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2008-10-12

高齢化社会がもたらす宗派系大学の危機

その昔、
 仏教の宗派系大学は潰れない
と信じられていた。理由は
 跡取りが僧階(僧侶としての資格)を取るために必ず入学して、一定の学生数が見込めるから
だった。
ところが昨今は
 高齢化社会が宗派系大学を危機に追いやっている
という。

20年くらい前までの
 寺院子弟のライフサイクル
は、大学入学から卒業までは
 宗派系大学なら学内のコースで加行→少僧都などの資格を取る
 非宗派系大学なら、夏休みなどに少僧都養成講座などに参加して加行→少僧都などの資格を取る
というのがわたしの周りでは一般的だった。
更にお寺の規模によってオプションがあって、
 小さいお寺(80年代だと月参りのある地域で檀家数200以下程度)は兼業でないと食べていけないので、教職も取る
というのが、普通だった。3回生になって、仏教学の研究室に配属になると、まず、教授に尋ねられるのが
 あなたはお寺ですか、在家ですか
で、寺院の子弟だと更に
 お檀家さんは何軒ありますか
と聞かれ、規模によっては
 お寺だけでは大変ですね、教職も取るように
と言われる。国立大学では少僧都の資格は取れないから、寺院の子弟は、
 宗派の大学の少僧都養成講座に通って、夏休みが全部潰れた
と嘆いていた。
さて、卒業後だが、たいてい、
 副住職
ということになる。
大学院に進むとか、教職を取って中高の教員になったりしても、休日はだいたい家の手伝いである。寺院の場合は
 土日は法事で忙しい
のだった。父親と2人でお経を読んだり、よそのお寺の大規模な法事に呼ばれていったり、ともかく、人様が休みの日は、お寺は忙しいモノと決まっていた。
法事は予定が立つが、お通夜・葬儀はそうはいかない。自分のところの檀家さんだけでなく、よそのお寺からも呼ばれる。それでも
 若和尚さん(わかおっさん)
と呼ばれている副住職の内は、よそに呼ばれるのは、父親の住職だけのことが多いから、兼業でもなんとかなる。
やがて、結婚して、子どもが産まれ、父親の住職が年を取り、亡くなると
 山内不幸
ということになるのだが、これは、
 新住職の晋山式
の前触れとなる。父の死後、副住職が跡を継ぎ、今後はまだ小さい息子(がいればの話)が、父と同じようなライフサイクルを続ける筈だったのだ。
80年代辺りだと、副住職が住職となるのは、大体が40代になる位までの話だったと思う。

今は違う。
 高齢化社会で、住職がうんと長生き
になったから
 住職になるのは、50歳を超えてから
が珍しくなくなった。つまり
 一般の会社の定年退職に近い年齢になるまで、住職になれない
のである。
そうすると
 わざわざ18歳で宗派系大学に進学して、お坊さんの資格を取る
必要は著しく減る。どうせお寺を継ぐのは、うんと後なのだし、少僧都養成講座は大卒ならいつでも取れるから、
 最初は宗派系大学に行かず、普通の大学に入って就職や研究活動を有利にする
方が、人生設計としてはベターな選択ということになってしまったのだ。
 住職になるのは、定年退職後の第二の人生で十分
なのである。

そして、明らかな
 宗教離れ
た起きている。学生は、
 学科や科目に「宗教」と名が付いただけで、拒否感が強くなる
のだという。
生活習慣も変わった。80年代辺りには
 引き墓
といって、田舎にある先祖代々のお墓を都会のよそのお寺などに移すときには、いろいろ面倒な手続きをしなくてはならない、という慣習が根強くあったのだが、最近はそもそも
 法事自体が減る
傾向があり、お墓も
 無宗教の墓
などに人気が出るようになってきたから、
 檀那寺を抜けることに抵抗がない
のだそうだ。田舎に残された両親は、まだお寺をある程度は大事にしてくれるけれども、都会に出て行ったきりの子ども達は、その手の付き合いはほとんどしない。結局、田舎の両親が亡くなってしまうと、それっきりで、田舎のお寺の檀家さんの数は、どんどん減っているという。
檀家さんが減ってしまえば、お寺は経済的に逼迫していくわけで、
 専業だったお寺も兼業に変わっていく
次第だ。もともと檀家数が少ないお寺であれば、檀家さんからのお布施はあてにならなくなる。こうなってくると、
 お寺を継ぐことの意義
も、経済的な重みが減り、だったら、他の仕事の方がいいや、とお寺を離れる子弟が増えてきても不思議はない。

かくして、高齢化社会は
 檀家数の減少と住職になる年齢の高齢化
をもたらし、
 仏教の宗派系大学へ進学する若年層の減少
を生んだ、ということらしいのだ。

いやはや、知らない間に、凄い話になっていましたね。

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コメント

やはり、ここ15年ほどの新興宗教がらみの事件が影を落としているせいかも知れませんね。

投稿: マルコ | 2008-10-13 16:56

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