悩んだけど、もう少し書いておこう。たぶん、私の発言はそれほど届かないだろうと思うし
悩んだけど、もう少し書いておこう。たぶん、私の発言はそれほど届かないだろうと思うし、だったら、その程度にまで声を上げておいてもよいんじゃないかと、思ったからだ。話は、一昨日、昨日と関連する消費税増税とマスメディアと権力の構造についてだ。
昨日のエントリーで、予想はされていたけど、9月12日の、読売新聞による「消費税増税に首相が意向を固めた」とする「飛ばし記事」について、「あれは飛ばし記事じゃない。なぜなら実際に消費税があったからではないか」という根拠から、あれを飛ばし記事とする私の発言について、「負け惜しみ感が半端ない」「強弁」「ファイナルベントはどうしちゃったんだ」というようなコメントがあった。批判と受け止めたい。
ツイッターなりのコメントなら対話もできる。だが、そうした批判は対話できない場所からのものがどちらかというと多い。コメント者の意図としてはそのまま捨て置かれることが前提なのだろう。
そもそもそういう立場の人があってもよいとは思う。
だから、そのこと自体は問題ではない。
問題は、いや問題の一つは、批判の根拠である。「10月に入ってからの結果が消費税増税だったから、9月12日の読売新聞による『消費税増税に首相が意向を固めた』という記事も、正しかった」とか「リーク記事としては新聞記事として普通のものに過ぎない」とするその考え方である。私は、それはおかしいと思うし、間違っていると思う。
私がそれを「飛ばし記事」であるとした最大の根拠は、9月12日当日の官房長官記者会見で、公式に否定されたことだった。私は、それで基本的に十分だと思ったし、読売新聞記事やそれに先導された大手メディアの同質の記事も仔細に読めば、最終決定をしたのではないだが、首相の内心の意向を明らかにしたという、ソース不明な奇妙な記事だったからだ。さらに言えば、官房長官からの公式な否定が出たのに、それはさほど重視されなかったことも奇妙だった。
もちろん、こういう反論も成り立つ。つまり、「首相の内心が公式見解と違うのは違うのと当然だ」という反論である。でも、それは疑問が必然的に伴う。
どうやって読売新聞は、首相の内心を知ったのか?
記事にはそのソースが書かれていなかった。
そこで、「ソースは開示できないリーク記事だった」と考えることはできる。だとすれば、ではどこからのリーク記事だろうか?
普通に考えれば、首相の内心を知る側近筋ということになるだろう。
そして、その首相の内心を知る側近筋と読売新聞は独自のチャネルを持っていたということになる。
加えて、そのリークのチャネルが使われたということは、リーク側の思惑があるということになる。読売新聞も思惑に荷担する。
だったら、リーク側の思惑がまず考慮されるべきではないのか。
そこが問題ではないか。私の批判者にそこをなぜ考える人が少ないように見えた。
状況を思い出そう。
首相は9月の時点では、10月初旬に消費税増税の決断を公式に開示しないことを明らかにし、また実際、その言明通りに行動してきた。
リーク側の意図は、すると、首相の表面的な言動と実際の思惑は違うのだということを伝えることにある。
そのメリットは何か?
二つのケースがある。
(1)リーク側が本当に首相の内心を知る側近筋である場合。そうであれば、首相の意図がこのリークに反映していたことになる。つまり、首相は、なんらかの意図で、公式には言明できないが、1か月くらい先に「消費増税という本心」を国民に伝えたかったということになる。だとすれば、それは何だろうか。「消費税というショックに備えなさい」という配慮でもあったのだろうか。それならなぜ公式に否定したのだろうか。公式な否定は不要でないか。あるいは官房長官は「首相の意向はわかりません」といった内容を温和に伝えることもできたのに。
(2)リーク側が首相の側近人物であっても、首相と対立する人物であって、リークによって首相を操作したいという思惑を持っていた人物であった可能性もある。それだとどうだろうか。可能性として想定されるから、それも考えてみよう。
その人物は「消費税増税の決断は現実には首相が決めるのではなく私が決めるのだ」という意図があるかもしれない。リーク情報から社会の消費税増税決定の空気を形成することで首相の外堀を埋める意図もあるかもしれない。あるいは、消費税増税に反感を持つ国民もいるから、「首相の内心をリークすることで反感の空気を形成したい」という意図かもしれない。ただし、この「反感の空気」は世論が消費税を受け入れる空気がある程度醸成されているなら、抑制できる。9月12日時点を振り返ると、消費税は絶対に反対とする世論は少なく、どの時点で導入するかについては曖昧な状態だったが、抑制可能な状況にはあった。
二つのケースのどちらだろうか。
もう一度別の視点から整理してみたい。
9月12日の読売新聞記事で問われるのは、それが「結果的に真実を伝えていたからリーク記事ではない」、または、「普通のリーク記事であって飛ばしというものではない」というより、問われるのは、(1)リーク元はどこか、(2)リーク元の思惑は何か、ということだ。
この件で問われるは、そこである。
私の印象だが、私の批判者は、(1)リーク元は首相と同心の側近であり、(2)リーク元の思惑は、首相公式メッセージとは異なる内心を伝えたかった、という前提に立っているはずだ。
私の批判者はなぜそう考えたのだろうか。
私の印象としては、安倍首相は、民主党政権時の菅首相や野田首相と同様、最初から消費税増税の思惑を持っていたから、それが読売新聞記事で暴露された、という前提である。読売新聞・渡辺恒雄をナーブに捉えているからでもある。
その想定が成立する根拠は何だろうか?
