民主党政権が廃した事務次官会議を民主党野田内閣で復活
野田内閣が事務次官会議を復活させた。これもまた野田内閣の自民党化の一環のようにも見えるが、微妙な部分もある。
事務次官会議は、民主党政権では、鳩山内閣時代には廃止されたが、菅内閣時代では震災対応の会議としてすでに事実上復活されていた。野田内閣はさらにそれをぐっと推し進めるということになる。
問題はわかりやすそうでわかりづらい。例えば、NHKのニュース「首相 官僚側に全面協力を要請」(参照)だが、これなどもわかりづらい。
野田総理大臣は、各府省庁の事務次官らを集め、政治家だけで世の中をよくすることはできないとして、政権運営に対する官僚側の全面的な協力を求めました。
総理大臣官邸で開かれた会議には、財務省の勝事務次官や外務省の佐々江事務次官ら各府省庁の事務次官ら16人が出席しました。
この中で野田総理大臣は「各省の皆さんは、試験を通じて公のために尽くそうという志を持って、この世界に入ってこられた。われわれは、選挙を通じて公のために尽くすチャンスを頂いた。選挙を通じて入ってきた政治家は、最終的には結果責任を負うので、やるべきことをやらなかった場合には、政権を降りなければならない」と述べました。
そのうえで野田総理大臣は「選挙を意識して、どうしてもポピュリズム=大衆迎合主義に陥って、つらいことは先送りしようという傾向があった。私どもの政権は、やるべきことはやるという姿勢を貫徹したい。政治家だけで世の中をよくすることはできないので、各府省の皆さんの全力を挙げてのサポートが必要だ」と述べ、政権運営に対する全面的な協力を求めました。
民主党は政治主導を掲げて、おととし政権を獲得しましたが、野党側からは大臣ら政務3役と官僚との間で意思疎通がうまくいかず、行政の停滞を招いているといった批判も出ていました。これを受けて野田総理大臣は、先の民主党の代表選挙で、困難を伴う仕事を遂行するためには、政治と官僚機構、それに民間などのあらゆる力を結集しなければならないとして、官僚との協調姿勢を打ち出していました。
野田首相が、「民主党はポピュリズム=大衆迎合主義に陥っいた」ということを明確に反省されたのはよいのだが、NHKの報道からは事務次官会議の復活は明確に読み取れない。これはNHKの報道が正確だからともいえる。事務次官会議の復活は、いわばなし崩しの自民党化であって、明確に言える筋のものでもないということなのだろう。
そのあたりを突かれた藤村官房長官は、面白い答弁をしていた。TBS「藤村長官“自公時代の次官会議と違う”」(参照)より。
藤村官房長官は、東日本大震災以降に開かれている各府省の事務次官を集めた連絡会議を野田内閣でも続けることについて、自民党・公明党政権時代の事務次官会議とは違うものだと強調しました。
「かつての事務次官会議は正に事務の官房副長官のもとで行われていたわけだが、私ほか政務の副長官も参加する会議なので、相当内容的には違うと思う」(藤村修官房長官)
藤村長官は、政府の各府省連絡会議が自公政権時代の事務次官会議の事実上の復活ではないかという指摘が出ていることについて、官僚だけでなく、政治家が参加していることなどを挙げ、これを強く否定しました。
各府省連絡会議は東日本大震災の発生以降に開かれるようになり、野田政権発足後初となる6日の会議では、今後、週に1回のペースで行われることが確認されました。
民主党は、野党時代に事務次官会議が官僚支配の象徴だと強く批判し、政権交代後、鳩山・菅両政権は官僚と一定の距離をとっていましたが、野田総理は、逆に官僚組織と協調し、会議の機能を強化する考えを明確にしています。(07日13:09)
まず確認したいのは、「政権交代」の民主党では、そもそも事務次官会議は廃止されるものだったということ。これを根幹に見れば、まず藤村官房長官が詭弁にならざるを得ないことは明らかである。
しかし三分の理すら聞くべきだとして、ではどこが違うのか。いわく「かつての事務次官会議は事務の官房副長官のもとで行われていた」しかし、「私ほか政務の副長官も参加する」から違うのだ、と。
やはり詭弁であって、どのように参加するかが明言されなければならない。参加だけでよければ、椅子に座って寝ているだけでも違うことになる。そもそも誰が参加するかとことではなく、次官が政策課題をフィルターすることが問題なのだが、その言及は藤村官房長官にはない。認識がないのかもしれない。
事務次官会議(事務次官等会議)は設置に法的な根拠をもたないが、政策決定に重要な役割を担ってきた。事務次官会議で調整がつかなかった案件は閣議にかけられない。ここで官僚の合意が取れない問題があればフィルターアウトされて政治決定に上らず、事実上隠蔽されてしまう。
野田内閣での事務次官会議で問われるのは、なにを課題としてどのように決定されるかという仕組みであって、その仕組みのなかで、行政側の参加者がどのような権限を持つかというということになる。
そこが問われなければようするに、野田内閣の事務次官会議は自民党時代のそれと違いなどないのだ、と言いたいところだが、実は自民党のほうが、事務次官会議を廃そうとしていた経緯がある。
象徴的なのが安倍政権時代で、国家公務員の「押しつけ型天下り」に関する政府答弁書をめぐりを巡り、2007年3月26日の事務次官会議で反対があり、慣例として閣議に上がらないはずであった。だが、安倍元首相は事務次官会議は法的根拠のない慣例にすぎないとして、閣議に持ち込んだことがある(参照)。裏方で采配していたのは、当時の渡辺喜美大臣であったとも言われる。
安倍政権はこの件でも官僚を敵に回し、直情的に改革を推進しようとしたが、頓挫した。続く、鳩山政権も頓挫したと言ってよいだろう。
事務次官会議は官僚主導だからいけないといった、民主党マニフェストのような単純な話が通らないのはこの数年のプロセスで明らかになってきた。だが政治が主体的に機能しなければならないときもあり、そうしたときに野田内閣ではどのようなプロセスを取るのかが、現状では皆目見えてこない。
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コメント
細かいことで全体の論旨には関係ありませんが、的場氏には国土庁事務次官の経験はあり、異例と考えられたのは①大蔵省の出身であること ②霞が関を離れてから長かったこと であると思います。
ただ、お書きになっている2007年3月の次官会議での反対論というのは、公務員改革を巡るお話のようです。的場氏は安倍内閣の最初から最後まで官房副長官ですから。
投稿: kky | 2011.09.07 17:37
kkyさん、ご指摘ありがとうございます。記憶違いがありました。訂正しました。
投稿: finalvent | 2011.09.07 18:42
野田内閣のよい点を挙げると、菅内閣ではゼロだった女性閣僚が2人に増加したことです。
○菅内閣女性閣僚ゼロ!:アルバイシンの丘
http://papillon99.exblog.jp/16197522/
小泉内閣では女性閣僚が5人存在したこともありましたが、一人は男でも女でも無く「有事体制」のサインだし、小泉氏そのものが一夫多妻制論者のような気がします。
投稿: ・・・・ | 2011.09.08 13:26