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2012年5月25日 (金)

「選ぶ」ということ~studygiftを通して考えてみた

出遅れた感のある話題ですが…ざっくり経過を追ったので、思ったことを書いておきます。たまっているライブレポや映画の感想も、後ほどぼちぼちと…。

私がstudygiftに違和感を持ったのは、やはり欺瞞があるからだと思う。この支援サイトの設立経緯を見ると、第一号の彼女ありきのもので、彼女の話がきっかけとなって他の人にも使ってもらえるシステムを考えようとした、という話なんだけど、応募規定もお金の使途も曖昧で、実質2~3日で構築したという急ぎっぷり、目標額に達したときの「ざまーみろ」発言を見ると、二人目以降についてどこまで考えて始めたのか、とても怪しい。

彼女が個人的に学費支援者を募ってメルマガ発行するなり、写真への投げ銭を受け取るなりして集金するというのなら、他人がとやかく言う必要はない。私が「へー」で済まない引っ掛かりを感じたのは、本人コメントにある「『沖縄大学は年間4人に1人が中退している。その9割近くが学費が払えないという経済的理由だった』というニュースを読んだことがあります。」というところ。ここで引き合いに出されている、沖縄大学を中退せざるを得なくなった学生たちがこのサイトで救われるわけではないよね。大義の肉づけのために引き合いに出されただけ。

第一号はこういう女性でも、後に続くのは誰でも応募可能です、ということなんだろうが、ネットに顔と名前を出して自己PRできる学生は限られる。「就学したいが目立てる何かがない『普通の子』が出てきたときは、サクセスは難しくなる可能性もある」(ヨシナガ氏発言 http://japan.cnet.com/news/business/35017282/2/「炎上マーケティング狙っていない」)ことは、十分予測できる。
http://anond.hatelabo.jp/20120518154450「いま話題の「学生支援サービス」は形を変えた「就活」の気持ち悪さ 」

5千円を出す余裕のある人が、なんちゃって苦学生?にお金を出す。それはカラスの勝手でしょ。でも、その流れの中に、実際には救われない苦学生の物語を挿入するのは欺瞞でしょう。他人の厳しい状況を、自分を利する方便に使うのは醜悪で、私は、第一号の人の奨学金停止理由とか既に退学してたとか旅行してたとかいうことなんかより、この構図にいやな感じを受ける。(彼女がバッシングされているこれらのことは、今後を信じて支援するのだと考えれば、たいした問題じゃない。)

肝心の「自分の意志で、『この子に支援する』ということが大事」(家入氏発言、「炎上~」)というコンセプトそのものに、私は賛同できない。大人が、「事業」についてプレゼンして出資者を募るKivaとは本質的に違う。学生は「自分」そのものをプレゼンするはめになる。アイドルという枠組みのあるAKB総選挙とも違う。就活ならまだしも学生対企業で済む話が、不特定多数からジャッジされるわけで、就活より過酷で、しかもその結果が衆目に晒される。そんな花いちもんめに、年若い学生を駆り出すのが良いことなのか?それを承知で、一歩踏み出す勇気のある人が応募するんだ、という話なら、沖縄大の人がどうとか、苦学生を救いたいとか言ってくれるなと思う。という意見に対して、佐々木俊尚は「マイノリティ憑依」とか言っちゃうのかね。引き合いに出して憑依しているのはどっちだろう?http://anond.hatelabo.jp/20120520213412「佐々木俊尚が(うっかり?)ばらまいている『最小少数の最大幸福』観 」(※私は「信者」云々というより、ご本人の発言に疑問を感じることがよくある。著作は読んでいないのでノーコメント)佐々木氏は、批判について「嫉妬」の一言で切り捨てているけれど、それこそ思考停止でしょう。
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2012/05/post-3261.html「家入一真さんの例の件で願うことなど」にあるように、学費というのはデリケートな問題であるし、14歳はもちろん18歳でも20歳でも年若い人が受け取る(かもしれない)お金と引き換えに背負うものが大きいやり方ではなく、NPOなどへの募金を募るとか、個人を出すならせめて匿名にするとか、考えて直してほしい。

ちょっと思い出したこと。
ある人が、希望する中学生たちにウサギの子を5匹くらい分けたときのこと。この子が可愛い、どっちにしよう、と楽しげに選んでいった子たちのなかで、ある男子は選ばずにめちゃめちゃ嬉しそうな顔で1匹連れて帰ったと。「あいつは、こういうときに選ばないんだよ」と、嬉しそうに語った話が心に残っている。私も、器量よしのウサギはどれかしらと選んじゃったかもしれないなー。もちろん色んな局面で「選ぶ」ことはつきまとう。でも、ネット上で気軽に他人の人生を価値判断して選ぶことへの抵抗感はもっていたい。生身の人間をなめたらいかんぜよ。

(追記1)

家入氏「ここであえて申したいのは、結局の所個々の意見の相違はあれど、インターネット界隈の方々は裏でみんな繋がってるという事であります。マッチポンプとまでは言いませんが、要するに一言で言うと「嘘を嘘と(ry」であり、盲信するのも情報の一面だけを見て批判するのも危険だって事を言いたい訳です」

「炎上狙ってない」という発言も、しゃあしゃあとよく言うわと思っていたら、更にこんなことまで…。新しい試みだから批判されるんだーと言っている人から、恐ろしく古い権威付け発言が出てくるもんだなあ。やまもといちろう氏とのやりとりを指して「目指す所は同じと勝手ながら思っております。」ということでまとめようとしているけれど、誰とどう「繋がって」いようが、この企画がろくなもんじゃないことには変わりないです。

(追記2)

※あわわ。普段は過疎ブログなのにアクセスが急増しているので、お断り。

上記の文章は、この件に関する全ての情報を反映しているものではありません。新たに分かったことや明後日方向の擁護への反論は、もうここに書くまでもないかなと。

私は、いったん全員に返金して、それでも残りたいという支援者が再度振り込んだほうがいいのではないかと思っていますが、口座番号を知らせたくないという人もいるかもしれませんね…。

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