内田樹に近づくな!
結論から言うと、
アイロニカルな存在である内田先生に、うっかり批判の手を*1出すと、カリスマメールシュトローム作戦*2に巻き込まれて、結果的に氏の「名声」――すなわち量を底上げすることにしかならず、それは逆説的な賞賛となるほかはないというお話。
結論を言ったのでもういいかと思ったけど、もうちょっと説明すると、
ポストモダン時代の先端思想であるといわれるところの「フランス現代思想=フランス文学」……
ああ、ちなみに、欧米圏では大航海時代からの積み重ねによって獲得された帝国主義的勝利の産物としての言語の特性によって文学と思想とはイコールなのです。
つまり、哲学書とか読んでもフツーの言葉で書いてあったりするわけですね。
臨兵闘者皆陣烈在前*3とかなんとかいった風な読む人の眉間にシワを寄せさせる漢字の熟語や、逆にテクマクマヤコン*4でマハリクマハリタ*5でパパレホパパレホドリミンパ*6といった風な目にした人の視線を宙にさ迷わせるカタカナ熟語とが入り混じった怒涛の洪水を泳ぎきる古式泳法=古典的教養=旧帝国大学の一部において継承される一子相伝に近い「グロテスクな教養」が強要される日本の知的風土はとてもコンチネンタル的で実に被植民地的で積極的にオリエンタリスティックで素晴らしいですね。
で、それを専門にしている内田センセイという人物が書く文章が、一見スキだらけだからといって、内田センセイを徹頭徹尾ポストモダンチックな相手とカンチガイして、「暗流天破」*8を放って、「ふははは「無想転生」*9敗れたり!!」とかなんとか、勝利の雄たけびを上げる人がたまにいますが、それこそがアイロニックソルジャー*10内田樹のしかける必殺護方陣、カリスマメールシュトローム作戦の本質なわけで、そこでたちまち批判者は内田樹のアイロニカル空間に引きずり込まれてしまうわけです。しかも、そこでは批判者のまとうコンバットスーツが転送されてこない*11内田に優しい空間となっています。
なぜか。
それは、内田センセイの立脚する地点=基本スタンスが、常に合気道的な体裁きによって自ら空中回転する事によってその位置を固定するという、北斗神拳的に正しい作法によって成り立っているからです。
今のは非常に分かりにくい言い方だったので言い直します。
なぜか。
それは、内田センセイは口と頭ではもはや批判も出尽くした感すらもあるポストモダン思想=フランス現代思想を操ってそれを売り物にしていますが、一方、その影で、内田センセイは自らが生きる実態を確保するため=担保するための手段として、合気道という身体術を習得していたりするのです。
それはつまり、静止状態で繰り出される空論に空論を重ねるがごとき思想と、円運動の中で繰り出される実感に実感を重ねるがごとき身体術のコラボレーション。
つまり、内田樹という存在は、矛盾を実態として生きることを実践している、保守なのか革新なのかすら判別の付かない恐るべきUMAだったのです。
(エンディングのナレーション)
はたして内田樹とはいかなる存在なのか?
残念ながら、今回の取材ではその姿をカメラに収めることはできなかった。
だが、その実態の重要な手がかりを、われわれはつかむことができた。
われわれ取材班は、いつの日か必ず、幻の内田樹をこのカメラに収めてみせることを誓って、現地を後にしたのだった。
(続かない)
(スタッフロール後のナレーション)
「税金から出た研究費でさんざん人妻やら女子高生やらを「味見」し、
その挙句、最終的には、なんと由緒正しい東京大学の名誉教授の箱入りの純潔の深窓の令嬢を見事獲得し結婚した人物。
その名は、宮台真司。
彼と内田樹を比較した時、はたしてどちらが地上最強のアイロニックソルジャーなのだろうか?
われわれはここに新たな疑問を突きつけられることとなった。」
(絶対続かない)