ポール・クルーグマン―底打ちしたアメリカの経済
『現代ビジネスブレイブ グローバルマガジン』---「ニューヨークタイムズ・セレクション」より美徳は悪徳となり、慎重さは愚かさに変わる
今から6年前、連邦準備銀行は底を打った。連邦準備銀行はそれまで、経済の舵取りをするために使う金利のフェデラル・ファンド・レートを引き下げることで、景気後退と金融危機に打ち勝とうと、むなしくも必死の試みを続けてきた。しかし最終的に、もはや引き下げは不可能な水準に達してしまった。金利をゼロ以下にするわけにはいかないからだ。2008年12月16日、連邦準備銀行は金利のターゲットをゼロから0.25パーセントに設定し、それが今日に至るまで続いている。
アメリカが、いわゆるゼロ金利制約の状態で6年間も過ごしてきたという事実は、驚くべきことであるとともに気が滅入ることだ。しかし、それよりもさらに驚くべき、そしてもっと気が滅入ることは何かと聞かれれば、それは、新しい現実にアメリカの経済議論が追いつくことがいかに遅いかということだ。経済が底を打った時、専門用語を使うと「流動性の罠(わな)」(それが何かと問うなかれ)の状態では、すべてが変わる。ところが政策の方向付けをする力を持った者は、非常に長い間、誰一人として、そのことを信じようとしなかった。
すべてが変わるとは、どういう意味なのか――。私が随分昔に書いたように、経済が底を突いた時には、「通常の経済政策は、もはや適用できない。美徳は悪徳となり、警戒は危険なこととなり、慎重さは愚かなこととなる」。政府の支出は民間投資と競うのではなく、実際には企業の支出を促すようになる。通常は容赦なくインフレと闘うイメージの中央銀行は正反対のことを行い、市場と投資家に対して、インフレを押し上げる意向である旨を説得しなければならない。多くの場合、賃金切り下げを容易にすることを意味する「構造改革」は、雇用を創出するのではなく、それを破壊する可能性が大きくなる。
乱暴で過激に聞こえるかもしれないが、そうではない。事実、これは、主流の経済分析において、ゼロ金利になった時に起こると言われていることであり、また歴史が語っていることでもある。バブル後の日本の教訓や1930年代のアメリカの経済を見ると、それは、ほとんど2008年以降、アメリカがやってきた経済政策を鏡に映すようなものだ。
しかし、前述したように、誰もそれを信じようとはしない。一般に為政者や「非常にシリアスな人々」(訳注:保守的で大層な見解をもっているようで、実は愚かな専門家)は、往々にして慎重な経済分析ではなく直感に頼ろうとした。確かに、時には自分の立場を支持するような立派な経済学者を見つけることができたが、彼らは、酔っ払いが街灯を使うようなやり方でそれらの経済学者を利用してきた。つまり、明るくするためではなく、支えるために使っているだけだ。そしてこれらのシリアスな人々の直感は、何年間にもわたり彼らに対し、正に間違ったことを恐れ、行うようにと教えてきた。
こうしてわれわれは、財政赤字こそがもっとも差し迫った経済問題であり、厳しい緊縮財政を実施しない限りインフレ率はいつ何時にも上昇しかねないと何度も何度も言われ続けてきた。私には、それが愚かなことだと伝えることができたはずだ。いや、実際、伝えたのだ。そして案の定、予想されたインフレの急上昇はまったく起きなかった。しかし、政府の支出をいま、たった今削減せよという要求によって何百万もの職が失われ、アメリカのインフラは大きく損なわれることになった。
自分の間違いを認めない権力者たち
さらに、実際には連邦準備銀行が紙幣を印刷するわけではないが、それはともかく、紙幣を印刷すれば「貨幣価値の低下とインフレが起こる」と繰り返し教えられてきた。連邦準備銀行がこのプレッシャーに耐えた点は評価に値するが、ほかの中央銀行はそれができなかった。特に欧州中央銀行は、有りもしないインフレの脅威を阻止するため、2011年に金利を引き上げた。最終的に流れは変わったものの、以来、もとの軌道に戻っていない。現時点で、ヨーロッパのインフレは公式な目標値である2パーセントを大きく下回り、欧州大陸は明らかなデフレに陥りかねない状態だ。