2013年 12月 05日
「歴史家」はなぜズルいのか |
今日の横浜北部はまたまた朝から快晴でした。晴れましたが、とにかく午前中は冷えましたね。
さて、最近感じていることを一つ。
地政学をはじめとする、いわゆる「戦略」という分野のことを研究してつくづく感じるのは、(軍事・戦略系の)「歴史家」ってズルい、ということ。
なぜこのようなことを言うと、なぜかここ数ヶ月の内に立て続けに、自分のことを「歴史家」だという(とくに軍事系)の人々の話を、勉強会や講演などで偶然聞くことになったからです。
たしかに彼らの話を聞いて、私もその豊富な知識には本当に関心させられたのですが、何度か聞いているうちに、なんというか違和感を感じたわけです。
はじめはその違和感の理由がよくわからなかったのですが、最近になって気づいたのは、彼らが共通して「神の視点」から物事を語っているような雰囲気を醸しだしているということ。
なぜかというと、彼らはすでにその当時を生きていた人とは違って、歴史の「その後の結果」を知っており、いわば後づけで物事を有利に見れるからで、これが彼らの前提にあるにもかかわらず、まるで全知全能の神のように歴史(私が聞いたのは戦略史や軍事史ですが)をとうとうと語るわけです。
ところが私は戦略を「術」(アート)であることを知ってしまったため、彼らのような、科学的(というか客観的)な、まるで「神のような視点」から物事を語るのに、どうも納得がいかないわけです。
いや、もちろん戦略史の専門家の中には、当事者たちがどれほど先の見えない不確実な中で手探りで戦略を考えていたのかを承知した上で書いている人もいるにはいるわけですが、どうも私が聞いた「歴史家」たちにはこのような特有の感覚が抜けていないような。
ジョミニといえば、クラウゼヴィッツと同時代を生きてナポレオンの戦い方に大きな感銘を受けた人物ですが、彼も戦略は「アート」だと気づいておりまして、
「戦争は、これを全体として見た場合には、科学ではなくて術(アート)である。特に戦略は、実証科学に似た不変の法則で律せられているように見えるが、それでもそれは全体としてとらえた場合、戦争の真実ではない」(戦争概論、結論)
という有名な言葉を残しております。
これをさらに極端にいえば、戦略というのはそもそもまだ来ていない「未来」のことであるために、どうしてもフィクション的な要素、つまり「怪しい」要素というものが出てくるわけで、逆に「怪しい要素がなければ戦略ではない」と言ってもいいほど。
ところが自称「歴史家」の人々は、どうも自分が「後付の神の視点」を持っていることを知らずに、「自分のほうが当事者たちよりも優れている!」と勘違いして、失敗した戦略などを「客観的な視点」からコテンパンに批判するわけです。
ではこの批判している彼らが実際に現実の戦略を考えられるかというと、それは完全に無理なわけです。
なぜなら「歴史家」に求められる才能は「科学的」なものであるのにたいして、「戦略家」(というのが正しいかどうかはわかりませんが)に求められるのは、実務家的でありながら、同時に「芸術家」や「コピーライター」、もしくは「ホラ吹き」的な要素だからです。
多くの「歴史家」たちは、どうもこの部分をわからずに過去の戦略家たちを批判しているような気が。
以前に読んだハンニバルの研究者J・F・レイゼンビー(J. F. Lazenby)が、こんな面白いことを書いておりました。以下はそこからの引用(Hannibal's War, p.257)。
===
ところが、おそらく結局のところは、実戦を体験したことがなく、ボーイスカウトのパトロール以上のものを指揮したことのない「机上の歴史家」(レイゼンビー自身のこと)が、史上最高の指揮官の一人を分析するのは身の程知らずかもしれないということだ。
実際のところ、ハンニバル自身もアマチュアの批評家たちにはがまんならなかったと言われている。
キケロー(『弁論家について』第2巻18節)によれば、この偉大な将軍は晩年にシリアに亡命していた時に、ポルミオー(Phormio)の講義に参加している。ハンニバルはここで(ポルミオーの説く)自分の戦術についての長い講義を聞かされたのだが、その後に友人の一人から感想を求められた時に「自分は耄碌(もうろく)した老人をこれまで大勢見てきたが、ポルミオーほどひどい老人は見たことがない」と答えている。
そういう意味で、私はハンニバルが本書についてどのような感想を持つのかが気になって仕方がない。
===
うーむ、この人は正直ですね(笑
われわれが過去の戦略の事例(それが経営/戦争に関わらず)を考える時には、このような「人間の視点」を持つことが重要であって、傲慢な「神の視点」を持たないようにしなければならないと感じます。
