年末。KOBA789 です。
南米出張から戻ったあとちっとも時差ボケが治らず、自律神経を単振動させていたらもう年が明けそうです。それに限らず本年もさまざまなことがありました。
2023はこちら: diary.hatenablog.jp
年初
1月。2024年は配信2連チャンで幕を開けました。いずれも好評で、というか宮乃やみさんとやらせてもらったRust の所有権とライフタイムを解説する方はやたらと好評で、アーカイブについたコメントの数に驚いたりしました。まったくありがたいことです。結局2024年の YouTuber 活動は年始のこれがピークになってしまいましたが。
仕事の方では、念願のデータ利活用でビジネスすっぞという部が立ち上がり、そこへ異動となりました。私は個人のお金を稼ぐことにあまり興味はありませんが、お金をいただけるような価値を事業で創造するのは、稼いだお金でより大きなことができるようになっていくので大好きです。というわけで、よりビジネス寄りの所属への異動を希望していたのでした。が、そんなにスッと仕事の引き継ぎができるわけもなく、同僚のサポートも得ながら3ヶ月くらいかけて異動した気がします。このとき、某氏の「南米とか興味ある?」という言葉に曖昧に肯定的な返事をしたことが、私の2024年の動向を決定づけることになります。
それまで組込み Rust を書くことが多かった仕事とはうってかわって、異動先ではウェブフロントの TypeScript を書いたり Terraform HCL を書いたりといった感じで技術的にはどこか懐かしさがありました。まぁそれぞれを書く分量の割合が逆転したというだけで、それまで TypeScript を全然書いていなかったわけでも、それ以降組込み Rust を書かなくなったわけでもないんですが。
3月にはスペースワンのカイロス1号の打ち上げ……とは関係なく、打ち上げ予定の前の週に串本に遊びに行きました。単に本州最南端を取りたかったというだけですね。青森やら鹿児島やらで長距離運転に慣れてしまった私としては土日で行くには近すぎました。現地で時間が余り気味になってしまったので、和歌山の内陸側の地図をもう少し読み込んでおくべきだったと後悔しています。本命の本州最南端の碑はあんまり印象に残っていません。交通アクセスが良すぎて最果て感がないこと、近くにバスツアー客向けの寂れた観光施設があって雰囲気が台無し、なども印象の薄さの一助になっていると思います。
そんな旅の帰りに寄った PA で開かれていた、レンタル落ち CD のワゴンセールでレアグルーヴを発見。「水の都の護神」のサントラはプレミアが付いており、1万5千円くらいで取引されています。たしか1万円弱くらいで入手したはず。これに収録されている「謎の少女、再び(迷宮)」がいい曲なんですよねぇ。最南端の碑よりこっちのほうが印象に残ってます。
春
仕事の方はぼちぼちというか、体制が変わったので引き継ぎやら立ち上げやらであんまり成果らしい成果がなくもどかしい時期でした。でもここに(全然完璧ではないにせよ)時間をかけたからその後の調子がよかったのだ、と思いたい。言い訳かも。
ゴールデンウィーク翌週、ふと砂丘というやつが見たくなり、鳥取に行きました。串本が近すぎた反省を活かし、もし時間が余っても島根まで足を伸ばせば調整できるだろうという算段です。鳥取砂丘は一部ではがっかりスポットとか言われることもあるらしいですが、私にとってはまったくそんなことはなく、一面砂まみれの景色と、大量の砂に足を取られて歩いて丘に登るのも大変という体験はとても新鮮でした。砂丘の見学は太陽がピークアウトする前に追えてしまい、時間が余るかもという私の予感が見事的中したため、スイスポを海岸線に沿って西へ走らせることにしました。
観光地化されているお社にちょくちょく挨拶をして回りつつ、私は出雲大社……の裏手にある日御碕灯台に向かいました。ここから見える夕陽が綺麗だというので、是非この目で拝んでみたいと思っていたのです。水面に沈む陽の光は前評判通り美しく、満足して帰ろうとする私は灯台の駐車場でヒッチハイクを見つけました。その2人組みはちょっといいカメラも持っていた(SONY の PXW とかか?)ので、もしや YouTuber か何かだろうかと思って声を掛けてみると、なんと CBC テレビのロケでした。聞けば地名しりとりという企画で日本中を旅~させられている~しているらしく、日の入りを見に来たら終バスを逃したとのことでした。山の上で終バスを逃した人を麓まで送るのは人生で2度目です*1。麓の駅までの車内ではながつさんとお互いの旅の思い出で大いに盛り上がりました。別れ際に番組のステッカーをいただきました。番組ステッカーっていいですよね。小学生時代におに魂シールに憧れていたからでしょうか。なお、この模様は(ローカルなテレビ局とはいえ)バッチリ地上波と YouTube で放映されたみたいです。
