『めだかボックス』がおもしろい。マンガじゃなくてアニメの話です。
確かに喜界島会計はかわいいけど、別にそれに限った話でなく、まだまだ小気味の良さが残るシナリオで、本当に西尾維新は単発で無駄のないシナリオをキャラクターで書く能力に優れているなあと感心。
甚だ不本意ながら喜界島会計の魅力について言及せざるを得ないわけですが、彼女の魅力は
- お金にしか興味がない無表情キャラ→善吉との距離感にてんやわんやの赤面ボケキャラのギャップ
- ここぞとばかりに飛び出すきゅんきゅんセリフ(「私とどっちが好きなの」的な質問)
- とゆーか喜界島会計にがっちりサイフを握られたいです
だと思います。3つめはまさしくぶひぃなメンタリティで、だからこその会計係なんだと思います。
で、めだかボックスにおける喜界島会計のウェイトっていうのが、自分でも正直不明なところなんですが、アニメ始まってからずっと安定して面白いのでここいらで何か書いておこうというところです。
まず、シナリオをキャラクターで書くということについて。これは普段から考えながら未だになにも掴めていない議題のひとつですが、シナリオをキャラクターで書くのとシナリオでキャラクターを描くのとの差について、です。
一般的に言って、キャラクターなるものを描くために必要なエピソードなりなんなりを考え出すわけだけど、西尾維新の場合はキャラクターがシナリオによって形成されているようなイメージ。もちろんキャラクターとシナリオはそれぞれ相互作用でポジティブフィードバックだっていうのは理解しているんだけど、なんかそういうイメージがあります。
で、話は変わるんだけど、それと同時にキャラクター(特に女性キャラ)が消費者にどう見られているかをすごい意識していて、ちゃんとコントロールしている。
めだかちゃんはともすれば嫌味キャラ説教キャラになってしまうところを、善吉(と阿久根書記)の解説(説教の上塗り)によって回避しているし、動物が逃げるというチャーミングな一面は、消費者からして親しみやすさを向上させるエピソードに見えるけれど、その実「めだかちゃんにはブヒるなこの豚ども」って牽制している。消費者はめだかちゃんとの心的距離をうまくコントロールされているわけです。
で、話はここに回帰するわけだけど、喜界島会計は反対にかなりオープン。彼女の持つ閉塞的な要素はお金至上主義的な(めだかちゃんや善吉の精神と比較すると)馴染みのある感情で、その特性は領収書という形で他のキャラクターと接する窓口にもなり得る。きゅん死にしそうなセリフとか、善吉との会話とか、すごい隙だらけな人で、こちらは「好きなだけいじってくれ」「存分にブヒってくれ」と提供されているのです。
なんか芸術家な子が絵のモデルを探す話があったけど、ああいうのもうまいと思う。「こう見てくれ」というのがあって、僕らは実際そう見させられている。
それはそうと、ブヒとかぶひぃっていう言葉の定義をそろそろしなくちゃいけないような気がする……
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『めだかボックス』がおもしろい。マンガじゃなくてアニメの話です。 確かに喜界島会計はかわいいけど、別にそれに限った話でなく、まだまだ小気味の良さが残るシナリオで、本当に
『めだかボックス』がおもしろい。マンガじゃなくてアニメの話です。 確かに喜界島会計はかわいいけど、別