民文化ホール)[3]
- 「坂本龍馬新婚の旅碑」(1980年、鹿児島市天保山町)[3]
- 「赤十字従軍看護婦像」(1983年、鹿児島市鴨池新町・日本赤十字社鹿児島県支部)[3]
- 「朝の祈り」(1987年、鹿児島市谷山中央一丁目・谷山サザンホール)[3]
- 「姉妹」(1989年、鹿児島市谷山中央一丁目・谷山サザンホール)[3]
- 「一中生 一高女生」(1994年、鹿児島市薬師二丁目・鹿児島県立鶴丸高等学校)[3]
- 「隼人之舞」(1996年、鹿児島市鴨池新町・鹿児島県議会議事堂)[3]
- 「川路利良大警視」(1999年、鹿児島市鴨池新町・鹿児島県警察本部)[3]
- 「西郷どんのツン」(1990年、薩摩川内市東郷町藤川・藤川天神)[8]
- 「島津義弘公騎馬像」(日置市伊集院町徳重・伊集院駅前)
- 「菊池武光公騎馬像」(1992年、熊本県菊池市隈府)[9]
書籍
編集脚注
編集- ^ a b 南日本新聞 2015, p. 1054.
- ^ “名誉市民”. 鹿児島市. 2021年3月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 鹿児島市 2014.
- ^ “名誉市民 | 亀山市”. www.city.kameyama.mie.jp. 2021年4月22日閲覧。
- ^ “新亀山市の名誉市民|亀山の名誉市民|亀山こども歴史館”. kameyamarekihaku.jp. 2021年4月22日閲覧。
- ^ 平成14年度 文化功労者及び文化勲章受章者(五十音順)−文部科学省(2009年10月25日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- ^ 南日本新聞 1990, p. 948.
- ^ “西郷隆盛愛犬ツンの銅像”. 鹿児島県PR・観光戦略部観光課・公益社団法人鹿児島県観光連盟. 2021年3月6日閲覧。
- ^ “菊池市プチ伝説No.009 菊池市に「タケコプター」!?”. 菊池市. 2021年3月6日閲覧。