思えば、日御碕までの道中で「因幡の白兎」の神話が有名な白兎神社に立ち寄っていました。縁結びの神様でありますが特段相手というのもいない始末でしたので、もしこの旅で何か愉快な縁があれば、とお祈りをしていたのでした。まさか即日とは思いませんでしたが、本場恐るべし、なのでしょうか。帰りがけにお礼参りをして帰路に就きました。
夏
年初に言っていた南米の話がジワジワ現実味を帯びてきて、というか私を南米に連れて行く準備を周囲が着々と進めてくれていて、あとは黄熱病のワクチンさえ打てば行けるとなってしまったのがこの頃。2023年末の時点では海外で仕事する気なんて更々無く、この時点では海外経験も僅か1回という状態でした。よもや2回目の海外が地球の裏側になろうとは。
こうして日本の夏、南半球の南米では冬(?)に初めて南米に渡ることになりました。わかりやすく南米と書いていますが、「南米」って「アジア」くらいの広さがある言葉なわけで、正確にはパラグアイのアルゼンチン側の国境近くと、ブラジルのベレン、マナウスあたりに行きました*2。この出張の目的は様々で、挨拶回りだったりデータ集めだったり学会参加だったりしました。しかし振り返ってみると、その地に人工衛星の潜在的な需要があると感じられたことが何よりの収穫だったように思います。これは本当に行かないとわからないかも。
さて、その旅路はどうだったのかというと、まず行きの飛行機の機内食で出されたパイナップルで舌の裏を切って英語はおろか日本語すら満足に話せなくなり、ブラジルで泊まったホテルで焚かれていた殺虫剤で鼻水が止まらなくなり持っていったティッシュを使い果たしたりと、しょーもないところで大苦戦を強いられました。ブラジルのドラッグストアで陳列棚に出されていない虫刺されの薬をどうにかこうにかコミュニケーションして買ったのはいい経験だったかもしれません(ブラジルはポルトガル語圏なので町中では英語が通じない)。そんなこんなで不慮の事故によるデバフはありつつも、現地のみなさんには軒並み暖かく迎えていただいて、いずれの土地でも料理は美味しく(口は痛かったけど)、トータルでは無事に帰って来られたということになると思います。仕事の自己評価の方はまぁ、次回に期待という感じでしたが……。
南米から帰ると日本の夏は粗方終わっていて、真夏の最も暑い時期を南半球でやりすごした形となりました。ベレンはほぼ赤道直下なので季節関係なく暑かったけど。
秋
仕事の方では、宇宙科学技術連合講演会という宇宙系の学会で発表をしました。この学会は初参加だったのですが、これがなかなか(いい意味で)無茶苦茶な学会で、近年の宇宙産業の急速な発展に呼応してその規模を拡大しつつも、未だに宇宙系の発表をオールジャンルで受け止め続けており、スーツ・ジーパン・学生・エンジニア・サイエンティストが一堂に介しているという異様な光景が広がっていました。
プライベートではYAPC 函館に行ったり、高校の同級生と伊豆に遊びに行ったりしていました。今でも一緒に遊べる~アホな~高校時代の友人がいるというのは嬉しいことだなぁと思いつつ、かれこれ10年以上経つけど何も変わってなさすぎて安心したり心配になったり複雑な気分です。自分も心配される側であるという自覚はあります。そんな友人達も多忙は多忙で、なんならうち一人は日本海側に住んでてこっちに出てくるのも容易でないという事情もあり、なかなか予定の共通部分が取れずにいたのですが、10月の三連休は皆偶然予定が空いており、かくして伊豆旅行の運びと相成りました。
冬
南米2。この回ではパラグアイにのみ行きました。夏の回では不意のデバフを食らいすぎてあまりバリュー出せなかったし、個人的に今度こそはという気持ちで挑みました。フィールドワークが多かった前回と違って、普通に議論やコミュニケーションの多い仕事ではありましたが、パイナップルによる事故はなく2回目故の余裕があったので多少のバリューは出せたような気がします。自分の詳しくないドメイン(異国の農業)に関して慣れない言語で質問して理解するプロセスはシンプルに脳が疲れる。それでも相手方の職員の方達がスペイン語と英語を通訳してくれるのでなんとかなっています。これなかったらどうなってたんだマジで……。
せっかく行くんだから空気をたくさん吸っとくのが大事というか、この国のことはググってもなんもわからんので現地にいるうちにちゃんと見て回っておきたいよねということで近くの山(丘?)へ。標高は350mくらいで日本の基準では低山ですが、頂上付近が急に切り立っていて岩場になっており、低いながらも楽しい登山でした。
来年に向けて
金・時間・体力・気力のうち一番足らないのは時間ですがそれはどうにもならないので、時間→体力→気力という連鎖でジリー・プアー(徐々に不利)になるのを避けるべく2025年は体力を付けていきたいですね。そういえば2024年の目標はもはや覚えていません。
2025年の KOBA789 にもご期待ください。