2012年 12月 17日
政治家は「偉い」もんだ |
今日の横浜北部は朝から雨で、かなり気温も低め。個人的にはモスクワの10月半ばくらいの気候という感じでしょうか。
さて、今回の選挙について一言感想を。
今回私が書くことは、おそらくこれをお読みの皆さんにはご理解いただけないかもしれず、もしかしたら非常に誤解を受けるだろうなぁということを承知で、あえて書いてみます。
すでにtwitterのほうでご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、私は昨日数カ所(しかも党の違う)の選挙事務所を覗いてきまして、その場にまるで支援者であるかのような顔をして紛れ込み(笑)、一種の社会見学をしてまいりました。
実は私は三年前の総選挙の時にも同じことをやっていまして、その時に味をしめたために、今回はこのようなことを行うのが二回目です。
そして今回、選挙事務所というものを覗いてみてあらためて感じたのは、「政治家は偉い」ということ。しかも私は「どの政治家も」という但し書きまでつけてしまいたいと思います。
なぜか。
政治家というのは、一般的にメディアでは、われわれの税金をつかって好き勝手やっているようなイメージを持った、ようするに「罵る対象」として格好の攻撃ターゲットとなっております。
たしかにある程度のポジションまでいけば、国の政策を動かせるという意味で絶大な権力を持つこともできますし、実際にそれを悪用して金を溜め込んでいるような人もいるのは事実でしょう。
よって、「公僕」である彼らはつねに批判にさらされなければならないというのは、民主制国家では当然ということになります。
ただしだからといって、彼らをおいそれと気軽に批判したり非難する資格が、私を含めて、政治活動を行っていないわれわれ全員(とくにメディアや批評家)にあるかというと、私は最近この点について大きな疑問をいだいております。
選挙活動の様子を表層的に見た私でさえも感じているのは、立候補を表明して政治活動を行おうとしている政治家および政治家予備軍というのは、その思想的立場はさておき、何も実際の政治活動を行っていないわれわれのような人間に比べて、最低限のレベルでは「偉い」というべきなのかと。
なぜなら、彼らは批評したり文句を言うだけでなく、実際にアクションを起しているからです。
小沢さんのようなレベルの「大物」は別としても、ほとんどの日本の政治家(しかも国政レベル)というは、政治資金が足りなく、よって雇える秘書の数も少なく、時間もほとんどない中で、ほぼボランティア状態で、しかも家族/家庭生活を犠牲にしながら、政治活動を行っております。
ちなみに公設秘書の数ですが、日本は3人、韓国6人、そしてアメリカは平均15人以上です。
結果として、日本の場合は秘書たちを選挙対策に回せば終わり。政策をつくるほうに回すこともできません。
立法府の構成員である議員たちが、その肝である「政策づくり」にリソースと時間を注げられなくなるわけですから、日本の政治がダメになるのは火を見るより明らか。
しかも突然選挙になって落選する可能性は常に残っているために、身分の保証もなく、常に文句を言われ、常に頭を下げまくって、常に恐怖と隣り合わせのプレッシャーのある環境で生きております。
さらには仕事に対する名誉は段々と失われており、「クリーンな政治」という怪しいかけ声の元で政治資金はどんどん減らされつつあるため、政治家をやっていても報酬面で「報われる」ということはほとんどありません。
つまり、いま政治家をやっている人、もしくはこれから政治家になろうとしている人たちは、よっぽどの変わり者か頭のおかしいひと、もしくは強烈に自分を騙している人です。
いや、むしろそこまでできないと、「選挙に出馬して当選してさらに活動を継続する」ということまではできないわけです。
これを「エラい」と言わずになんと言おうか。「実際にあなたもこれをできますか?」と言われれば、私は全く「イエス」と言う自信がありません。
もちろん私は「政治家を批判したり罵倒したりするのを止めよう!」と言いたいわけではありません。
でも少なくとも、彼らは私たちよりも、“実行”しているという時点ですでに相当「偉い」、という視点で考えてみるのもありなのかと。
一言でいえば、「みなさんは政治家にたいして色々と言いたいことあるみたいだけど、少なくとも彼らはアンタたちよりはエラいです」ということですな。
