2008年11月30日 (日)

快傑ライオン丸(トーク用メモ)

フジテレビのCS番組「特撮伝説ピープロ魂」(2007年8月10日オンエア)に呼ばれたときのメモです。『ライオン丸』中心に絞ってほしいという要望でしたので、そのQ&Aになってます。タイガージョーは現場で語ればいいと思ったのか、ちゃんと書いてませんね。文章になってなくて、すいません。「ゴリラの自動販売機」って、人間が中に入る催事場用のもので、ピープロはそういうのもやっていた、そういう感覚が地続きだという話ですね(笑)。

『快傑ライオン丸』はファンタスティックコレクションの最終回あらすじ書きが燃えました。DVD-BOXも最終回だけ諸事情できれいな映像が『風雲』の方に行ってしまったのですが、そこを増補改訂した廉価版BOXも出てます。
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Q.ピープロ特撮の魅力とは?

・絶対に他ではできない発想。
 ゴリラの自動販売機
・悪側に思い入れ
・猫族へのこだわり。
・肉で言えば「レア」な感じ。
 血がしたたるような生っぽいところ。
 腕が溶けたり、残酷。
 安さも生っぽい。
 ライオンの面が生きてるように見えてくる。
・妙に古典伝承的、講談風な継承
・急に「絵」になってしまう
・メチャクチャだけど、入ってしまうとシビれる。
・オトナが作ってる

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Q.印象に残ったライオン丸の場面、エピソードは?
(快傑でお願いします。ベスト3で熱くお願いいたします)。

1)最終回「ライオン丸 最後の死闘」
 ライオン丸が弱い:タイガージョーに護られたりする
 その弱さを見つめるところがいい
 ゴースンも事実上、一太刀で仕留める

2)第27話「悪の剣士タイガージョー」
 ライオン丸に執念を燃やし始めるなかで、
 過去が語られる。映像が渋い。

3)第24話「ライオン飛行斬り対怪人トビムサシ」
 「美女と野獣」もの
 目の見えない少女を助けるためにゴースンと契約するトビムサシ
 「異形の者」の宿命が端的に描かれている。
 二重構造がすごい。ひな鳥が落ちた→通行人の目を斬った
 武芸者としての葛藤、求道に生きる気高さ。
 でも、なぜかフェンシング(笑)
 一転して夕景になったり、目は治らない:それを受け入れる
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Q.好きな怪人を選ぶとすると何? 両ライオン丸でお願いします。

【分身魔王デボノバ】
宇宙猿人ゴリを演じた遠矢孝信さんが入っていて、クレジットを見る前にその手の演技とか偉そうな態度で「あ、ゴリ様だ」とわかる。目に電飾入ってるのも、さすが幹部。声も清川元夢さんで、格好いい(8~13話)。大宮ていじだったり、飯塚昭三だったり。
アクション俳優集団JFA所属。

【ネズガンダー】
ネズミが銃を持って、ネズガンダー。やってることはタイガージョーと変わらないのに、人気は出なかった。おっさんくさいせいか、シルエットがアブナイからか……。

【パンダラン】
実は猛獣という説を先取り? オカリナを吹くオバQみたいな造型。
トドカズラとか、カワイイ系の怪人が多い。

【キチク】念仏を唱える。ゴースンに逆らって島流し。急に娘の血が飲みたいと言い出す。

ドクロ仮面3号、算用数字の「3」って書いてある。メチャクチャ。

【ノイザー】ビワを弾く(琵琶法師)

【ジェンマ】ゴースンに敵対するガンマン怪人。マカロニウエスタンのジュリアーノ・ジェンマ。「暁のガンマン」「怒りの荒野」 その次は「マフィアン」 子ども置いてきぼり

風雲だと「ドカゲ」や「シャゴン」高山良策造型で妙に出来がいい
「ケカビー」などは『シルバー仮面』に出てきそうな。
「ガズラー」はセブンのワイアール星人。
三色仮面、バイクに乗ってる。

ネーミングがすごい。オロチとか
「ワクランバ」 → 病葉(わくらば)
「ヤマワロ童子」とか。割と正当派。
かと思えば「ドキ」はハニワ。
「フラワンダー」って、なぜ英語?
あげくに「キチク」だし。

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Q.また、タイガージョーについて一席いただければと存じます。

ピープロの魅力の一つに「憎めない悪役(ライバル)」があったりしますので、個人的にも勧善懲悪っぽくないところが好きでした。

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2007年1月14日 (日)

さよならジュピター

題名:ジュピターが集めた、熱いSF的視線

<リード>
この映画の誕生過程には、当時の世にあった“SFへの情熱”の影が焼きついている。
国産初の本格的SF映画誕生への期待──それは周囲状況と、どう関連していたのだろうか?

<本文>

●小松左京とSF映画

 本作で一番重要なのは、実は作品そのものではなく、「なぜあのとき『さよならジュピター』というSF映画が必要とされたか? どうしてあれだけ話題になったのか?」という部分ではないか。それを周囲状況を中心に確認したい。
 そもそも小松左京がSF作家として出発するきっかけにも、SF映画が大きく関係していた。1961年、早川書房の第1回S-Fマガジンコンテストにおいて選外努力賞として『地には平和を』が入選、これがデビューの契機となった。このコンテストには東宝も出資し、選者に『ゴジラ』のプロデューサーとしても知られる田中友幸が名を連ねている。換言すれば、小松左京デビュー作はSF映画のための原案提供として書かれていたことになる。
 1961年の東宝は、円谷英二特技監督が大作映画を発表していた全盛期だ。翌1962年の『妖星ゴラス』は、奇しくも『さよならジュピター』に通じる大作映画であった。地球に大質量の星が接近し、衝突の危機を地球の南極にロケット推進器をつけて軌道変更させて回避する──この大胆かつ破天荒なアイデアのイメージの映画が、小松デビュー時期と重なるのが面白い。
 60年代の東宝における小松左京の映画の仕事には、『日本アパッチ族』がある。岡本喜八監督、クレージーキャッツ主演とまで決まったが製作中止となり、現在の小説版は脚本をもとにしたものだ。70年代、小松左京は『日本沈没』で空前のベストセラー作家となった。この作品は、田中友幸プロデューサーのもと、1973年に東宝で映画化されてやはり大ヒットとなり、TV版も作られた。次いで小松原作の超能力アクション『エスパイ』が映画化され、田中・小松間の関係が続く。
 このように、小松左京とSF映画には、濃密な関係があったわけである。

