新疆ウイグル自治区の民族衝突 上海万博前にムスリム弾圧
2010年は上海万博。
2008年の北京五輪をなんとか「成功」させた中国の次の国際的大イベント上海万博開催の前年に
新疆ウイグル自治区の区都ウルムチで漢族対ウイグル族の大規模な衝突
が起きている。胡錦涛が慌ててイタリアのサミットから帰国して
「暴動鎮圧」の指揮
を執らざるを得ないと判断するほどの大事だ。
とはいえ、日本の報道はあまり「大事」に見えないような報道振りで、
ムスリムのウイグル人には冷たい
ように見える。
昨年のチベット弾圧とどこが違うかと言えば
世界でうねりを起こしているムスリムを敵に回しかねない
ところである。中国共産党は
チベット仏教はマイナーな地域的宗教
くらいに思っているだろう。しかし
ウイグルのムスリム
は、世界で第二の宗教イスラム教の一員だ。ムスリムが世界でどのくらいいるか正確な数は分からないが、10億人以上はいるだろうと推定されている。
旧ソ連が崩壊した後、中央アジアの諸国は
イスラム教の復活
をなしとげた。倉庫などに転用されていたモスクは改修され、神学校であるマドレッセは復興し、多くの若者がイスラムの教えを学んでいるのを目の当たりにしたのが、いまから12年前だった。たしか、ウズベキスタンだったか、マドレッセを訪問したが、イスラム教の教えを説く師は、極めて情熱的にイスラムの勝利を説いていた。いまは更にイスラムの教えは若い層に浸透しているだろう。
中国の辺境、シルクロードが中国を抜ける辺りには、
チュルク語の地名
が散在している。
アクス
は、チュルク語で
白い水
という意味で、漢語の「白水」という地名も、「アクス」を音写した地名もどちらもその周辺には見つかる。こうしたチュルク語起源の地名は中国国境を挟んで、中国と中央アジア諸国とに同じ意味を持つ地名が散らばっている。
同じ意味を持つ地名の散在は、国境に関わりなく、イスラムの民がその地域に住んでいたことを示す。
新疆ウイグル自治区にも、アクスを音写した
阿克蘇市
がある。
御家人さんのblog「日々チナヲチ」の記事に依れば、
多数を占める漢族によるウイグル族弾圧
が深刻の度を増している模様だ。詳しくは、御家人さんの以下の記事をお読み下さい。
ウイグル弾圧:胡錦涛は、「漢人の暴走」を止められるのか。
ウイグル弾圧:今年で55周年。民族衝突より「漢人vs漢人」かも。
ウイグル弾圧:「六四モード」と「人民戦争」が、再び?
ウイグル人デモ隊に発砲、警察車両突入で轢死者17名!…ウルムチ市。
御家人さんは、上記記事の中で
世界ウイグル会議日本代表・日本ウイグル協会会長であるイリハム・マハムティ氏に電話取材
もされている。
日本ウイグル協会による事件の詳報はこちら。
2009年7月5日ウイグル地域ウルムチで起きた事件の情報
御家人さんの看破されるとおり
漢族の暴走を止められるかどうか
が、今回の民族衝突が収拾されるかどうかのカギであり、もし、
暴走する漢族を、漢族から構成される公安や軍が止められない
ことになれば、コトは中国の外周に存在するムスリム諸国をも巻き込む大きな問題に発展する恐れがある。
(追記 9:40)
産経新聞の福島香織記者のblogでは、次の2本の記事が今回の民族衝突を扱っている。
ウルムチ暴動、外国メディア取材を歓迎する中国政府の謎 2009/07/07 16:36
別にウイグル族の擁護をするわけではないのだが。2009/07/07 22:56
最初の記事では、ちょうどウルムチを旅行中だった日本人留学生に電話取材している。
2本目の記事では、アルジャジーラの記者のtwitterを紹介している。
https://twitter.com/melissakchan
(追記終わり)
ウイグル人との思い出といえば、御家人さんは上海でいろんな経験がおありのようだが、わたしも北京でその名も
魏公村(ウイグル族の村)
に1カ月あまりいたことがある。いまは中央民族大学と改称された、中央民族学院のある場所だ。名前の通り
ウイグル人だけでなく、少数民族が学校の外に商店街を形成
していた。北京五輪を前にした都市開発で商店街は取り壊され、いまや魏公村にはかつての面影はないと風の噂に聞いているが、当時は
漢族をそれほど見掛けない地域
だった。漢族があまりいないし、北京語が母語というわけではない少数民族が多いので
みんなどことなく北京語が下手
という特徴があり、日本人初学者の北京語でも問題なく用が足せた。
知り合いになったウイグル人のにいちゃんは、人なつこいにいちゃんだったが、滞在も半ばに差し掛かったある日、バスの中でそのにいちゃんと出会った。知り合いだから、北京語で話をしていたら、
ウイグル人のにいちゃんも、いっしょに話をしているわたしも、車内の漢族にまるでゴミでも見るような目つきで見られている
ことに気がついた。この時以来、中国の少数民族政策はまるで信用していない。
ちなみに、一番わたしたちを
ゴミを見るような目つきで見ていた
のが
車掌
だったのだが、乾燥した車内で、ウェストポーチからリップクリームを取り出して塗り始めたら
いきなり、「外国人に対する憧れをまじえた眼差し」に変わった
ので、よけいに驚かされた。人間、あんなに態度が変わるか、と思うくらいの豹変振りだった。塗っていたリップクリームはメンタームかなんかのだったと思うけど、
外国製のリップクリームを塗る
のが、当時は珍しかったのであろう。いきなり
怪しい少数民族から「外国からやってきた旅行客」に「格上げ」
されたらしい。下車する時には、妙に親切になっていた。
まだ中国にFEC(外貨兌換券)という外国人専用の元があった時代の話である。
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コメント
アルカイダあたりも、武器の供給源は敵に回せないみたいで
見えないふりをしているみたいですね。
敵対しようにも、テロも効かない、ゲリラ戦も効かないとなったら
対処のしようがありませんしね。
イスラム圏諸国も、大切な取引相手だからでしょうか?
今ひとつ反応が鈍いですね。
投稿: nyamaju | 2009-07-12 17:36