仲邑信也
仲邑 信也(なかむら しんや、1973年4月10日 - )は、日本棋院東京本院に所属する囲碁棋士。九段、大阪府出身、山下順源七段門下。娘に囲碁棋士の仲邑菫三段。辰己茜三段は義妹。門下に、娘の菫と、大橋成哉七段、但馬慎吾六段、村松大樹六段。
仲邑信也 九段 | |
---|---|
名前 | 仲邑信也 |
生年月日 | 1973年4月10日(51歳) |
プロ入り年 | 1991年 |
出身地 | 大阪府 |
所属 | 日本棋院東京本院 |
師匠 | 山下順源 |
段位 | 九段 |
概要 | |
タイトル獲得合計 | 1 |
経歴
編集1973年4月10日、大阪府に生まれる。アマチュア高段者の父からの指導も受け、2つ年上の兄についていく形で小学3年生のときに日本棋院関西総本部の院生となる[1]。5年生のときに石井邦生九段から山下順源七段を紹介され弟子入り[1]。高校には進学せず院生として研鑽を重ね、1991年4月、17歳で入段を果たす[1]。
1996年、第21回新人王戦で決勝戦に進出するも、高尾紳路に0勝2敗で敗れ、初タイトル獲得を逃す。1998年の第13期NEC俊英囲碁トーナメント戦では、決勝戦で溝上知親に勝利し、自身初タイトルを獲得。
2006年には国内予選を制し、日本代表4名のうちの一人として富士通杯の出場権を獲得[1][2]。2006年の年間成績は33勝8敗(勝率 .805)で、棋道賞勝率第1位賞を受賞した。
翌2007年4月の富士通杯では、1回戦は南米代表のアマチュア棋士(アマ六段)に勝利したものの、次戦は中国代表の周鶴洋に敗れ、2回戦敗退[2]。同年には、第55期王座戦で本戦ベスト8まで進出(2回戦で蘇耀国に敗退)したほか[3]、第46期十段戦でも本戦敗者復活戦で準決勝まで進出(準決勝で高尾紳路に敗退)[4]。また、囲碁インストラクターとして活動していた、石井茜(現姓:辰己)の姉と結婚。
2008年4月、関西総本部から東京本院に移籍[5]。2009年3月に長女の菫を授かり、2014年4月に再び関西総本部に移籍[5]。2019年4月には菫が日本棋院史上最年少(10歳0か月)でプロ入り。2022年3月、菫の移籍(2021年1月、関西総本部から東京本院)に1年ほど遅れて、自身も東京本院に再度移籍[6][7]。この間にも、2009年に第35期碁聖戦で本戦ベスト16[8]、2014年に第40期天元戦で本戦ベスト16[9]、2022年に第47期碁聖戦で本戦ベスト16[10]など、七大棋戦でたびたび本戦進出・本戦勝利の結果を残している。
人物
編集棋歴
編集獲得タイトル
編集- 1998年 第13期NEC俊英囲碁トーナメント戦
良績
編集- 1996年 第21期新人王戦 準優勝
- 2004年 第4回本因坊秀策杯(非公式戦) 準優勝
- 2007年 第20回世界囲碁選手権富士通杯 日本代表
受賞歴
編集- 1996年 松原賞
- 2006年 棋道賞勝率第1位賞(33勝8敗、勝率 .805)
昇段履歴
編集- 1991年 入段、同年二段
- 1992年 三段
- 1993年 四段
- 1994年 五段
- 1996年 六段
- 1998年 七段
- 2001年 八段
- 2012年 九段
脚注
編集- ^ a b c d e f “盤上の風景:/23 囲碁 仲邑信也九段 喜びと挫折と愛娘と /大阪”. 毎日新聞. 2019年4月3日閲覧。
- ^ a b “第20回 世界囲碁選手権・富士通杯”. 日本棋院. 2019年4月3日閲覧。
- ^ “第55期 王座戦”. 日本棋院. 2023年3月21日閲覧。
- ^ “第46期 十段戦”. 日本棋院. 2023年3月20日閲覧。
- ^ a b “棋士情報”. goo blog. 日本棋院関西総本部 (2014年4月1日). 2023年3月19日閲覧。
- ^ “【移籍】仲邑菫初段の移籍について”. 日本棋院 (2020年9月3日). 2023年3月19日閲覧。
- ^ “【移籍】仲邑信也九段 東京本院に移籍”. 日本棋院 (2022年3月9日). 2023年3月19日閲覧。
- ^ “第35期 碁聖戦”. 日本棋院. 2023年3月20日閲覧。
- ^ “第40期 天元戦”. 日本棋院. 2023年3月20日閲覧。
- ^ “第47期 碁聖戦”. 日本棋院. 2023年3月20日閲覧。
- ^ “囲碁の天才少女、10歳で最年少プロに 名人も手腕評価”. 朝日新聞デジタル. 2019年4月3日閲覧。