ま、「人間」なので、これはしょせん無理なんでしょうが・・・
さて、最近感じていることを一つ。
地政学をはじめとする、いわゆる「戦略」という分野のことを研究してつくづく感じるのは、(軍事・戦略系の)「歴史家」ってズルい、ということ。
なぜこのようなことを言うと、なぜかここ数ヶ月の内に立て続けに、自分のことを「歴史家」だという(とくに軍事系)の人々の話を、勉強会や講演などで偶然聞くことになったからです。
たしかに彼らの話を聞いて、私もその豊富な知識には本当に関心させられたのですが、何度か聞いているうちに、なんというか違和感を感じたわけです。
はじめはその違和感の理由がよくわからなかったのですが、最近になって気づいたのは、彼らが共通して「神の視点」から物事を語っているような雰囲気を醸しだしているということ。
なぜかというと、彼らはすでにその当時を生きていた人とは違って、歴史の「その後の結果」を知っており、いわば後づけで物事を有利に見れるからで、これが彼らの前提にあるにもかかわらず、まるで全知全能の神のように歴史(私が聞いたのは戦略史や軍事史ですが)をとうとうと語るわけです。
ところが私は戦略を「術」(アート)であることを知ってしまったため、彼らのような、科学的(というか客観的)な、まるで「神のような視点」から物事を語るのに、どうも納得がいかないわけです。
いや、もちろん戦略史の専門家の中には、当事者たちがどれほど先の見えない不確実な中で手探りで戦略を考えていたのかを承知した上で書いている人もいるにはいるわけですが、どうも私が聞いた「歴史家」たちにはこのような特有の感覚が抜けていないような。
ジョミニといえば、クラウゼヴィッツと同時代を生きてナポレオンの戦い方に大きな感銘を受けた人物ですが、彼も戦略は「アート」だと気づいておりまして、
「戦争は、これを全体として見た場合には、科学ではなくて術(アート)である。特に戦略は、実証科学に似た不変の法則で律せられているように見えるが、それでもそれは全体としてとらえた場合、戦争の真実ではない」(戦争概論、結論)
という有名な言葉を残しております。
これをさらに極端にいえば、戦略というのはそもそもまだ来ていない「未来」のことであるために、どうしてもフィクション的な要素、つまり「怪しい」要素というものが出てくるわけで、逆に「怪しい要素がなければ戦略ではない」と言ってもいいほど。
ところが自称「歴史家」の人々は、どうも自分が「後付の神の視点」を持っていることを知らずに、「自分のほうが当事者たちよりも優れている!」と勘違いして、失敗した戦略などを「客観的な視点」からコテンパンに批判するわけです。
ではこの批判している彼らが実際に現実の戦略を考えられるかというと、それは完全に無理なわけです。
なぜなら「歴史家」に求められる才能は「科学的」なものであるのにたいして、「戦略家」(というのが正しいかどうかはわかりませんが)に求められるのは、実務家的でありながら、同時に「芸術家」や「コピーライター」、もしくは「ホラ吹き」的な要素だからです。
多くの「歴史家」たちは、どうもこの部分をわからずに過去の戦略家たちを批判しているような気が。
以前に読んだハンニバルの研究者J・F・レイゼンビー(J. F. Lazenby)が、こんな面白いことを書いておりました。以下はそこからの引用(Hannibal's War, p.257)。
===
ところが、おそらく結局のところは、実戦を体験したことがなく、ボーイスカウトのパトロール以上のものを指揮したことのない「机上の歴史家」(レイゼンビー自身のこと)が、史上最高の指揮官の一人を分析するのは身の程知らずかもしれないということだ。
実際のところ、ハンニバル自身もアマチュアの批評家たちにはがまんならなかったと言われている。
キケロー(『弁論家について』第2巻18節)によれば、この偉大な将軍は晩年にシリアに亡命していた時に、ポルミオー(Phormio)の講義に参加している。ハンニバルはここで(ポルミオーの説く)自分の戦術についての長い講義を聞かされたのだが、その後に友人の一人から感想を求められた時に「自分は耄碌(もうろく)した老人をこれまで大勢見てきたが、ポルミオーほどひどい老人は見たことがない」と答えている。
そういう意味で、私はハンニバルが本書についてどのような感想を持つのかが気になって仕方がない。
===
うーむ、この人は正直ですね(笑
われわれが過去の戦略の事例(それが経営/戦争に関わらず)を考える時には、このような「人間の視点」を持つことが重要であって、傲慢な「神の視点」を持たないようにしなければならないと感じます。
ま、「人間」なので、これはしょせん無理なんでしょうが・・・
by masa_the_man
| 2013-12-05 18:21
| 日記