●ジュピター発進

 1977年8月、その田中・小松の関係は、『さよならジュピター』を機に復活する。発端は、東宝映画社長(当時)の田中友幸が米国でヒット中の『スターウォーズ』への対抗作の相談を小松左京のところに持ち込んだこととされている。
 日本で『スターウォーズ』が公開されるのは、米国に1年遅れて1978年。しかし、1977年8月と言えば、『宇宙戦艦ヤマト』の劇場映画が大ヒットしていたタイミングである。ハイティーン中心に宇宙SF映画が受け入れられる素地ができていたわけで、田中友幸の来訪もヤマトのヒットを受けてのものと推察できる。。
 映画や出版業界では大SFブーム到来が期待されていた。その中で、新しいものに意欲的で行動力もあり、SF映画とも縁の深い小松左京に白羽の矢が立ったのは、歴史的必然であっただろう。
 小松サイドには前年アニメ用に準備した原案があり、すでに『さよならジュピター』という題名と木星太陽化計画という骨子もできていた。だが、そこで原作を渡してお任せにしようと思えばできたのに、小松は安易にGOを出さなかった。1977年9月から1年間、16回にわたってSF作家を集めてブレイン・ストーミングを行い、そこからアイデアをまとめていく方式がとられたのである。
 参加者は、1980年に小説版が週刊サンケイ誌上で連載開始されたとき共作者として名をつらねた豊田有恒・田中光二・山田正紀ら3人を筆頭に、高斎正・野田昌宏・伊藤典夫・鏡明・横田順弥(弥は旧書体)・井口健二・高千穂遙ら。スタジオぬえの高千穂遙は同社のデザイナー宮武一貴を初期からビジュアル化に投入。大きくイメージ固めをしていった。
 小松には、1970年にまとめたSFシンポジウムで、SF界のワーキング・グループ制でイベントを達成した実績と成功経験があり、もっと大きなものに育つという目算があった。

●小松左京の意気込みと周囲の期待感

 1978年のブレスト終了当時、新聞記事(報知新聞)では、「アイデア、フィロソフィー、どれ一つとっても外国に負けないSF映画を作ってみようじゃないか」と、小松左京自身がそのモチベーションの根幹を熱っぽく語っている。
 そこで対比されている米国の『2001年宇宙の旅』(1967年)は、SF映画の金字塔と呼ぶべき作品だ。空気も重力もない単一光源の宇宙空間を完璧な精度で模擬した映像と、人が宇宙へ出ていく意味性という思弁を、高い次元で調和させた点に、強いSF性がある。年月が経つにつれ重みの増すようなタイプの映画である。それに比肩しうるSF映画が、日本SF界の叡智を結集してつくられるというニュースそれ自体に、かけがえのない価値があった。
 それは、SFが拡散して、かつてはSF入門として必読だったはずの『アルジャーノンに花束を』がトレンディードラマとして放送されたりする現在は──そんな21世紀が来るとはSF界の誰が予想しただろうか──わかりにくいことかもしれない。だが、後に「オタク」と呼ばれるハイティーン層にとって、「SF」とは通過儀礼であり、価値観の頂点を成すものであった。
 たとえば1977年以前は、アニメ作品や特撮作品を語ったり、サークルを募集する場として、まずSF雑誌が利用された。成人を数年後に控えて、「いつになったら卒業するの」と言われ続けてきた当時のファンたちは、まず「SFとして大人の鑑賞にたえる」という枕詞を必要とした。このころ書かれた文章には、『ウルトラマン』も『宇宙戦艦ヤマト』も、「SFとして評価しよう」という気負いが充満しているはずだ。
 加えて70年代後半はSF界の成熟期でもあった。文庫で内外の名作が容易に入手できるようになり、SF雑誌も増殖し、若手作家も続々と傑作を発表。その中で「センス・オブ・ワンダー」という言葉は輝きを増す一方だった。
 科学的設定を突きつめた舞台で、価値観を相対化したドラマを展開することで、既成の閉塞からジャンプする感覚を得ること──それが筆者なりの「センス・オブ・ワンダー」の定義だ。小説・アニメ・特撮を問わず、幼少のころからつきあってきた作品群の価値を、センス・オブ・ワンダーでひとつに貫けると自覚したファンたちは、「SFマインド」を何より大事と考え始めたわけだ。

●ビジュアル派SFファンの覚えた疎外感

 だが、事態はそう単純で甘くはなかった。
「ビジュアルが引っぱるSF」という新たな価値観をもった新規参入者は、もともと一種の選民意識と被害者意識を表裏一体で持つようなところのある古参のSFファンに反発を招いたのではないだろうか。次第に軋轢や分断が生じ始める。
 アニメや特撮を大人の言葉で語りたくてうずうずしていたビジュアル派は、当初「SF性の発見」さえ行えば先達のSFファンにも認められ、仲間入りができると踏んでいた。だが、SFの世界で待ち受けていたのは「○○はSFではない」という、冷たいリアクションだった。
 たとえば「月刊スターログ」(1980年10月号)の表紙には、「賛否大論争直撃ルポ SFアニメ・ブームを斬る! ヤマト、ガンダム、コナンはSFなのか?」と大書されている。新しく立ち上がったアニメ文化ごときは斬り捨てようという閉鎖的空気がSF界にあった証拠だ。他にも不毛なSF論争は、いくつも存在した。
 さらに不幸なことに、SFに踏みつけられたアニメファンが、今度は特撮を踏みつけるという構図すら発生した。ハイテクを導入した欧米SFX大作と、日本の伝統芸化しつつあった当時の特撮を対置した文章もこのころ多いはずだ。

●集まっていったSF界の熱い視線
 疎外のあった反面、1981年の日本SF大会ダイコン3では、ダイコンフィルム制作のオープニングアニメが拍手大喝采で受け入れられた。既存の国産アニメ・特撮・漫画へのビジュアル的オマージュに満ち満ちた、フュージョン感覚のフィルムである。前述の閉鎖現象とはまったく正反対のベクトルも同時に発生し始めていたのだ。
 このように、SF界と国産ビジュアル(アニメ・特撮)の仲は、引き裂かれながらも、新しいものを求めて引き合い融合するという、次のステージに向かうとき特有の、複雑で不安定な時期を迎えていた。そうした空気の中で、準備段階の『さよならジュピター』が発信するニュースには、SFに興味を持つ者の熱い視線を集めさせるものがあった。純粋なSFマインド、欧米を参考にした撮影技術、アニメ的手法やデザインの導入などなど……これまでの国産映像世界に風穴を開けるのではないかという期待、そして同時に反発も大きかったはずだ。
 大好きなアニメのSF性を否定されて泣いたファンは「そんなに言うなら本物のSF映像をやってみせろよ」と冷淡な目で見つめただろうし、確かに既存作品にはSF性が少ないと不満に思っていたファンは「今度こそ……」という必中の期待に夢をふくらませていたことだろう。

