[書評]私たちが子どもだったころ、世界は戦争だった(サラ・ウォリス、スヴェトラーナ・パーマー)
本書、「私たちが子どもだったころ、世界は戦争だった」(参照)のカバーには15人の少年少女の顔写真と名前が記されている。古そうな写真だ。写りの悪い写真もあり、親しみづらい印象をもつかもしれない。しかし、本書を読み終えたあと、その一人一人を自分の友だちのように身近に感じるようになる。その生命をたまらなくいとおしく思えるようになる。10代の彼らは第二次世界大戦を体験し、その戦火のなかでかけがえのない経験を記した。戦争とは何か。知識や善悪の教条を超えた答えがその手記の中にある。
![]() 私たちが子どもだったころ、 世界は戦争だった サラ・ウォリス スヴェトラーナ・パーマー |
カバーの写真では15人だったが、もう1人、氏名不詳の少年を加え、16人の手記で本書は構成されている。
ポーランド人が4人。うち2人はユダヤ人。ドイツ軍によって封じ込められ、ホロコーストにあう。フランクルの「夜と霧」(参照)とは異なった視点からその凄惨さが描かれる。
イギリス人少年が1人。彼は同年代の米国人少女と文通しつ、ユーモアを交えて日常生活と戦争の状況を語る。同盟国の米国への焦りを漏らすこともある。
フランス人少女が1人。ミシュリーヌ・サンジュ。ドイツがフランスに侵攻した1939年に13歳だった。彼女の手記には怒りも恋心もある。魅力的な叙述だ。本書を通じて事実上主人公的な位置を占めている。この部分だけ取り出しても「アンネの日記」(参照)のように一冊の書籍になっただろうが、あえてそうせず、戦争を多角的に描き出すように編集されている。フランス人少女から見た第二次世界大戦といえば、私は若いときに見た映画「ルシアンの青春」(参照)も思い出した。
ドイツ人が3人。ナチス党青少年組織ヒトラー・ユーゲント出身の17歳の少年、ヘルベルト・ファイゲルは本書前半でドイツ側の内情とその動向を表している。後半は15歳の少年クラウス・グランツォフの手記になる。彼は、ヴォネガットの「スローターハウス5」(参照)のテーマでもあるドレスデン空爆を目撃する。人間の目を通すことで、戦争が正義と悪、あるいは加害と被害で単純には色分けできない様相が描き出される。
米国人が1人。ユダヤ人少年である。彼は遠いところの戦争を静かに見つめつつ、同時に戦時下の米国のユダヤ人の生活を伝える。
ソ連(ロシア)の少年少女は4人。レニングラード包囲戦を内側から描いた15歳の少年、ユーラ・リャビンキンの手記は凄烈だ。人間の極限を描くことになった。17歳の少女イナ・コンスタンチノワは祖国愛からパルチザンに身を投じ、愛国の英雄ともなる。手記も愛国心に満ちあふれたものだが、それを歴史のなかに置き直せば、少女としての悲しみが読み出せる。
日本人は2人。一高生で海軍航空隊(特攻隊)に志願した佐々木八郎の手記を私は読みながら、その懐疑的なメンタリティと純粋志向の点で、少年時代の私とあまりにメンタリティが似ていて驚いた。私があの時代にいたら佐々木のようになっていただろうという共感から涙した。開戦の翌日、彼は「どうも皆のように戦勝のニュースに有頂天になれない」と書く。11日には、「純粋に戦勝を喜べない俺の頭をぶちこわしてしまいたい。ヒトラーの演説を聞き、三国協定の締結を聞いても、国民の歓喜に共鳴しない俺の頭をぶちこわしてしまいたい」と続く。それでも彼は死地に赴く。2年後に「頭も体も何もかも揃ったこの僕をむざむざ殺す海軍であれ日本国であったなら、人を使うことを知らん奴なのだと思ってもいい。自分が死んだら、自分が要らなかったからだ」と書く。若者らしい心には、国家というものの本質は見えないと50歳を超えた私は思う。「きけ わだつみのこえ」(参照)とは少し違う色合いで本書は日本の少年を描いている。
加藤美喜子は出征兵士を見送る位置にいる。1944年6月12日の手記では、大本営の情報からきちんと欧州のドイツ軍の状況を見抜いている。「敵を七万もやっつけたとの事、戦果は大したものだが、けっきょくドイツ軍は少しずつテッ退を続けて居る」「”無中になる”これは日本国民の悪いくせ、むろんこれが長所になる時が有るんだけど……」と書く。14歳の少女にそれが見えていた。
彼らのいくにんかは戦争の犠牲となって死ぬ。その時代を生き延びた者についてはエピローグで語られる。誰がどういう運命に遭うかについては、知らないで読み進めたほうがよいと思うのでここには書かない。
本書は戦争を語る書籍としても優れている。大人はもとより、高校生や大学生にはぜひお薦めしたい。類書では得難い知識や視点を得ることで、歴史と世界というものがくっきりと見えてくるようになる。困ったことと言ってもよいのかもしれないが、日本人は、戦争をつい太平洋戦争や対アジアの枠組みだけで捉えがちだ。しかし、本書を読めば日本が第二次世界大戦のなかにどのように組み込まれていたかもわかるし、日本人からすれば遠い国の話のように思えるポーランドの惨状なども理解しやすい。
本書はBBCドキュメンタリー制作にかかわてきた米国生まれの英国人サラ・ウォリスとモスクワ生まれで英国で暮らすスヴェトラーナ・パーマーの2人が5年かけて描き出したものだ。読みやすく編集されたそれぞれの手記の裏側に膨大な努力が潜んでいることは容易に察せられる。
それにもまして、ここまでやるのかという努力は邦訳書にもある。本書のオリジナルは英語で書かれたもので、各手記もその少年少女たちの言語から英訳された。だが、邦訳書では英訳された手記部分をそのまま日本語に訳すことはしていない。それぞれの言語で書かれた手記の原文から新たに翻訳し直している。そのため、英語の本文訳を田口俊樹が担うほか、「カラマーゾフの兄弟」(参照)の新訳した亀山郁夫、「ヒトラーの秘密図書館」(参照)を訳した赤根洋子、サガンの新訳をした河野万里子、ポーランド文化に詳しい関口時正を加えている。
邦訳書では、また各手記が誰の手によるものかわかりやすくなるように、手記の冒頭に書いた少年少女の小さいポートレートをアイコンふうに配しているほか、書体も工夫されている。この編集の意気込みからは、日本でも長く読み継がれる書籍であってほしいという願いが感じ取れる。
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コメント
本著の内容、企画に関しては、大変意義があるものと高く評価したいところです。ただ、良書と思っただけに敢えて批判したいところを申し上げます。まずタイトルの「子ども」の語に大きな違和感を覚えました。本著に登場するのは10代の半ばから後半の若者で、最終的には20代に達していた人物も幾人もいます。彼らに対して「子ども」の語は相応しくない、もっと適切な言葉にしてほしかったと思います。また訳ですが、これらの日記や手紙を書いた人物が10代の若者であることを忘れたような、とうてい若者が使わないような言葉遣いが見られ、気になりました。
投稿: 根本啓子 | 2010.09.26 21:30