明治天皇と南朝イデオロギー
明治天皇と南朝イデオロギー そもそも維新の志士たちがなぜ「南朝イデオローグ」だったのか私によくはわかりません。彼らがかつぎあげた睦仁親王――明治天皇は「北朝」だったのではないでしょうか。また正閏論争の際、その明治天皇が「南朝」を正統とするという勅命を出したのも理解に苦しみます。これは南朝イデオロギーの元老・山県有朋の圧力によるものなのですよね。少年天皇を「玉」としてかつぎあげ、明治新体制を作り上げたのはこの俺たちであるという自信でしょうか。私の薄い脳みそなりに本を読んだり検索はしてわかったのは、せいぜい歴史の教科書がコロコロ変わったということだけでした。敗戦の際、北朝である昭和天皇も何より「三種の神器」の行方にこだわったと云います。ともかくなぜ「南朝」が正統なのか、今さらお恥ずかしい質問ですが教えていただけないでしょうか。
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