●ジュピターが担っていた明日への意味

 周囲のテンションが高まれば高まるほど、無数のファンをSFの世界へと誘ってきた巨人・小松左京は、前人未踏のプロジェクト達成に燃えたのではないか。2003年ではデーターベースソフトで映画を管理するのも一般化しつつある。だが、小松左京はそれを1980年代初頭に実行していた。当時先進のOA(この言葉もそろそろ死語)を、まるで21世紀からやってきた未来人のように予見的に導入し、さまざまな手法を駆使して準備を進めていた。
 クリエイターやボランティアの労働力を束ね、入念すぎるほどのプリ・プロダクションを積み重ね、大勢のSF界のリソースを引っぱっていった小松左京の原動力とは、未来(つまり21世紀のいま現在だ)におけるビジュアル全盛時代への予感と先行投資だったのかもしれない。だとすれば、それは時代の空気とその流れに敏感で、1970年大阪万博以後、常に未来を志向して活動してきた小松にしかできなかった総決算的な仕事と言える。
 以上述べたように、SF界のビジュアル新世代への入り口に起きた、坩堝か闇鍋のようなグツグツした、温度だけは異様に高い状況は、確かに存在した。それは肯定するにせよ、否定するにせよ、日本のSFとSF映像の未来を真剣に思いやった熱の発散であった。その情熱の温度を念頭におかないと、『さよならジュピター』の完成フィルムに対して、なぜあれほどまでに、みんなが一喜一憂したのかがわかりにくくなってしまうだろう。
 もちろん、フィルムは独立したひとつの映像作品で、状況と切り離されてその時代時代の基準で鑑賞されるべきではある。だが、『さよならジュピター』という題名を聞いただけでも脳内をめぐる往時の熱い記憶もまた、ある世代にとってはかけがえのない「自分の一部」ではないか。
 想いの熱さを、いままた共有できるかは不明だ。だが、こういった流れを時代の記憶として再見の前に確認するのも無駄ではないと信じている。
 そうすることで、この映画の「明日への意味」がまたひとつ見つかれば幸いである。
【初出:「さよならジュピター」DVDデラックスエディション解説書 脱稿:2003.02.07】

●2011年7月29日付記 26日に亡くなった小松左京さんのご冥福を謹んでお祈りします。 なお、同作のスタジオぬえによるデザイン画は以下の本に10ページほど掲載されています。

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2006年12月24日 (日)

特撮DVD-BOX特集

●宇宙刑事シャリバン
 赤く輝き、ハイテク感あふれるメタルスーツ。80年代のニュー特撮ヒーロー、それが宇宙刑事だ。第2作のシャリバンは、勇気と優しさを教える男。見どころはJACの面々が身体をはったボディ・アクション。吊り橋や断崖からジャンプしながら全身が光につつまれ、ぐぐっとポーズを決める変身シーンは、まさに特撮の醍醐味だ。勇ましい渡辺宙明の音楽に乗せ、レーザーブレードは敵を切り裂き突き刺す。元祖スターウォーズを越える迫力に、大興奮する。

発売・東映ビデオ/バラ売り 全5巻(第1巻初回には特典BOXつき)/出演・渡 洋史、降矢 由美子、西沢利明、名代杏子ほか/監督・小林義明、田中秀夫、小笠原猛、辻理、小西通雄ほか/1983年東映作品

●帰ってきたウルトラマン
 町がスモッグに煙りだしたあのころ。もう無邪気な子供ではいられない……そんなたそがれた感覚を、僕らは持ち始めていた。本作には、そんな70年代的空気がいっぱいに詰まっている。M78星雲から帰還したウルトラマンにも、傷つき悩み苦闘する人間くささがあふれていた。隊員同士の軋轢や、コンプレックスを抱いた青年など、大人を感じさせるドラマが多いのも特徴。今回は先進のデジタルリマスターにより、驚くべき鮮明さで時代の空気がよみがえる。

発売・パナソニックデジタルコンテンツ/バラ売り 全13巻予定/出演・団 次郎、岸田 森、榊原るみ、池田駿介、西田健ほか/監督・本多猪四郎、筧正典、冨田義治、山際永三、大木淳ほか/1971年円谷プロ作品

●バンパイヤ
 バンパイヤとは、普段は人間の姿なのに、あるきっかけで動物に変身してしまう呪われた種族のことだ。虫プロ商事が、手塚治虫の原作を“実写とアニメの合成”で表現した。主演のトッペイは若き日の水谷豊。月を見ると、トッペイの目は輝き、全身に剛毛が生え、牙が伸びて狼に変身する。米国の特殊メイクに先駆け、リアルな変身ものを驚きの映像で描いた。変身後はセルアニメになってしまうが……。手塚先生も自分自身の役で出演している。

発売・コロムビアミュージックエンタテインメント/BOX(7枚組)/原作・手塚治虫/出演・水谷 豊、山本義明、佐藤博、渡辺文雄、左卜全、手塚治虫/脚本監修。福田義之/監督・真船禎ほか/1968年虫プロ商事作品

●快傑ライオン丸
「風よ、光よ! 忍法獅子変化!」変身を忍法としてとらえた斬新な時代劇ヒーロー、それがライオン丸だ。白い獅子の流れるたてがみ、マントをまとった姿に「心」と書かれたヨロイ。天馬にまたがり、刀を構えるその立ち姿の美しさは感動ものだ。ライバル役のタイガージョーの生き様にも共感たっぷり。最終回、自らを犠牲にして大魔王ゴースンに決死の戦いを挑むライオン丸の毅然とした姿は、主人公獅子丸のまっすぐな気性を反映し、ひたすら涙である。

発売・アミューズソフト販売株式会社/BOX(全2巻)/上巻29,800円(5枚組) 下巻25,800円(4枚組)/原作・うしおそうじ/出演・潮哲也、九条亜希子、梅地徳彦ほか/監督・石黒光一、土屋啓之助ほか/1972年ピープロダクション作品

●仮面ライダーV3
 仮面ライダー人気の絶頂期に登場した続編キャラ、それがV3だ。この作品にはあらゆる点に華がある。特に主人公・風見志郎を演じた宮内洋は、ヒーローを演じるために生まれてきたような男。いたるところで目立ちまくる。爆風の中でよろめきながら、びしっとポーズを決め、「変身、ブイスリャ~!」とフシをつけたかけ声とともに、一気にV3に変身。空中アクションも軽やかに、V3キックでデストロン怪人を粉砕する。このカタルシスは最高だ。

発売・東映ビデオ/BOX(9枚組+特典ディスク)/52,000円/原作・石ノ森正太郎/出演・宮内洋、小野ひずる、川口英樹、山口暁、小林昭二ほか/監督・山田稔、内田一作、奥中惇夫、塚田正煕、田口勝彦ほか/1973年東映作品

●愛の戦士レインボーマン
「黄色いブタをぶっ殺せ!」この作品の敵側は宇宙人でも魔王でもない。日本人を抹殺しようとする白人、ミスターKだ。彼の死ね死ね団は、あの手この手で日本人を苦しめようと社会に挑戦する。対するレインボーマンはインドで修行し仏教の力で七つの化身となる力を会得したヤマトタケシ。独特の世界観は、原作者の川内康範ならではのもの。偽札を使う新興宗教が日本社会を混乱させる前半部は、主役の濃い演技とともに、異様に高いテンションで痺れまくり。