選挙の、まるで戦争のような壮絶さを目の当たりにして、そんなことを思った次第です。
さて、今回の選挙について一言感想を。
今回私が書くことは、おそらくこれをお読みの皆さんにはご理解いただけないかもしれず、もしかしたら非常に誤解を受けるだろうなぁということを承知で、あえて書いてみます。
すでにtwitterのほうでご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、私は昨日数カ所(しかも党の違う)の選挙事務所を覗いてきまして、その場にまるで支援者であるかのような顔をして紛れ込み(笑)、一種の社会見学をしてまいりました。
実は私は三年前の総選挙の時にも同じことをやっていまして、その時に味をしめたために、今回はこのようなことを行うのが二回目です。
そして今回、選挙事務所というものを覗いてみてあらためて感じたのは、「政治家は偉い」ということ。しかも私は「どの政治家も」という但し書きまでつけてしまいたいと思います。
なぜか。
政治家というのは、一般的にメディアでは、われわれの税金をつかって好き勝手やっているようなイメージを持った、ようするに「罵る対象」として格好の攻撃ターゲットとなっております。
たしかにある程度のポジションまでいけば、国の政策を動かせるという意味で絶大な権力を持つこともできますし、実際にそれを悪用して金を溜め込んでいるような人もいるのは事実でしょう。
よって、「公僕」である彼らはつねに批判にさらされなければならないというのは、民主制国家では当然ということになります。
ただしだからといって、彼らをおいそれと気軽に批判したり非難する資格が、私を含めて、政治活動を行っていないわれわれ全員(とくにメディアや批評家)にあるかというと、私は最近この点について大きな疑問をいだいております。
選挙活動の様子を表層的に見た私でさえも感じているのは、立候補を表明して政治活動を行おうとしている政治家および政治家予備軍というのは、その思想的立場はさておき、何も実際の政治活動を行っていないわれわれのような人間に比べて、最低限のレベルでは「偉い」というべきなのかと。
なぜなら、彼らは批評したり文句を言うだけでなく、実際にアクションを起しているからです。
小沢さんのようなレベルの「大物」は別としても、ほとんどの日本の政治家(しかも国政レベル)というは、政治資金が足りなく、よって雇える秘書の数も少なく、時間もほとんどない中で、ほぼボランティア状態で、しかも家族/家庭生活を犠牲にしながら、政治活動を行っております。
ちなみに公設秘書の数ですが、日本は3人、韓国6人、そしてアメリカは平均15人以上です。
結果として、日本の場合は秘書たちを選挙対策に回せば終わり。政策をつくるほうに回すこともできません。
立法府の構成員である議員たちが、その肝である「政策づくり」にリソースと時間を注げられなくなるわけですから、日本の政治がダメになるのは火を見るより明らか。
しかも突然選挙になって落選する可能性は常に残っているために、身分の保証もなく、常に文句を言われ、常に頭を下げまくって、常に恐怖と隣り合わせのプレッシャーのある環境で生きております。
さらには仕事に対する名誉は段々と失われており、「クリーンな政治」という怪しいかけ声の元で政治資金はどんどん減らされつつあるため、政治家をやっていても報酬面で「報われる」ということはほとんどありません。
つまり、いま政治家をやっている人、もしくはこれから政治家になろうとしている人たちは、よっぽどの変わり者か頭のおかしいひと、もしくは強烈に自分を騙している人です。
いや、むしろそこまでできないと、「選挙に出馬して当選してさらに活動を継続する」ということまではできないわけです。
これを「エラい」と言わずになんと言おうか。「実際にあなたもこれをできますか?」と言われれば、私は全く「イエス」と言う自信がありません。
もちろん私は「政治家を批判したり罵倒したりするのを止めよう!」と言いたいわけではありません。
でも少なくとも、彼らは私たちよりも、“実行”しているという時点ですでに相当「偉い」、という視点で考えてみるのもありなのかと。
一言でいえば、「みなさんは政治家にたいして色々と言いたいことあるみたいだけど、少なくとも彼らはアンタたちよりはエラいです」ということですな。
選挙の、まるで戦争のような壮絶さを目の当たりにして、そんなことを思った次第です。
by masa_the_man
| 2012-12-17 16:56
| 日記