純喫茶をめぐって
日本茶、紅茶と限らずお茶が好きで、ついでにその関連の歴史だの文化だのにも関心を持つ。あまり極めるということはなく散漫な関心事であるのだが、「茶の湯の歴史―千利休まで(朝日選書)」をなんとなく読み返していて中世の東寺南大門前の茶売りの話をまたぼんやり考えていた。
時代は応永十(一四〇三)年四月。東寺南大門前の茶売りたちが東寺に誓約書(請文)を書いている。同書にはその一点が引用されているが、内容はといえば、門前に住み着くな、寺の水を使うんじゃないといった無難なことばかり。だが、それだけでもなかったようだ。
その後、同じ東寺の門前の茶屋に対してしばしば文書が発せられているところをみると、東寺門前での茶売りはますます盛んであったことがうかがえる。その禁令の古文書のなかには、茶屋ではたらく女のことを記したものがある。どうやら、茶屋は茶ばかりでなく、よからぬことも売っていたらしい。茶という字が、しばしば色里の隠語に出てきたり、茶屋といえば、色っぽい世界を意味するようになるのは江戸時代のことだが、その源流はこんな門前の茶屋にもすでにあった。
さて「源流」と言えるのかわからないし、そっちのほうの古文書のほうを読んでみたいのだが(といって原文は私なぞには読めまい)、この文書からでも仮設の小屋のようなものがあったことはわかる。であれば、そうした関連商売もあったであろうし…別の商売といえばこの二十一世紀の日本ですら云々といったものではあろう。
なかなか茶というのは茶のみを純粋に味わうというものでもないし、もともと茶道には食事や喫煙が組み込まれてもいる。とぼんやり思いながら、純粋に茶…純喫茶という駄洒落のような連想が沸き起こった。純喫茶というのは死語であろうな。
字引を引いてみると純喫茶の項目はない。後方検索をかけると大辞林に歌声喫茶だけがあった。
歌声喫茶
小楽団の伴奏で客が合唱を楽しめるようになっている喫茶店。〔第二次大戦後、関鑑子(1899-1973)の指導によって全国的に広められた歌声運動に結びついて流行した〕
関鑑子といえばカチューシャである。もろあれだ。と、歌声運動について少し書いてみたい気もするがそれほど気が乗らない。ネットになんかあるかと見たら、「日本のうたごえとは 【歴史】」(参照)というのがある。ざっと見て萎える。関心のある人はどうぞ。
純喫茶が字引にないのはなぜか、版が古いか、とためしにグーグル先生にきいてみたら、はてなのキーワードにあると言う。まさか。俺が爺ぃ筆頭のはてなにあるわきゃねーだろこのぉと思ったが、ある。「純喫茶とは」(参照)である。
純喫茶
喫茶店の中でもアルコールのメニューを置いていない店のこと。
かつて「純喫茶」を名乗っていた店の中でも有名なのが東京池袋の「純喫茶蔵王」か。
かの店はお代わりし放題のトースト、ゆで卵や金魚鉢に見間違うほどのジャンボパフェで有名だったが。2004年2月に閉店した。
マイアミはどうしたと突っ込む気はないが、はてならしい解説だなと思う。が、ほかグーグル先生も同じようなことを言っている。面白かったのは、「[教えて!goo] 純喫茶ってなんですか?」(参照)だ。間違ってはないから良回答なのだろうが、むしろ同伴喫茶などに触れる劣回答のほうが私には実感がある。
私が二十歳になったのは一九七七年だが、そのころ同伴喫茶があったか。言葉はあった。が、ああ、あれかというオブジェクト・オリエンティッドな記憶はない。ネットをさらに見ていると、「阿藤快 今月の放言」(参照)にまさにそのものといった「第3章 同伴喫茶にあの子を誘った」(参照)という話がある。
俺が大学生だったのは1970年頃。当時は新宿の西口で安保の話とかを熱く話してたのに、たった30年で一気にこうなっちゃったんですよね。それと同時に同伴喫茶がなくなってね。同伴喫茶は階段も室内も暗くなってるんですよ、陰靡な感じでね。キャバクラのボックス席みたいなのがあって、そこでカップルはセックスまではしないけどいちゃつけるんだよね。もちろん、俺も行ったことありますよ。誘うのにすごい緊張したけど、相手も期が熟すみたいな感じで了解してくれた。でも、まだその時は肉体関係なんてない。セックスの前に行くところなんです。だから同伴喫茶に行くのはある程度段階を踏んでるから、相手もすんなりとOKしてくれたんだろうな。それよりもやっぱり手をつなぐほうがドキドキでしたよ。当時は付き合って3ヶ月で手をつないで…とかそういう時代。結婚するまで貞操を守るっていうのがまだありましたからね。
彼は私より約十歳上なので、現在六十歳手前くらいの人々の青春の風景でもあったのだろうし、柴田翔「贈る言葉(新潮文庫)」(参照)収録「十年の後」もそうした風景の一つなのだろう。
戦後史の総括が本当に出始めるのは、この世代が退職してからか。しかし、歌声を否定したところからの声は出てこないかもしれないなとも思う。
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コメント
>俺が大学生だったのは1970年頃。当時は新宿の西口で安保の話とかを熱く話してたのに
歌声喫茶が全盛期だったのは、60年安保の頃だと思う。
70年安保だと、西口フォークゲリラとか 「反戦フォークの旗手」と呼ばれた岡林信康あたりが中心じゃないのかなー
ちなみに、「贈る言葉」や「されど我らが日々」は読んだ。
投稿: nami | 2005.12.18 20:55