発売・東宝/BOX(全4巻)/各12,000円(各2枚組)/原作・川内康範/出演・水谷邦久、平田昭彦、塩沢とき、曽我町子、石川えり子、井上昭文、藤山律子ほか/監督・山田健、長野卓、砂原博泰、六鹿英雄、児玉進ほか/1972年東宝作品

●仮面ライダーアギト
 アギト、ギルス、G3……バイオとハイテクの仮面ライダーを配し、三人ライダーが誕生した。優しい主人公の加え、野性味あるスポーツマン、職務に実直な警官とバリエーションを持たせ、誰かが好きになれるラインを確立、イケメン特撮ブームを不動のものとした。敵側アンノウンの目的やアギト自身の謎など、ミステリアスな雰囲気で引っ張る作風もおいしい。アニメ畑の出渕裕デザインの怪人も美しく、後半登場のアナザーアギトは今でも大人気である。

発売・東映ビデオ/バラ売り 全12巻/各5,800円/原作・石ノ森正太郎/出演・賀集利樹、要潤、友井雄亮、秋山莉奈、菊地隆則ほか/監督・田崎竜太、長石多可男、六車俊治、石田秀範、鈴村展弘、渡辺勝也金田治ほか/2001年東映作品

●スペクトルマン
 本作は、公害問題真っ盛りの時代に製作され、チープな特撮ながら、圧倒的にダークなパワーがフィルムにみなぎっている。汚染物質をもとに生物を改造して怪獣にして地球支配をたくらむ宇宙猿人ゴリ。対抗するスペクトルマンは、公害Gメンと協力して戦う。DVDのパッケージがかなり話題になった。なんとスペクトルマンの「生首」を再現。実物大のマスクの中に、DVDケースを収納可能となっている。既婚者が持ち帰れば、家庭争議になるかも?

発売・アミューズピクチャーズ株式会社/BOX(10枚組)/56,800円/原作・うしおそうじ/出演・成川哲夫、大平透、上西弘次、遠矢孝信、渡辺高光ほか/監督・土屋啓之助、堺 武夫、石黒光一ほか/1971年ピープロダクション作品

【初出:「週刊spa!」(扶桑社)DVD-BOX特集用原稿 脱稿:2003.02.04】

※DVDのリンクは最新のものにしています。現在入手難のものも含みます。

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2006年12月 3日 (日)

獣人雪男

(未発表原稿)

 『ゴジラ』に続く昭和30年(1960年)の作品。都市破壊から一転して雪山の秘境を舞台に選び、ゴジラと同じ香山滋の原作によって等身大モンスターを登場させた作品である。ヒマラヤでイエティの足跡が発見されたと報じられて大きな話題になっていた。新キャラクター雪男は表情を持ち、ゴジラよりも人間に近い感情を持った存在として画面に登場した。
 タイトルバックは雪山の全画で、手前の岸壁が引くと、カメラはゆっくりと左へPANを始めて雪山へ観客を誘う。クレジットの「特殊技術」は円谷英二を筆頭に、ひとり分空けて、渡辺明、向山宏、城田正雄の三人が表記されている。
 降りしきる雨の夜、日本アルプス登山口の小さな駅で、山を降りてきた東亜大山岳部の飯島高志(宝田明)が新聞記者に語った事件とは……。半年前、飯島と恋人・道子(河内桃子)がスキー合宿に行った時、道子の兄・武野と梶は別れて山小屋に泊まった。やがて天候は悪化し、雪崩が発生した。飯島たちにかかってきた電話の向こうからは、悲鳴と叫び声、銃声が聞こえてきた。翌朝、警官と飯島が見たものは、つぶされた山小屋と巨大な足跡だった。武野だけが行方不明のまま、捜索は春の雪解けまで中止となった。
 半年後、人類学者小泉博士を加えて、残雪の雪山をめざしてパーティーは進んでいく。やがて、がらん谷にさしかかり、一同は何者かに殺された熊の死骸を発見した。そのとき落石が発生した。このシーンはミニチュアセットで撮影され、何十という石が重層的にゆっくりと砂煙をあげて崖を落ちていく。それぞれ複雑な運動をしながら回転する石はハイスピード撮影で重々しく迫力がある。
 ある夜、キャンプに眠る道子の顔を不気味な半人半獣の手がそっと触った。後を追った飯島は、雪男を見世物にしようとする自称「日本一の動物ブローカー」大場の一行に遭遇した。格闘の末に飯島は崖下に突き落されてしまった。飯島を助けたのは、前にヒュッテで出あった娘チカ(根岸明美)だった。そこは雪男を「主」とあがめ、守り神とするがらん谷の集落だった。男たちはチカが出ていったすきに、飯島を縛り上げてしまった。断崖に吊された飯島は、実際の役者をロングで合成したものだ。彼の死を待って、猛禽類と思われる鳥たちが集まってくる。この鳥は主にグラスワークによるもので、勢いよく飯島を襲う鳥は、操演によるものと思われる。獣の死骸を背負った雪男が飯島に気づき、軽々と引き上げて助け、立ち去って行った。
 一方、大場は偶然出合ったチカをだまして雪男の住みかを聞き出した。大場は麻酔薬で雪男を眠らせて捕獲に成功した。雪男を檻に入れ、移動するトラックを崖下からとらえたカットは、ゼンマイで自走するミニチュアを四倍速で撮ったものである。親を取り戻そうと、子どもの獣人は樹の上で待ち伏せし、檻に取りついて鍵を空けようとする。気づく密猟者の後続車。乱闘部分は、雪男、檻の上の子ども、後続車の正面など、ほとんどがスクリーンプロセスで背景に山あいの移動シーンを合成している。雪男やその子どもをとらえたフレームは固定されておらず、カメラがトラックアップやPANを自在に行って違和感を減じている。雪男は運転手の首をしめて殺害、追突した後続車は崖下に転落していく。落下する車と人間はミニチュアである。
 苦し紛れに大場が撃った銃弾が獣人の子どもを殺害してしまった。怒り狂った雪男が力まかせにトラックを持ち上げるカットは、画面手前に置かれたトラックが合成で、雪男の動きにあわせて、ひねるように回転して落下する。続くカットでは、崖を落下するトラックと檻がこなごなに砕ける様子を丹念にミニチュアで描いている。
 雪男は続いて興行師の大場の身体を軽々と掲げる。トラックと同じく移動マスク(実際には写真の切り抜きだったらしい)で恐怖におびえる人間の表情とポーズを変化させながら持ち上げるまでを描いたことで、不思議な迫力が生まれた。続くカットは、やはり崖を人形が落ちるミニチュアワークで、崖下を流れる渓流に向かって転落していくカットを積み重ねている。
 怒りの収まらない雪男は、がらん谷を襲撃して片っ端から家屋を引っ張って倒壊させていく。やがて火がつき大火災となるが、燃えさかる火事をバックに雪男は家を破壊し続ける。この場面にもスクリーンプロセスを用いているが、画面の手前にも炎を燃やしているため違和感がない。炎を使った大火事シーンはこの映画で一番派手な場面だが、締めくくりに「滅亡を迎えた村」という情景を、夜の山あいの全画に、ほんのり明るく火事の部分を合成して描くことで、全体が寂寞を感じるものとなっている。
 チカに案内され、雪男の潜む洞窟に向かった飯島たちは、おびただしい雪男の骨を発見した。雪男一族は毒性の強いベニテングダケを食したためにふたりを残し全滅してしまったのだ。孤独に耐えられなくなった親の雪男は、仲間を求めていたのではないか。その証拠に、武野の残した遺書にも、雪男が助けようとしたことがつづられていた。
 雪男は道子をさらって逃走する。急傾斜をあがる雪男は、人形をコマ撮りしたアニメである。他に雪原を歩く雪男もロケ地でオープンによる人形アニメで撮影されたが、太陽光の移動に気づかずNGになった。雪男が昇るにつれ角度が変化し、見上げる追っ手と切り返しの場面で洞窟の上半分が鍾乳石で覆われるようになり、マット画が用いられた。
 チカは飯島のためと思い、必死でナイフで雪男に切りかかっていった。ついに雪男とチカはともに崖下に落下し、たぎる熱湯の中へと消えていった。この場面もディテール豊かなミニチュアで描かれ、集落と雪男、それぞれ滅亡を体現した者たちの悲劇を締めくくるのだった。
【初出:「円谷英二の映像世界」用原稿(未発表) 脱稿:2001.04.01】