私はそこがわからない。
私は、逆の想定をしている。
私は、安倍首相がマクロ経済学を実によく学び、少なくとも私以上にそれを理解した上で、各種の発言を行っていたと見ていた。
彼が再登場してからのマクロ経済学的な発言は、単純な誤解や報道の歪みを除けば、少なくとも私のレベルの理解からは間違いを見いだせなかった。
そして、そのこと、つまりマクロ経済学を理解する有力政治家の存在は、長期にデフレ下にあった日本の状況では、かなり珍しいことだし、しかもそのような人物が政治の中枢に立ったことは驚きでもあった。
ただし、明瞭にしておきたのだが、経済以外の分野で安倍首相を評価できることはほとんどないし、経済分野といっても、金融政策以外の財政政策や産業成長論といった分野で評価できることもほとんどない。
それでも、日本を長い間蝕んできたデフレをマクロ経済学から認識できる政治家が現れ、しかも政治力を行使できることは、一面では希望だった。
全面的な希望ではない。
むしろ、これは市民の視点からすればとんでもない敗北だった。安倍晋三が政治の中枢に復帰したのは、石原伸晃を立てようとした自民党の一派に対して、一種党内クーデターがしかけられてのことであり、陰湿な政争の結果に過ぎないからだ。市民の声が届いたというものではない。その意味では、これは絶望の一形式なのだと言ってよい。
希望面だけを言えば、安倍首相の金融改革は、想定以上のものだった。日銀副総裁に岩田規久男が就いた一例を挙げても、私には奇跡に思えた。また経済顧問として内閣官房参与に浜田宏一が就いたこともそれに継ぐ。これによって、日銀の基本的な道筋は岩田規久男の動向を注視していけばよく(岩田の命運でわかる)、また政府の経済政策については、浜田宏一の動向に注目していけばよい。
特に、浜田宏一については、実質三顧の礼で安倍首相が招いたのであり、これまでの安倍政権の経済政策で大きな齟齬はなかった。
そこでもっとも大きな齟齬のように現れたのが、消費税増税時期という課題だった。この点で、浜田参与は一貫して、消費税増税の延期を述べていた。
当然、これは安倍首相も重視していただろう。
しかも、浜田参与の主張は彼の主観というのではく、普通にマクロ経済学の知見から導かれたもので、安倍首相も受け入れることができる。
ごく簡単にいえば、デフレ脱却の道筋が見える前に消費税増税をすれば、デフレ脱却が非常に困難になるということだ。そして言うまでもなくデフレ脱却ができなければ、経済成長はもとより、雇用の改善などもおぼつかない。
私は9月12日の時点で、安倍首相が浜田参与と対立する内心を固めていたとは、以上の背景から想定しにくい。
こうした想定について私の安倍首相への買いかぶりと見る人はいるだろうし、その点は批判を受けたいと思う。
だが、こうした背景を見るかぎり、安倍首相がデフレ脱却の道筋を明確にする前に消費税増税を掲げ、その結果日本の経済を失速させ、経済が失速すれば首相が排除される日本にあって、自らの首を絞めるような行動をやすやすと取るものだろうか? しかも、9月12日には公式に否定したし、それ以上の否定は首相には不可能であった。
9月12日の時点で、首相側の公式見解は、消費税増税は未決としていた。しかし、いずれ増税か延期のどちらかに決めなくてはならず、延期の可能性がない場合にも備えてそのプランB(代案)を用意しなくてはならない。この代案作成開始時期を使って、リーク側情報が、読売新聞を先導に動きだした。
私の批判者が主張するように、公式見解を軽視するという前提に立ち、真実が、9月12日時点での首相の内心にあるというなら、その真実は、首相が政治を離れて自伝でも書くときにしかわからない。
それでも、以上の流れから、リーク側と読売新聞を中心としてメディアの構造から、首相といえども、謀略(異なる内心が本心だとリークされること)のように陥れることは可能だということはわかる。
しかも、大手メディアに私が抱いた疑念のかけらも見られなかった。
私はこの構造を見て恐怖した。
私の批判者はそういう私を滑稽だという。
私がそれ(私が滑稽だということ)を確信できれば、恐怖も消える。家畜の安寧である。しばらくは虚偽の繁栄である。その先は、まあ、ということに、なれる。
| 固定リンク
「経済」カテゴリの記事
- IMF的に見た日本の経済の課題と労働政策提言で思ったこと(2016.01.19)
- 政府から聞こえてくる、10%消費税増税を巡る奇妙な不調和(2013.10.08)
- 悩んだけど、もう少し書いておこう。たぶん、私の発言はそれほど届かないだろうと思うし(2013.10.05)
- 消費税増税。来年の花見は、お通夜状態になるか(2013.10.01)
- 消費税増税と税の楔(tax wedge)について(2013.08.07)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
finalventさんへの八つ当たりだと思うのです。なにも信じられなくなった人達だと思うので安心させないことには、話をきいてもらえないと思います。冷笑家に対しての違和感ではなく、finalventさんが想定される市民の一部への違和感だと思ったので書き込みました。
投稿: | 2013.10.08 12:48
応援しております。という私の声も、ごまめの歯ぎしりなのでしょうけれども。
投稿: mori-tahyoue | 2013.10.10 01:30