2月28日に台湾にいる事実
2月28日。
台湾は
和平紀念日(平和記念日)
だ。日本でいう国民の休日に当たり、国営公営の機関はサービスを停止している。
和平紀念日という名の意味は、
平和を願うための記念日
であり、
平和になった日を記念している
のではない。1947年2月28日、台湾現代史上、極めて暗く、今尚デリケートな問題となっている
2.28事件
が起きた。台湾全土で、大陸からやって来た外省人と、もともと台湾にいた本省人との軋轢が嵩じて、官憲による殺人が切掛となって全国規模の動乱になっていく。勝利を収めたのは、外省人である。
2.28事件が痛ましいのは、
事件後の白色テロで本省人の有為の人材が数多く失われた点
だ。
映画「悲情城市」には、この間の事情が描かれており、見た人は多いだろう。
2月28日、二二八和平公園に出かけた。ここには台湾博物館と台北二二八紀念館がある。この日は記念日ということで二二八紀念館は入館無料だった。
中国や韓国の
日帝侵略時代糾弾の展示
を見馴れていると、台湾の二二八紀念館の展示は少し奇異な印象を受ける。台湾では、中国や韓国で見馴れた
日帝
という言葉は使わず
日治
という。ここには中国、韓国と同様に皇民化運動についての展示があり、日本語教育を行い、改姓名が行われた事実を指摘するが、中国や韓国の展示に比べると、比較的穏やかなトーンに見える。注目すべきは
光復後、大学入試等の使用言語を中国語に全面的に改めるという政策
に対し
これまで日本語教育を受けてきた若者の機会を奪わないよう、しばらく日本語の試験も並行して続けるべきだ
という主張があったことを、展示している点だ。同じことは、たぶん、旧満洲でも朝鮮半島でも起きた問題だろうけれども、このことを指摘した展示を見たのは初めてだった。
かつて日本が皇民化運動推進のために重視し、整備した
ラジオ
が、2.28事件では鍵となった。全台湾に張り巡らされたラジオ網が、
報道規制をかいくぐって、2.28事件の真相を放送でまたたくまに知らせた
のだ。
2.28事件の収束後、白色テロの時期が続く。
犠牲となったのが、
日本等に留学経験のある本省人
だった。親日的な人士はもちろんのこと、反日で鳴らした人々も、白色テロの犠牲となる。その殺害のされ方は、公開処刑であり、あるいは謀殺であり、惨たらしい拷問の末に、なかなか死なないようなやり方で殺害されたり、群集の前で打擲の末、銃殺されたりした。「光復前」から台湾のために尽くした人達も、日本の条件の良い職を捨てて台湾に戻り、新台湾の建設に燃えていた人達も多く犠牲となっている。
先輩に当たる、京都帝国大学出身者も何人もが殺されている。
こうした事実を、二二八紀念館の展示は、次々と見せる。白色テロでは、官憲に連れ去られる場合ももちろんあるが、ある日、夫が父が、
便衣に連行された
という記述が繰り返される。要は騙し討ちだ。
無惨な姿の遺体の写真、正視に耐えない検視報告、家族の証言。これらが、
白色テロで殺された人達一人一人が同じ人間であった
ことを語る。中国語が読める人間であれば、落涙せずにはいられない記述が続く。遺体が見つかったのはまだましで
その後、消息不明
という方も何人もあるのだ。法曹界や医学界、教育界そしてジャーナリストの犠牲が多い。名のある人が何人も突然白色テロの標的となっていった。
二二八紀念碑の前では、紀念式典が開かれていた。見事な白百合が、紀念碑をぐるっと取り囲んで捧げられていた。
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