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2006年11月15日 (水)

ウルトラマン(ケムラー)

毒ガス怪獣ケムラー
『ウルトラマン』第21話「噴煙突破せよ」

ウルトラ怪獣の代表格!
眠い目が魅力の毒ガス怪獣

■怪獣の魅力は、「目」にあり!

 ウルトラ怪獣の代表選手というと、レッドキングやバルタン星人を思い浮かべるのではないだろうか。確かに彼らも魅力的だ。だが、ケムラーはある意味では彼らよりも際だってウルトラ怪獣的と言える名怪獣なのである。
 大武山(おおむやま)で謎の毒ガスによって被害が出るようになった。科学特捜隊のフジ隊員とホシノ君の調査で、毒ガスは怪獣の仕業とわかる。ケムラーと命名された怪獣と自衛隊の戦い、ケムラーの強さと大暴れが物語の大半で、怪獣としての魅力を存分に見せた一編だった。
 ケムラーの魅力は、まず怪獣怪獣したその外見だ。なんと言っても、あの眠い目がたまらない。『ウルトラマン』『ウルトラセブン』の怪獣の大半は、成田亨がデザインし、高山良策が造形を担当していた。二人は彫刻もできる前衛美術家で、そのクオリティは他と一線を画していたのだ。
 成田・高山怪獣の魅力は、まず何と言っても活きいきとした「目」にある。他の作品の怪獣では、たまにピンポン玉に黒丸みたいな目で、まばたきが出来ずに電飾を点滅させる怪獣がいる。これではシラけてしまう。
 ケムラーの目は、ウルトラ怪獣中でもっとも生物感の魅力にあふれていた。顔の造作がカエルを思わせるようにツルンとした中で目が前面に出ているだけに、いっそうその「眠そうな目」の印象を強くしていた。
 目の下に何段にも刻まれたシワ。目は瞳と虹彩が塗り分けられ、ほんのりと電飾で光っている。うっすらと瞼が瞳の上片をおおいかくすようにそっと覆って、「眠い」印象をもたらしている。瞼にはギミックが仕込まれ、開閉するようになっていて、「オレは生きてるんだ!」という演技ができるようになっているのだ。
 放映当時、週刊少年マガジンの表紙を飾ったウルトラマンの怪獣中でも、ケムラーは格別な印象を残している。それは、雑誌の表紙で私たち読者をにらみつけていた目の印象と鋭い主張によるものだ。
 それがどれだけ強いかは、「究極超人あ~る」(ゆうきまさみ作)によく描かれている。主人公あ~るが、両手を目にあてて「ケムラーの目!」という宴会芸のようなネタをするのだ。実に共感あふれる名場面だった。

■怪獣は生きるために武装する

 もうひとつ。ケムラーがウルトラ怪獣の代表選手だという理由を説明しておこう。
 先に挙げた怪獣・宇宙人のデザイン担当の成田亨は、ウルトラ怪獣を創造するにあたっていくつか自らに約束ごとをした。特に印象的なのは、「巨大生物」や「お化け」との差別化を明確に理論づけたことだ。それは、「怪獣」という特別な生き物を定義する根幹、日本の怪獣文化の基礎になっていると、私は思う。
 「巨大生物」は、単にいまいる生物が大きくなっただけだ。だから、「怪獣」という新たな定義で呼ばれるものではない。オケラが大きくなったら、「怪獣オケラゴン」ではなくただの「巨大オケラ」なわけだ。「お化け」は身体の一部を破壊して登場する。だが、怪獣はそうではない。
 怪獣が特殊な器官を持っているのは、それは彼らなりに生きるための道具なのだ、と成田は規定した。
 ケムラーはこの点でも実によくできた怪獣である。「毒ガス怪獣」という、6文字で非常によくわかる特徴をもった生き物。口の中がフラッシュのように光った後、ケムラーは轟然と毒ガスを吐き出す。それはもう豪快なくらいにゴウゴウとガスを吐く。やっぱり怪獣はその武器をアピールしてナンボの生き物だと痛感する。
 ケムラーの尻尾は、独立した器官になっている。そこから航空機すら落とす怪光線を発射可能で、まるで『ウルトラQ』のゴーガみたいな別の怪獣のようだ。
 ディテールを挙げればキリがない。カエル的印象を強くする耳のくぼみ、鮮やかに赤くなまめかしく光る唇、レッドキング風段々になった腹部など、もうこれがウルトラ怪獣でなくて何なんだ、というくらいの魅力炸裂だ。
 ケムラーの背中には、二枚の羽根のような甲羅がついている。自在に開閉する。開いた内側にはネイティブ・アメリカンの装飾のような鮮やかな色が塗り分けられていて、これまた生物の神秘という印象だ。開閉する理由は、そこに光って明滅するケムラーの弱点があって保護するためだ。甲羅はウルトラマンのスペシウム光線ですら防御してしまう。ケムラーはウルトラマンにすら勝ったと言える。
 ケムラーの生物としての武装は、そこまで強くてカッコ良いのだ。
 ウルトラマンは作戦を変更し、甲羅を持ち上げ弱点を露出させる役に徹する。とどめを刺すのは科学特捜隊のマッド・バズーカ、人間の科学の勝利だ。
 やられた後の行動も、ケムラーは普通ではない。死に場所を求めていくのだ。
 死期を悟ったケムラーは、自分の故郷の死火山に這いずるように動いていく。そして火口に身を投げ、自分を産んだ地球にその生命を還すのである。なんと感動的な最期!
 明らかに人間社会と隔絶した「怪獣の世界」をケムラーは背負って登場した。そして、彼は最期まで「怪獣らしさ」を貫いたのである。
 こんな怪獣、なかなかいないでしょ? だからこそ、ケムラーはウルトラ怪獣の代表選手と断言できるのである。
【初出:「ザ・怪獣魂2」(双葉社) 脱稿1999.12.10】

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2006年11月14日 (火)

ウルトラマンレオ(マグマ星人)

《サーベル暴君マグマ星人》『ウルトラマンレオ』第1話、第2話登場

悪には悪の世界がある!
野性味あふれる最大級の宿敵宇宙人、ここに登場!

