Nスペ 人事も経理も中国へ@9/3 22:00-22:50
現在放映中。
通販のニッセンが中国大連に業務をアウトソーシングしている様子を取材。始まったばっかりだけど、これは凄い。
数年前に、アメリカの電話サポート業務をインドにアウトソーシングしたのと同じことが日本でも起こっている。(22:06)
続き。(23:10)
番組内容は以下に。
人事も経理も中国へ製造業の分野では続々と生産拠点を中国へ移し、コストダウンを図ってきた日本企業。そして今、人事や経理などホワイトカラーの仕事までもが次々に中国へ移っている。大連や上海などの都市では、日本語を話せる人材の育成を強化し、日本のサラリーマンの5分の1以下という人件費を武器に、日本企業の仕事を大量に請け負っているのだ。中国にホワイトカラー業務を移した日本企業は2500社に上る。
血のにじむような効率化を重ねてきた製造現場に比べ、日本のホワイトカラー一人当たりの生産性は先進国で最低と言われている。言葉の壁に守られてきた日本のホワイトカラーが中国との厳しい競争にさらされている。
番組では、ある大手通信販売会社が踏み切ったホワイトカラー部門の中国への業務移管に密着、グローバル化の荒波に突然飲み込まれた、サラリーマンたちの苦悩と再起への決意を描く。
大連外国語学院の日本語学習レベルは高い。戦前、日本人が多く住み、日本語の話せる人たちがいた大連が、経済的発展を
日本語の話せる人材育成
に賭けたのは当然だ。わたしも大連外国語学院の先生には知り合いがいるけれども、日本語熱は高いし、学生の日本語レベルはなかなかのものだ。
以前、日本語学習者の就職は
翻訳(通訳)
が多かった。かつての日本語1級試験は、今とは比べものにならないレベルで、恐らく再受験すると、合格しないのではないか。大連では、そうした
古い日本語1級をもった日本企業の翻訳の人たちの面接
をしたことがある。彼女たちは、自分たちのキャリアが頭打ちになっているのを感じ、日本に留学したいと考えていた。しかし、元翻訳の日本留学は、あまり成功しないのだった。
その世代より遙かに若い人たちが、いま大連で日本企業のアウトソーシングに携わっている。彼らは、子どもの内は日本のアニメを見、以前と比べると遙かにマシな日本語の教科書を使って勉強している。
日本語教育についていえば、中国東北部にある、朝鮮族の学校では
日本の中学高校に当たる課程で、英語か日本語かを選択する
ので、日本語学習歴は長い。しかし、日本の中高で6年間英語を学んでも身につかない生徒が多いように、朝鮮族の学校で日本語を学んだからといって、日本語能力が高い生徒ばかりではない。むしろ、英語を学んでいないために、日本留学はできても、その後のキャリアに問題を生ずることがある。
いま、大連外国語学院などを卒業して、大連のアウトソーシング会社に勤めている若い中国人は、日本語1級を取っているだろう。日本語1級の試験内容は、日本の高校生にやらせても、おそらくそうそう高得点は取れないのだ。生活言語としての日本語能力を問うのが日本語能力試験だからである。たとえば
のし袋・香典袋の表書き
なんて問題が出たりする。
こうした実践的日本語を学んだ層が、今回の
ニッセンのアウトソーシング
に関わった26歳の付玉さんだった。大連からバスで4時間の農村に生まれ、父は工事現場で、母は工場の掃除をして、彼女を大連の学校に上げてくれたのだ。父母は文革世代とおぼしい。教育を受けたくても受けられなかった世代である。給与も高くない。そんな両親がそれこそ身を削る思いで、高い学費を出して、娘を大連の学校にやったのである。ハングリー精神が最初から違う。実に意欲的だし、こうした学生に接したことがあるけれども、性格もよく、優秀な学生が多い。目標を一つに定めているから、ぶれることがない。
最近の日本の若者は、最初から与えられている。自分たちが苦労して、何かを手に入れた経験が少ない。我慢したこともあまりない。
そういう成長過程をたどった日本の新入社員と、語学が身を立てると信じて仕事に臨む中国の若者とでは、自ずと就業態度に差が出るだろう。特に、ニッセンに就職する日本の若者と、アウトソーシングを受ける中国の若者とでは、意欲の面で、大きな差があると思われる。ニッセンにとっては
コストカット
だろうけれども、中国の彼らにとっては
大きな収入を得られるチャンス
なのだ。そして、彼らはたぶん、一つの職場に止まることなく、やがて、もっと自分たちを高く買ってくれるところへ迷わずに進んでいく。
今日の番組があぶり出したのは
日本語の壁にあぐらをかいて、生産性の低い仕事を続けていた日本のホワイトカラーの将来
である。早晩、少子化で、日本国内の労働人口は減る。今、起こっているのは
仕事を海外へ移す動き
だ。これなら移民を受け入れなくても可能だから、社会の抵抗が少ない。
2015年までに40万人規模のホワイトカラーの仕事が、海外に流出する計算だという。
これからの日本に求められているのは
決められた仕事をそつなくこなすジェネラリスト
ではなく
その人にしかできない仕事をやりとげるスペシャリスト
だろう。ジェネラリストの仕事は、切り分ければ、マニュアル化できる
時給の安い仕事
なのである。これは同時に
ジェネラリストを養成してきたこれまでの大学教育
にも、警鐘を鳴らしている。
ある優れた能力をできるだけ伸ばしてやること
が、今後、日本が生き延びる道ではないのか。それに見合う教育制度が今の日本にあるのか、それを考えると後ろ寒い思いをするのだ。
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