何とかなるのか、ならないのか
ドイツにいるドイツ人上司があっという間に解雇された話は少ししましたが、よく言われる外資系にありがちなことではあります。何しろ午前には打ち合わせに出てて、その午後解雇だもんなあ、本人も寝耳に水だったはず。 上司がそうなった、ということは当然チームの出来が駄目だったからで、そうなるとそのチーム構成員にも上の矛先は向いてきます。間違いなく私には向いている。
まあ色々と考えちゃうわけですよ。
例えば転職サイトですが、50歳を超えると途端に求人が減ります。もうあからさまもいいところです。
世の中を見てもその年代は完全にお荷物ですね。実際に価値が出せないならどの世代でもお荷物ではあるわけですが、日本の場合、外資でも日本法人の場合は日本の給与体系に引っ張られるところがあり、そうするとその辺りの人はそれなりに高給になる場合が多い(私自身がそうだ、ということではなく、残念ながら)。
今の仕事、将来のタネを見つける仕事なのですが、そのタネを考えれば考えるほど、自分のポジションは不要になる、という状況です。日本人である必要はない、日本でやる仕事ではない、今のポジションのマネージャーの必要もない、などなど。それ以外にアピールできる成果はないし、他の人に比べて能力も低い、というのがますますはっきりしてきました。能力っていうのは能力であって、長時間働いても出てこないものは出てこない。思いつかないものを要求されたら途端に固まってしまうという。それが正しかろうが間違っていようが上司の命令は絶対ですから、それに応えられなかったら不要な人材です。
例えば自分がxxx万円もらっていて、それに会社負担を加えた人件費を考えて、それよりも利益に貢献していなければ駄目なんです。そのときに、外資の考え方は首のすげ替えで、降格という考えはないに等しい。これが正しいのかどうかは別にして、事実はそうです。で、以前の会社でもそうですが、実際には貢献していないとしか思えない、悲しい現実ですが。
例えば、自分が今クビになるとして、次にどういう仕事ができるのか考えると、ない。本当に単純作業しかなさそうですが、それすらも年齢ではねられる可能性が高い。これも悲しい現実ですが、恐らくほとんど再就職の可能性は無いんじゃないかな?既に現場を離れて8年、客先に行くこともガックリと減り、内勤でしこしこ資料を作る毎日ですから。
社会的な部分は別に、あくまでビジネスを考えると、稼ぐ力がない、給与と合っていない人間は「不要物」なんだろうなあ、と最近強く思っています。
こういうのも、老いる、という一つのことなんですよね。
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