ネット上のリセット

ネットコミュニティ形成とリセット観
http://d.hatena.ne.jp/kowagari/20060208/1139409090

つまりー、過去に渡りあるいた新規コミュニティ構成者との細くて強い糸を四方八方に垂らしたまんま、今いるコミュニティに所属している状態っていうのがあってー、そういうのは渡ってはいるけど厳密には渡ってないわけでー、自分で言ってて意味わかんなくなってきてます。

こういうのが俺の持っているリセット観なんですけど、もっと全人格的にリセットする人がいて、過去への糸が完全にぷっつり切れいて、なのに妙にネット歴が長そうな言動があったりすると、途端に俺の前髪がピキーンとおったちます(さらにちぢれます)。レッドアラートです。ネットだと人間関係を清算しやすいって思っている全人格リセット観の持ち主に脅威を感じる。

ネット上の場を渡り歩くということに対して。「全人格リセット観の持ち主に脅威を感じる」というのに強く共感します。結局同じ人がやっていれば、いろんなものを引きずっていくものだと思っています。

Sorry Works!

http://www.sorryworks.net/
 訴訟の国と言われるアメリカ合衆国でのお話。少し前までは医師たちは、医療事故を起こしても、決して認めない、謝らないことと教えられてきました。それが訴訟の原因になるからだ、と。そして現在、日本でも医療訴訟が増えるにつれて、同様のスタンスを教えられつつあります。医療訴訟に備えた保険の契約にも、そういったことが書いてあることが多いのです。しかしそれらは事実と異なっており、誠実に謝ることで、かえって訴訟は減ることがわかってきたようです。Sorry Works!という動き。
 ただ、以前も述べたかも知れませんが、アメリカという国は、背景に、割ときちんとした法整備を行っています。昨秋連邦議会に提出された法案では、連邦政府に患者安全医療品質局を設置し、医療ミス情報の集積や、救済の推進を行います。説明、開示と謝罪の義務も盛り込まれているが、その謝罪の内容が法廷において有罪証拠として採用されない条項を盛り込んでいます。
 これらは、「良きサマリア人法」のような考え方にも似通ったところがあります。応召義務のないアメリカにおいても、行き倒れの人が見捨てられないよりどころのような法律です。過去触れたことがあるので、再録しておきます。
 僕らの多くは、アメリカでは「合理的」を推し進めた結果、なんでも詳細な説明を行い、それにはずれたことはなんでも訴訟で解決するようなイメージを持っているような気がします。少なくとも、僕はそうです。実際、そういう点も多いと思いますし、医療現場のみ考えても、医者たちは、増え続ける訴訟と、高額な賠償金におびえています。そのため、医師賠償保険の掛け金は高額となります。たとえば、産婦人科医は、正常分娩年間何例まで保険適応、というような契約をするため、それを超えると患者を断るのだそうです。善意で診療し、「ほぼ安全」な分娩がうまくいかなかったときには破滅してしまうからです。そうして、保険金の負担に耐えられず、訴訟の多い地区や診療科は医師が敬遠し、診療を受けられる場所がなくなっていったのです。それに歯止めをかけようとする運動のひとつがSorry Works!です。
 日本の現状は、医療費の問題も、訴訟の問題も、アメリカの医療たどった悲惨な歴史を追いかけているようなところがあります。アメリカの何分の一の給料で、応召義務も抱え、休みなく働く医者がなんとか踏ん張っているけれど、これが破綻するのは時間の問題です。小児科や産婦人科はすでにほころび始めているのは周知のところです。これを解決するのは締め付けではありえないのです。給料とか休みの問題だけではなく、根本的なところ、心の問題とかそういうところで、僕らを守ってくれるような制度ができないものでしょうか。
 僕らが向き合うのはモノじゃなくて人間です。おんなじ医療をしても、良くなる人もいれば、残念ながら治らない人もいます。人が人を診るので、ミスは当然ありますが、よくならないのは、ミスということだけではありません。
 たとえば、手術後の合併症で容態が悪くなっていったような場合、もちろん、もっと上手い手術を行い、完璧な管理を行えば、違う道があったのかも知れませんが、手術で大事な血管を切ってしまったとか、使用すべき薬を間違えたとか、そういう重大なミスがなくても、悪くなるときは悪くなっていきます。そして、当然僕らは、患者や家族にそういったことを説明します。しかし、少なからず、「こんなに悪くなるのは、何か隠しているミスがあるんだろう」というようなことを言ってくる人がいます。
 受け持ちの患者さんの容態が悪くなっていくのに加え、本当に何か隠しているのならば打ち明けるという道があるものの、すべてを話しているのにうそつき呼ばわりさせるという二重の苦しみに打ちひしがれることもあります。無論、患者さんやその家族にとって、確率とかそんなことはどうでもよくて、悪くなってしまったという結果は受け入れがたいものであるし、そこに手術など、技術の差が出やすく、直接は患者さんたちの目に触れない部分がある以上、ミスを探したくなる気持ちはわからなくもないのですけれど。そうして、誠意が伝わらないというのは、僕の不徳の致すところでもあるので、相手を責めることなどできないのですけれど。しかし、辛い。僕も医者として5年も働いていると、辛い症例を何例も受け持っているし、そのたびにトラウマを抱えていきます。大酒のんだり、遊んだりしている瞬間に、ふと、過去の受け持ち患者さんやその家族が思い出され、言いようのない自己嫌悪を感じることもあります。バカな日記なんて書いているのをみられても、遺族はいい気持ちはしないと思いますし。匿名でサイトをするのには、そうした意味もあります。
 トラウマと肉体的疲労が蓄積すると、本気で退局や転科を考えます。時には医者自体を辞めることも割りと具体的に考えたりもするのです。そういう医者、少なくないと思いますが、いかがですか。