■「宿敵」という言葉が似合う悪役

 『ウルトラマンレオ』は放映時、『仮面ライダー』系の等身大変身ヒーローと『マジンガーZ』系の巨大ロボットアニメに負けかけていた。オイル・ショックの影響で、製作状況にも陰りがあった。だが、それにも負けず『レオ』の第1話、2話は立派な出来で、新ヒーロー・レオの登場を飾った。
 双子怪獣ブラックギラス・レッドギラスによる「東京沈没」(時流に乗った『日本沈没』ネタ)は、今ではもう見られないほど水をふんだんに使った大規模な特撮が展開。加えてウルトラセブンが復活して、いきなり戦っているという久々のイベント性に興奮したものだった。双子怪獣は正統派のウルトラ怪獣らしい造形。なぜか耳のなくなったセブンをタッグで苦しめる。そこに登場したのが黒幕、マグマ星人だ。
 雷光ともに、マグマ星人は黒い雲海の中からぐんぐん迫ってくるように飛来する。登場シーンからして、えらくカッコ良く、思わずしびれてしまう。彼はニヤリと不適に笑うと、片腕をマグマ・サーベルに変形させて、2体1でただでさえ不利なセブンに斬りかかるのだ。怪獣だけにやらせておくにとどまない。なんとも好戦的で卑怯さのただよった、イイ感じの登場シーンではないか。
 マグマ星人が他のウルトラ宇宙人と違うのは、徹底した「悪役(ヒール)」として描かれていることだ。マグマ星人の造形は、バルタン星人やガッツ星人といった宇宙人とは完全にコンセプトが異なっている。顔がまず違う。狂気を秘めた仮面然とした顔が実に魅惑的なのだ。うっすらと開いた凶暴な目つき……その目も口も、スーツアクターの「人間の口」がそのまま露出している。だから、表情が豊かだ。憎々しげに視線を送ったり、口元を歪めて嗤(わら)ったりできるのだ。この人間くささが「異形の生物」とはまた違った魅力をもたらした。

■「宿敵」の資格とは

 レオの地球での姿、おおとりゲンはマグマ星人の凶悪さを回想する。マグマ星人こそは、ゲンの故郷L77星を滅亡させてしまった張本人だった。宿敵と言って良い。そして、今またゲンが第二の故郷と決めた地球を滅亡させに来たのだ。
 マグマ星人は、なぜ滅亡をもたらそうとをするのか……『ウルトラマンレオ』では、地球に来る宇宙人の大半は明白な動機を持たない。まるで通り魔のように地球に来訪し、地球の滅亡を促進させようとする。
 マグマ星人はその中でも特別な存在だ。宇宙の帝王になろうとしているのか、あるいは他の生物を滅亡させるのが彼の宿命なのか。そう思ってみると、マグマ星人がさらに他の宇宙人と違う特徴が見えてくる。彼の身体、ウェットスーツを使ったボディと銀のブーツや手袋を着用した姿は、レオに実によく似ているのだ。レオは胸にエンブレムをつけている。マグマ星人にエンブレムがあるのだ。
 ひょっとしてレオの世界でマグマ星人は「悪のウルトラマン」的存在ではないか。そう思うと、マグマ星人のキャラクターがなぜ魅力的かわかってくる。
 表情が豊かで自分に気に入らない星を自己の意志で滅ぼしていくマグマ星人の方が、滅亡させられ防戦一方、ある意味で受け身になっているレオたちより、引き立つキャラクター性を持っているからだ。
 この意味でも、マグマ星人は「宿敵」と呼ばれるにふさわしい宇宙人なのである。

■マグマ星人再登場! だけど…

 このように魅惑的なマグマ星人は、実はもう一度だけ登場している。
 レオが放映中の74年、夏休みのある日曜に円谷プロに怪獣同人誌PUFF会員を中心とする高校生・大学生のファンが集まった。円谷プロの熊谷健プロデューサー(当時)が同席し、意見を聞いた。結果として番組に反映されたことが二点。ひとつはカプセル怪獣の再登場(ボールセブンガー)で、もうひとつはマグマ星人の再登場だった。
 マグマ星人については、ここで述べたようなことが「久々の名キャラ」という評価になっていた。ぜひ、もう一度あの不適な姿を、という意見であった。私も大賛成だった。
 小学館の学年誌での設定では、L77星が滅亡時にレオと双子の兄弟アストラが生き別れとなり、マグマ星人に捕らえられたとされている。アストラが足に鎖を付けている理由はそれだ。だが肝心のテレビ放映では、なぜかアストラの苦闘の日々はまったく描かれなかった。ぜひ、この「レオ・サーガ」をもう一度テレビで描いて、レオの中に描かれるべき宿敵マグマ星人像を完成させ、シリーズとしての芯を通して欲しい、というファンとしてごくごく自然な願いであった。
 確かにマグマ星人は願いに応えて再登場した。だが、それは「怪獣ローランをお嫁さんにしたいマグマ星人」という、とんでもないものだった。しかも、あの魅惑的な人肌の露出した口もとは、スーツアクターのメイクが大変だったのか、FRPの面に置き換えられ、まったくの無表情になっていた。
 これは違う! とさすがに画面に向かって叫んだ。ゲストに桜井浩子と黒部進の初代ウルトラマン・コンビが出ていようと、そんなことは関係ない。マグマ星人は、ローランをお嫁さんにできるはずもなく、レオに懲らしめられて消えてしまった。あれはニセモノだったとでも思いたい気分だ。
 宿敵のカッコ良さ。それを醸し出すのは、非常に大変なことだ。マグマ星人は、レオの1、2話の時点では宿敵の表現に見事に成功していた。学習雑誌の展開も、それをうまくサポートしていた。だが、肝心のフィルムでの再登場で大きくミソをつけてしまったのだ。その上、マグマ星人の着ぐるみはすぐにババルウ星人に改造されてしまい、「レオ・サーガ」に決着をつける気はないということが判って二度も三度もガッカリした。
 私の心の中では、マグマ星人はいまも不適に嗤って宇宙の星々を怪獣を操っては破壊している。きっと、それでいいのだろう。
【初出:「ザ・怪獣魂2」(双葉社) 脱稿1999.12.10】

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2006年11月12日 (日)

DVDウルトラシリーズ(Q,マン,セブン)

題名:デジタル・ウルトラシリーズ

●細部が手に取れるような高画質!

