女性運動史をめぐる「江原史観」の問題点とその影響


 1996年、「行動する女たちの会」(1985年までは「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」)が解散した。その後、一部の元会員たちによって、会の記録集作成プロジェクトが始まり、1999年、『行動する女たちが拓いた道』(未来社)という本として、出版された。
 この本の「はじめに」に、「女性学を学ぶ若い研究者や学生たちの中には、日本にはフェミニズム運動はなかったとか、’70年代初めの短期間の運動に終わったと思っている人たちが少なくない。 このような女性解放史の欠落は埋められる必要がある。私たちがこの記録集をまとめようと考えた動機はここにある。」(行動する会記録集編集委員会 1999:1-2)という一文がある。
 近刊のジェンダーフリーバッシングに関する出版物などを見ると、どうも、多くの女性学やジェンダー研究者は、若くなくとも、このような歴史観を共有している場合が多いように思えるのだ。つまり、日本での運動は70年代初期の、初期リブの後勢いを失って終わってしまったかのように記述され、以降の運動史は無視されていることが多い。このように、70年代中盤以降の女性運動史を無視してきた結果が、私もたびたび『ふぇみにすとの雑感@シカゴ』ブログで問題にしてきた、男女平等教育は特性論に基づいていた、などといったような、実際の女性運動の成果を考慮にいれない歴史認識につながるのではないかと思う。
 私自身を振り返ってみても、「行動する女たちの会」を中心とするフィールド調査を始める前、学術系の日本のフェミニズム本しか読んでいなかった時代には日本のフェミニズム運動に関する知識はほとんどなかったといってよい。私自身の勉強不足ももちろん原因ではあったが、日本語で学者が書いた文献の中で、70年代中盤以降の運動がなかったかのように扱われて来たことも大きな原因だったと今は思っている。

 このような女性運動の歴史の欠落の背景として、は江原由美子氏の論集『フェミニズム論争』に収録された論文「フェミニズムの70年代と80年代」の影響が大きいのではないかと考えている。この江原氏が提唱した、日本のフェミニズム史観が、女性学で主流のものとなっている現状があると思うのだ。
 そこで、この「フェミニズムの70年代と80年代」論文で論じられている、江原氏の「「主体の交替」に着目したという、フェミニズム運動史の問題点について考察してみたい。

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