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四柱推命

しちゅうすいめい

四柱推命(しちゅうすいめい)は、中国で陰陽五行説を元にして生まれた人の命運を推察する方法である。

概要編集

四柱推命(しちゅうすいめい)は、中国で陰陽五行説を元にして生まれた人の命運を推察する方法である。

「四柱推命」という呼称は、中国の原書に見ることができない。英語圏で"Four Pillars of Destiny" もしくは"Four Pillars Astrology"と呼ばれているように、既に世界的に使用されている。中国では、「子平」「三命」「命学」「命理」「八字(パーツー)」、韓国では「四柱命理(사주명리)」「四柱八字(사주팔자)」などと呼ばれる。


四柱推命では四柱八字の構成から、扶抑、調候、清濁を論じて、扶抑用神、調候用神、病薬用神を見る。そしてこれらの用神から、いかなる状況でも自分にとって吉の作用を持つ用神を出し、用神を軸にして本来の特性や巡ってくる運勢の吉凶を判断する。この用神を特に真用神と呼ぶことがある。


沿革編集

四柱推命の起源は紀元前1400-1300年頃の中国 殷代での「甲骨文」と呼ばれる物であり、六十干支を使って月日を表していた。

1100年代、南宋の徐居易(徐子平)の書が文献考証的に四柱推命自体の最古となるため、徐子平が命学の祖といわれている(一説には、命理の始まりは、戦国時代(紀元前400年~ 200年頃)の蘭台御史(天子の秘書官)の珞琭子であるとされている[要出典])。続いて1200年代に徐大升により『淵海子平』(えんかいしへい)という書が著され、1368年頃、明の軍師・政治家であった劉基(劉伯温)が『滴天髄』(てきてんずい)という書を著したとされている。

近年では、清代末の辛亥革命前後の時代に活躍した徐楽吾の著作がその数において突出しているため、日本にも大きな影響を及ぼしている。ただし、徐楽吾の論が正しいかどうかについては意見が分かれている。

日本には江戸時代中期に移入された。文政年間、仙台藩の儒学者桜田虎門が『推命書』という名称で『淵海子平』の訳本を出したのが、考証的に最古の書である。しかし桜田虎門は四柱推命に対する専門知識がなかったとも言われており、翻訳の質の点では疑問も残るとする評価もある。現代では阿部泰山流、高木乗流などがあるようである。粟田泰玄は阿部泰山流である。なお四柱推命に流派などない、という立場で武田考玄という研究者も活躍した。

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