 自腹を切っているからはっきり言わせてもらう。DVD化で画質が良くなると思うのは早計である。事実、私は何度かVHSにも劣る商品をつかまされ、泣きながら中古店へLDを買いに走ったことがある。某商品などは暗い、ピンボケ、色にじみ、粒子荒れ、ブロックノイズと、ギャグにしか思えない粗悪品であった。
 そういうときは、この至宝の画質を誇るデジタル・ウルトラシリーズを観て、目と心をを洗うことにしている。まさにDVD時代のスタンダードとなるべき最高峰の画質だ。崩壊寸前のマスターネガを洗浄し1コマずつスキャンして丁寧にデジタルで補正・修復した大変な労作である。
 筆者が画質の優劣を簡単に見分けるときの個人的手段を紹介しよう。まず、ヘルメットの反射など光沢の映りこみを見る。そこで半透明の階調表現がしっかりされていればOKである。続いて緑の再現性を見る。一番良いのは薄い緑である。
 シリーズが最初『ウルトラセブン』から始まったとき、この方法で思わずチェックしてしまった。結果は、「ウルトラにいいでしょう!」。
 セブンの着ぐるみの表現だけで、すでにおつりが来るほど素晴らしいことが判る。まず額のビームランプがエメラルドグリーンなのに狂喜乱舞。冗談ではなく涙が出て来た。そうそう、セブンの額は緑に輝いていたんだ! と。この20年余りはずっと青に表現されて本当の色を忘れかけていた。
 セブンの目も素晴らしい。中心部分の薄い金色と周辺のプラスチックの部分がしっかり分離した色で表現され、電飾のランプがしかるべき位置に輝いているのが見える。
 そして、最大の見どころは「光沢と薄い緑」を兼ね備えた胸のプロテクター部分だ。このくぼみ部分は、工事現場の作業員がつけるような反射材質の夜行塗料のような薄い緑のテープが貼ってある。スチル写真でもよく見ないと判らないこの部分が、家庭のプレイヤーとテレビで再現されたときには、本当にたまげた。静止画にすると、テープがたわんでちょっとはがれかけている状態まで見えてしまう。
 高画質というのは、こういうもののことを言うのだ。

●高画質になって幸せいっぱい

 目から鱗が落ちたような気持ちとはこのこと。初めてメガネをかけて視力が回復したときのことを思い出す。高画質とは幸せのことなのである。その目で改めると、すでに35年もの間見飽きたはずのソフトも、さまざまな驚きに満ちて見えてくる。
 たとえば桜井浩子が『ウルトラマン』出演に際して髪を栗色に染めたということは文献で知ってはいても、そう見えたことがない。ところがこのDVDではそんな文献を読まなくとも最初からその色なのである。
 造形マニアではないにせよ、怪獣のディテール理解が向上すると非常に嬉しく、怪獣ファン冥利につきる部分がある。ウルトラシリーズもフィルム作品だから、怪獣は動きの中で生命を持つものである。その動きの中で怪獣を見つめ直すために、高画質は大きく寄与する。
 たとえばガッツ星人の腰にラメのようなきらめく材質のものが貼り付けてあることの発見だ。確かにスチル写真にもそれは映っているが、動く画面で光を反射してキラキラッとしたときに真価を発揮し、改めて異星人らしさが何倍か増して感じられるものと感じた。同じことはケムール人やバルタン星人の目の複雑な動き(機電)にも感じる。このように、動く映像としての「表現」が向上することがとにかく嬉しい。
 フィルム傷がていねいに修復されているのも特筆もの。特に何本かのフィルムは、LD化のときにずっとネガ傷が入っているのを見て、オリジナルの損壊に未来永劫この傷は消えないのかと心にも傷を受けた思いだったので、それがクリアされたら気持ちも楽になった。
 こうなってくると、修復されたのは物体としての「傷」ではなく「気持ち」だったんだなあ、と思うようになってくる。画質向上で作品そのものの質が上がったかのようにすら思えて来る感慨の根幹には、この「気持ちの問題」があるのだろう。
 もちろん画質が上がりすぎた逆効果もあるにはある。ホリゾントまでの遠近感がわかってセットやミニチュアの大きさが実感できてしまうとか、隊員服やヘルメット、着ぐるみの破損状況がわかってしまうとか、そういう部分もあるのだが、それはまあご愛敬というところだ。
 すでにウルトラシリーズは評価が固まっているということで、あえて作品の中身には触れていないが、一番嬉しいことはこの高画質ソフトから新しい世代のウルトラファンがまた続々と誕生し、様々な新研究や新発見が産まれるであろうことだ。
 たとえば『ウルトラマン』前半は、怪獣にしてもカラーフィルム化を強く意識した色彩設計になっている。黄色や青の原色アクセント、ピンクの唇がその現れだ。これが時間とともにどう変遷していくのか、なんてのも興味津々のテーマだろう。
 商品レベルでも、すでにこのDVDから研究したらしき成果がガシャポン・フィギュア等にフィードバックされ、色味やディテールが正確な商品が登場しているのも嬉しいことだ。
 画質なんか見られればいい、作品は中身が大事という意見もよく聞く。私もそう思ったことがある。しかし、「内容と表現は一体」なのである。画質向上は内容をより正確に深みをもって伝え、その上で様々な未来を切り開くという観点で、とても大事なことなのだ……その原点を教えられた。
 デジタルウルトラシリーズの、そういった姿勢と品質が、DVD業界のスタンダードにぜひなって欲しいものである。

<CAP>
●どのヒーローも怪獣も高画質の画面の中で活き活きと生命を得たように表現されている。これぞ宝だ!

●OPの前に流れた武田製薬のジングル。ウルトラQ第7巻に収録。

●今回の収穫はウルトラQのOPの文字ネガが修復されたこと。

<コラム1>
 本シリーズは「特撮の神様」とうたわれた円谷英二が初めてTVの世界で特撮シリーズを立ち上げたもの。自らメガホンを取ったカットがいくつかある。写真は「鳥を見た」(ウルトラQ第12話)で留置所から巨大化したラルゲユウスが飛び立つカット。他にも『ウルトラマン』のアボラス対バニラがそうである。

<コラム2>
(1)質感とディテール
 画面に映るもののディテール、特に質感の向上が嬉しい。フジ隊員の手袋とヘルメット用バンドの材質の差、ガマクジラ体表の絶妙なグラデーション、ブルトンの体表にまぶされた雲母のような反射材、シーボーズの角の透明さ、アイロス星人の体毛など新鮮な発見がある。またガヴァドン(A)のようにセットの子細がわかるのも嬉しい。