2002/10/10(木)「良きサマリア人」

 世界で最大のベストセラー書に、こんな一節があります。

 ある人がエルサレムからエリコへ下っていく途中、追い剥ぎに襲われました。その人は、追い剥ぎに身ぐるみはがされ、半殺しにされた上、その場に放置されました。たまたまその道を下って来たある祭司はその人を見ると、道の向こう側を通って行ったのです。あるレビ人(聖職につく人々)も道の向こう側を通って行きました。しかし、そこを通りがかったあるサマリア人(エルサレムからは疎外されていた人々)は、その人を見て憐れに思い、近寄って、その人を救ったのでした。

 いわゆる聖書のお話です。僕はキリスト教徒というわけではないので、教義について語るつもりはありません。このいわゆる「良きサマリア人」のお話にちなんで、アメリカ各州には「良きサマリア人法」という法律があるんだそうです。

 あの有名な訴訟国家アメリカ合衆国において、道端で倒れている人が放置されないですむための拠り所のような法律なんです。「お客様の中にお医者様はいらっしゃいますでしょうか?」とかいう航空機内のアナウンスは、僕は幸運にも、まだドラマの中だけでしか耳にしたことはありません。僕は確かに、道端で倒れている人を救いたいとか、全身を診たいとか、そんないろんなことを考えて外科医になったわけですし、当然真っ先に駆けつけたいところなんですが、そんな僕らを守ってくれるものは、ここ日本には存在しないのでした。

 良きサマリア人法とは、「ボランティア診療において、故意もしくは重大な過失の場合を除き医師の損害賠償責任を免除する」というもので、善意の行動が必ずしも良い結果を生むとは限らない命相手の仕事において、しかも設備も体調も万全とは言えない緊急時に、僕らが安心してドクターコールに応じるためには不可欠なものだと思うのです。日本の現行法制では、全くの善意から名乗り出て、劣悪な環境下で懸命に治療したところで、医療ミス云々の訴訟を起こされると、それがどんなに一方的だったり、理不尽なものであったにせよ、裁判所に通って自分から免責を証明しなければならないのです。

 日本では、総務庁などにおいて「現行法の緊急事務管理により殆どカバー出来るので、新たな法制定は不要」としているのみです。「良きサマリア人法」では患者側が手当て者に重過失があったと証明しなければ、法廷で争えません。これにより、無駄な訴訟を抑制し、ボランティア医療への参加を促進することになるのです。

 応召義務とかなんだとかで、場合によっては不眠不休で、自らの命を削って医療行為にあたらなくてはならないのに、その真っ当な行為を保護するような法律が何も無く、すぐに民事裁判、悪くすれば刑事裁判に巻き込まれてしまうという風潮。これがすすんでいけば、僕らは危険が高い症例へ接することをどんどん避けるようになってしまうかも知れないし、たらい回しにされてしまう患者が現れるかも知れません。

 医療という聖職視された世界において、聖職者は当然奉仕の精神で、自己犠牲を厭わず働くのがあたりまえだというイメージが強すぎて、権利だとか訴訟だとか、マイナスなイメージを伴う話題は、タブーとされてきた部分も多かったのでしょう。不眠不休で常にかけつけて、診療にあたる行為は、一見愛にあふれた行為にもうつりますが、永遠にベストの体調を維持できるわけではないし、専門以外の苦手な分野もあるだろうし、いくらかの割合で、当然誤診もあると思うのです。重大な過失とか、故意の傷害行為などは、もちろん罰する必要があると思うのですが、最低限の権利は守られなくてはなりません。

 飛行機の中だけに限らず、通常勤務に引き続き行われる当直業務とか、いろいろ見直さなければならない点はあるのだと思います。もちろんそれと全く同じというわけにはいかないでしょうが、医師だって看護師のような三交代制、あるいは二交代制に倣った勤務態勢をとってもいいと思うのです。

 念のため追記。聖書の良きサマリア人の説教の内容と、この法律の意味や僕の主張はあんまり関係ないと思います。