- 05 - 22 2012
- アニメ一般
隠れてていいよさんの見るアニメを制限するか、制限がなくなるように精神状態を整えるかというエントリについて、僕も去年の末頃から思っていたことを書き出してみようかな、と。
この4月から大学院生です。先日のエントリでも書いたように、なかなか忙しくてまともにアニメも見られない(or 見る時間を作るために睡眠時間を削って、結局半分くらい寝ながら見る)ような状況が続いています。で、実はこういうのって最近に限ったことではなく、だいたい半年前からそんな傾向があります。
で、そういう生活をしていると、「はー、アニメ見るか」となったとき、レコーダーに録画してある中で再生されやすいタイトルと再生されにくいタイトルがあるわけです。
そんなわけで、ここ1年のタイトルで、つい再生してしまうタイトル(5)から、再生ボタンを押すのにエネルギーが必要なタイトル(1)まで5段階にして分類してみました。(わりと順不同、視聴全タイトルですらない)
5 | 俺たちに翼はない、ロウきゅーぶ!、まよチキ、ベン・トー、探偵オペラ ミルキィホームズ、アマガミSS、ハイスクールD×D、男子高校生の日常 |
4 | 日常、TIGER & BUNNY、DOG DAYS、アスタロッテのおもちゃ!、Aチャンネル、青の祓魔師、緋弾のアリア、へうげもの、R-15、うたの☆プリンスさまっ♪、アイドルマスター、異国迷路のクロワーゼ、WORKING!、マケン姫っ!、Fate/Zero、ガンダムAGE、真剣で私に恋しなさい!、ファイ・ブレイン、未来日記、輪廻のラグランジェ、戦姫絶唱シンフォギア、キルミーベイベー、アクエリオンEVOL、黒子のバスケ、これはゾンビですか?、めだかボックス、這いよれ!ニャル子さん、アクセル・ワールド |
3 | よんでますよアザゼルさん、変ゼミ、神のみぞ知るセカイ、デッドマン・ワンダーランド、BLOOD-C、セイクリッドセブン、いつか天魔の黒ウサギ、君と僕、C3、たまゆら、僕は友達が少ない、モーレツ宇宙海賊、BRAVE 10、あの夏で待ってる、パパのいうことを聞きなさい!、夏色キセキ、ヨルムンガンド、AKB0048、謎の彼女X |
2 | 花咲くいろは、C、まりあ†ほりっく、電波女と青春男、GOSICK、夏目友人帳、バカとテストと召喚獣、神様のメモ帳、No.6、STEINS;GATE、ゆるゆり、境界線上のホライゾン、灼眼のシャナ、ペルソナ4、UN-GO、偽物語、妖狐×僕SS、ブラック★ロックシューター、Another、黄昏乙女×アムネジア |
1 | あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない、輪るピングドラム、LAST EXILE 銀翼のファム、ギルティクラウン |
ここからはあくまで「~~な傾向がある」程度の話で、あまり厳密なものではありませんが、視聴後の満足感としては下のものほど強くなる印象。
分かりやすいなあと思うのが、いわゆるブヒ枠ってやつがだいたい5に位置していること。前クールは卒論時期が毎日本当に疲れ果てていて、もうアニメに頭を使いたくないという欲求が強かったわけですが、そんなときに発見したのが「萌えなんてチープであるほどいい」という法則。チープといって具体例を挙げるとファンの方から反感を買ってしまうのでしませんが、まあ、言い換えると「シンプルがいい」ですかね。
あの時期にロウきゅーぶ!をやっていたら、智花はガチ天使になっていたに違いないのです。あの時期にISをやっていたら、全力でぶひぃって言っていたに違いないのです。(具体例を挙げてしまった!)
で、それはわりと物語そのものにも言えることで、物語構成が難解になるほど視聴にエネルギーが必要になってくる。僕の場合はテーマの重さみたいなものはわりとどうでもよくて、要するに自分からなにかを捕まえに行きたいと感じるアニメか、受動的に見てもいい(見るのがいい)と思うアニメか、という差がこの表に表れていると思う。
ただ、「疲れているからこれ以上疲れるようなものを見たくない」というよりはむしろ、「このアニメは万全の状態で見たい」というメンタリティなんじゃないかと思う。
最初にリンクを張らせていただいた記事の最後が、
あるアニメを一度しか見れないという制約があるとします。そんな時、あなたは、どんな精神状態であろうとしますか?
という言葉で結ばれているんですが、まさにこの通りで、疲れて疲れて眠くて眠くて仕方ないときにこのアニメを見たくはないという考えだと思う。
じゃあ、上の方のものは大切じゃないアニメなのかというとそれは語弊というもので、ブヒ枠にはオアシスとしての効用があるわけで、非ブヒ枠は受動的に見ても面白いということの証明です。
繰り返すと、能動的に見たいかどうかという話であって、面白いとか面白くないとか、ブヒれるとかブヒれないとかいう話ではないです。
アニメの面白さはこういう広帯域性にあると思っているんだけど、たくさん録画してある中でついつい再生しちゃうタイトル、裏を返すと視聴にエネルギーを必要としないタイトルは、そのアニメをどれだけ能動的に視聴したいかという指標に反比例する(これは実例を挙げるまでもなく、言葉から明らかなわけですが)ということらしい。
実はこの1年ほどずっと感じている絶望感みたいなものがあります。それは「僕はもうヨスガノソラには出会えない」「もう穹には出会えない」ということ。
ヨスガノソラって、放送時期に毎話3回くらい視聴して、毎話感想を書くために2時間ほど費やして、放送終了後に通して数え切れないくらいの回数見たアニメなんですが、今思うと、あれってものすごいエネルギーを投入していたわけです。ええ、もうアホの領域です。
そういうのって、今の生活(とこれからの生活)を考えると、もう二度とできないんです。持てる全てのエネルギーと時間をあるひとつのアニメに費やすということが、もうできない。
能動的に見たいと思えるアニメが溜まって溜まって、うんヵ月後にまとめて見ているような現状、ヨスガノソラみたいな見方はできなくて、そういう見方が出来ない以上、そういうアニメにも出会えないだろう、と。
持っている時間、引き出せるエネルギーと相談しながら現実的な「出会い」を求めて試行錯誤しているわけですが、さてどうなることやら。
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