(2)色味
 巨大ラゴンの鮮明な緑、多々良島の極彩色、ギエロン星獣の赤い目と黄色い嘴など鮮烈な色と判る。

(3)電飾
 バルタン星人の目の回転、メフィラス星人の点滅、セブンの目の表情など電飾の輝きが美しい。

<コラム>
 例えばピーターは何種類かあって、小さいものはトカゲにメイキャップしたもの、等身大と巨大化では後者は炎に映えるようウロコに鏡を埋められている。本DVDは今後こんな研究に役立つだろう。

【初出:『アニメージュ魂』(徳間書店) 脱稿:2002.04.12】

※その後、DVDは各々特典をつけたBOX化されている。ただし、BOXは限定でバラ売りが現行商品のようである。

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2006年11月 9日 (木)

日本沈没(TVシリーズ)

寄稿題名:必見!特撮抽出機能

 本作は1970年代に起きた終末ブームの産物である。同じ終末色の『宇宙戦艦ヤマト』の本放送に続いて夜8時から放映されていたのが思い出される。
 映画版『日本沈没』は全編鉛のような色彩に満ちた災害描写の特撮が非常に印象的な作品で、当時の中高校生へのインパクトは『ヤマト』と同じくらい大きいものがあった。その中で始まったTV版は……うーん、正直言って当時は怒ってたのを思い出した。
 原作と映画は「日本列島が海に没する」という大ウソを真摯に描いていた点がSFらしくて良かった。それに比べ、TV版はレッツビギン村野武範とヒロイン由美かおるという配役からしてどうも通俗的なところが気になって仕方がなかった。そして日本全国名所旧跡観光地ランドマークが毎週毎週沈む! という展開もガクッと来た。マントル対流はどうなったんだと(笑)。
 でも、改めて観るとこれで良かったと思う。日本人として刷り込まれている風景を週替わりで精緻なミニチュア化して破壊する映像は、今だからこそそれだけで価値が高い。なんてことも、DVD時代になってから言えること。このDVDソフトはプログラム機能が極めて優れているのである。メニューから「災害マップ」を選ぶと、日本列島の図にその巻ではどこで何が破壊されるかが整理されて出てくる。さらに「連続視聴」を選ぶと、特撮シーンだけを抜いてつないで全部観ることができるのだ! これではまるで『沈没ファイト』ではないか(笑)。邪道という意見もあるだろうが、そこだけを楽しみに1時間のドラマを観ていた身にとっては待望の機能である。嫌なら使わなければいいだけだし。
 というわけで、この「特撮抽出機能」があるがゆえに本DVDを強く推薦した次第である。

<CAP>
●清水の舞台は身をよじって倒壊し、金閣寺は静かに水流に没する。どこがどう破壊されるか特撮パワーが駆使される!

●異変をキャッチした深海潜水艇わだつみ。本作を代表するメカだ。

<コラム>
 東宝の製作だけあって本作の出演陣はなかなか濃い。主題歌の五木ひろしや鳳啓助+京唄子の他、仲谷昇、田中邦衛、根上淳、佐原健二、黒沢年男ら有名の俳優が目白押し。かつて同時間枠青春ドラマの教頭先生でおなじみ穂積隆信と柳生博がコンビで登場する回(第14話)もあって微笑ましい。

【初出:『アニメージュ魂』(徳間書店) 脱稿:2002.04.12】

<別バージョン>
※この原稿は珍しく長く書いたバージョンも保存してあった。こうやって長めに書いて縮めていくのがいつもの書き方なのだが、それにしてもこれは長い。途中で文字数変わったのかな? 内容ダブリ、未完はご容赦を。

 『宇宙戦艦ヤマト』の本放送に続いて同じチャンネル(関東では日本テレビ)、夜8時から放映されていたのが、このTV版『日本沈没』である。今でもこの2つの番組の間にあった頭痛薬のノーシンのCMをよく覚えている。映画版で丹波哲朗演じる首相が「ただちに門を開けて宮城内に避難民を入れてください!」って言うの。あ、知りませんか……。
 映画版『日本沈没』は全編鉛のような色彩に満ちた中でフラッシュが明滅する災害描写が非常に印象的な作品で、当時高校生の自分へのインパクトは『ヤマト』と同じくらい大きかった。そういう中で始まったTV版は……うーん、正直言って当時は怒ってたんだ。この年頃はマジメ過ぎたからなあ。
 原作と映画は「日本列島が海に没する」という大笑いされそうなウソを非常に真摯に描いていた。それに比べると、どうにも通俗的なところが気になって仕方がなかった。主人公の小野寺は同じ時間枠、かつてのレッツビギンだった村野武範、ヒロインの阿部玲子は由美かおるでこれが富豪の令嬢で最初は対立しているが……という臭いドラマを作ろうとする見え見えの設定からして何だかなあと。映画版と同じ田所博士の小林桂樹だけが頼みの綱と思ったら、いきなり地面に耳を当てて「来る!」と地震を予知するトンデモ博士になっているし。
 そして日本全国名所旧跡観光地おいでませのランドマークが毎週毎週スポットで沈む! という発想にもガクッと来た。山中盆地の京都にある建物が一点だけ海没(?)するわけないじゃんと。マントル対流はどうなったんだ(笑)。
 でも、改めて今観るとこれで良かったんだと思う。特に最終回や総集編で流れる、富士山やねぶた祭りや田園風景がフラッシュバックする、いかにもの「日本の風景百選」みたいな実景を観ると泣けちゃうもんね。なんか、今さらながらに日本人としてのDNAに刷り込まれているものがあるよね。それを週替わりで精緻なミニチュアを作って破壊することで、逆説的にその大事さを訴えようというのは、姿勢として正しい。
 なんてことも、DVD時代になっての機能がついたから言えることかも。このソフトはDVDとしてのプログラム機能が極めて優れている。メニューから「災害マップ」というところを選ぶと、日本列島の引き出し図解になる。そこに、その巻ではどこで何が破壊され、沈むかが整理されていて、セレクトすると本編のその特撮シーンに一気に飛べるのである。さらに優れているのは「連続視聴」を選ぶと、その巻の特撮だけを抜いてつないで全部観ることができる!
 これではまるで『沈没ファイト』ではないか(笑)。邪道だという意見もあるだろうが、まあしかし、そこだけを楽しみにドラマ(1時間番組なので非常に長い)を観ていた身にとっては嬉しい機能である。嫌なら使わなければいいわけだし、選択が増えるのは取りあえず良いことだと思うのだよ。
 というわけで、この機能があるがゆえに本ソフトを推薦した次第である。
 ちなみに、1巻には「庵野秀明と樋口真嗣が福田純監督と対談するコメンタリー」がついていて、ジャケットデザインも例の極太明朝が直角に曲がりまくっているし、復刻版のプラモデルがオマケについていたのも、今ならではの特典に力を入れている証拠ということか。

※なお、本ソフトは2006年の再映画化合わせでバラの再発売の他にBOXも発売された。

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