2009.11.25
# 雑誌

小学生をやる気にさせる魔法のテクニック

北島康介、松坂大輔を生んだ名門クラブに学ぶ
世界で活躍する超一流選手にも小学生時代はあった。いったいどのような環境で、どのような指導を受けてきたのか? 名門クラブ、強豪チームの監督・コーチを直撃!

   北島康介 ◎東京スイミングセンター
   松坂大輔 ◎江戸川南リトル
   未来のJリーガー ◎ジェフユナイテッド市原・千葉「サッカーおとどけ隊」
江戸川南リトルの練習風景
〔PHOTO〕講談社写真部(一部を除き以下同)

 アテネオリンピック、北京オリンピックの競泳・平泳ぎの100mと200mで連覇を達成した、世界のトップスイマー北島康介。その北島が、5歳から現在に至るまで在籍している東京スイミングセンター(東京SC)の出垣宏務・総務部次長は、北島の幼いころのようすを、次のように振り返る。

「週2~3回の練習で、入って1年かからずに、クロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライの4種目をマスターしましたが、これはふつうのことです。その後、ジュニアオリンピック(小・中学生の全国大会)で優勝するなど頭角を現してはきましたが、ズバ抜けて強いというわけではなく、まさかこんなにすごい選手になるとは思っていませんでした」

 北島は、中学2年のときに、名コーチとして名高い東京SCの平井伯昌氏に素質を見出され、選手として成長していく。

「中学の全国大会くらいからですかね、集中力がほかと全然違うことは明らかでした。集中しているときの目を見れば一目瞭然です。その間は自分でも何も覚えていないくらいに神経が張りつめていると、北島は言っていました」(出垣氏)

東京SCの応接室に飾られている北島康介の偉業を称える数々の品。北島の隣は2009年夏、急逝した“フジヤマのトビウオ”古橋廣之進氏

 米メジャーリーグのボストン・レッドソックスで活躍する松坂大輔もまた、小学生時代はズバ抜けた存在ではなかったという。松坂を輩出したリトルリーグチーム江戸川南の有安信吾・総監督は、こう語る。

「そこそこいい球を放る子というくらいの印象でしたね。当時から球質は重かったですけど。明るい性格で、いつもニコニコしていたという印象が強いです。厳しく叱っても、少したつとエヘへ・・・・・・、と笑みを浮かべていましたよ」

 さらに、こんなエピソードも聞くことができた。

「小学6年でチームに入ってきた当初から、夢はプロ野球選手になることでしたが、“サボりのマツ”と言われるほど練習嫌い。特に、守備練習や走り込みは嫌いで、動いているフリをするなんてことはよくありました。練習中に木登りをはじめるなど、暴走する面もあって、ケガをさせないように気をつかったものです。投球と打撃の練習は好きで、まあ子供はだいたいそういう傾向にあるんですが、そのなかでも、のめり込むと際限なくやり続けてしまうタイプだったので、こちらが止めてやらなければならないこともありました」(有安総監督)

 “サボりのマツ”も、いざというときには高い集中力を見せて練習に臨んでいたのである。北島康介と松坂大輔。子供のころは、それほど飛び抜けた選手ではなかった彼らが、なぜ世界有数のアスリートになることができたのか。

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