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新海誠監督の『ほしのこえ』がアニメ界に与えた影響と衝撃


■あらすじ『西暦2039年。火星有人調査隊はタルシス台地のクレーター内に異文明の遺跡を発見するが、突然、謎の生命体の攻撃を受けて全滅してしまう。この状況に対し、地球人類は未知の脅威に立ち向かうべく、技術・人的資源の枠を超越した国連宇宙軍を設立。その後、調査隊を襲った異生命体(タルシアン)は太陽系の果てに姿を消したが、人類は亜光速航行が可能な巨大宇宙戦艦リシテア号を建造、さらに太陽系外縁に人工のワープ・ポイントが見つかり、恒星間航行の手段をも手に入れた。そして2047年、ついに国連宇宙軍は1000人以上の調査部隊を結成し、タルシアンの痕跡と行く先を探るため、太陽系外縁へと向けた調査の旅に出発することが決まる。一方、同じ中学校に通う同級生の長峰美加子と寺尾昇。仲の良い二人だったが、ある日、ミカコが国連軍の選抜メンバーに選ばれたことをノボルに告げる。やがてミカコはリシテア号に乗って宇宙へ旅立った。地上と宇宙に離れた二人は携帯メールで連絡を取り合うが、地球からの距離が遠くなるにつれ、電波の往復にかかる時間は開いていく。そしてリシテア艦隊がワープを行い、ついに二人の時間のズレは決定的なものになってしまった…。』



『ほしのこえ』は、現在大ヒットを飛ばしている『君の名は。』の新海誠監督が、最初に注目されるきっかけとなった短編アニメーション映画である。わずか25分のこの小さな作品が、なぜ世間を賑わせるほど話題になったのか?それは、本作が新海誠という一人の男によって作られた、究極の自主制作アニメだったからだ。

新海誠監督が、たった1台のパソコンを使って作り上げた『ほしのこえ』が公開されたのは2002年2月2日、下北沢にある短編映画専門の小さな映画館「トリウッド」だった。しかし、小規模な公開ながらもその反響は凄まじく、わずか46席のキャパシティしかないこのミニシアターに早朝からとてつもない数の観客が殺到し、近隣の商店街から苦情が出るほどの行列が出来たのである。

初日のチケットは瞬く間に完売し、急遽上映回数が増やされたが、そちらのチケットも即時完売という物凄い有様だった。そして3月1日までの1ヶ月間で3484人もの観客を集め、トリウッド開設以来の最多動員記録を叩き出し、さらに2002年4月19日に発売されたDVDは、わずか1週間で1万枚を売り切り、国内で6万5975枚、海外で5万8643枚の計12万枚以上を売り上げるという前代未聞の快挙を成し遂げたのである(2005年1月時点の記録)。

この作品については、「感動して涙が止まりませんでした!」とか、「『最終兵器彼女』や『トップをねらえ!』のパクリじゃねえか!」とか、賛否両論の評価があるようだが、個人的には「たった一人で映画を作った」という点に最も感銘を受けた。確かに自主制作映画の世界では、一人で実写映画を作る人は珍しくない。だが、『ほしのこえ』はアニメーションで、しかも作品としての完成度がケタ外れに高かったのである。

実写と見紛うばかりに丹念に描き込まれたリアルな背景美術。自由自在に画面を動きまくる3DCGのメカ。そして、遠く離れ離れになってしまった恋人同士が織り成す、哀しく切ないラブ・ストーリー。商業作品に匹敵するようなとてつもないクオリティが、観る者の心をガッチリ捕らえて離さない。初めてこの映画を観た時、こんな凄い作品を一人で作り上げたという事実に驚愕して腰が抜けそうになった。新海誠、恐るべし!と。

なんせ、「アニメ」は実写に比べると格段に制作のハードルが高い。カメラを向ければそれだけで映像が撮れてしまう実写に対し、アニメの場合はまず絵を描かなければ何も始まらないからだ。しかも、たった1秒の映像を作るために(フルアニメなら)24枚もの絵を描かねばならない。大変な手間と根気が必要な作業である。

こうした理由から、昔は「素人がアニメを作るのは難しい」と思われていた。ところが、1981年にこの常識を覆すような大事件が起きる。それが「第20回 日本SF大会大阪大会」で上映された「DAICONⅢオープニングアニメ」だ。岡田斗司夫、庵野秀明、赤井孝美、山賀博之ら、後に『エヴァンゲリオン』等で注目を集める「ガイナックス」の主要メンバーが、まだ大学生時代に作った自主制作アニメである。

80年代当時、『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』等のヒットによって大きなブームが起こり、急速にアニメファンが増えつつあった。しかし、その頃はまだ「自分たちでアニメを作る」という発想はなく、あくまでも「アニメを楽しむだけ」の人々が大多数だった。

そんな中に現れた「DAICON FILM(ダイコンフィルム)」のメンバーたちは、ろくにアニメの作り方も知らないのに、「自分たちの手でアニメを作ってやるぜ!」という情熱のみで制作をスタート。活動拠点となった岡田斗司夫の自宅には庵野秀明、赤井孝美、山賀博之が泊まり込み、毎日ひたすら絵を描き上げていった(島本和彦著「アオイホノオ」より↓)。

そして、関西周辺の大学から集められた20名ほどの学生スタッフたちが、庵野の描いた絵をハンドトレスでセルに転写していく。そのセルに色を塗るスタッフも泊まり込みで作業を続け、岡田斗司夫の家では連日連夜、常に誰かが働いていたという。

これだけでも大変だが、この上アニメ作りは金がかかる。スタッフの人件費はボランティアだからいいとして、素人集団であるが故に失敗も多い。セルの描き損じや色の塗り間違えなどは日常的に発生し、材料費に無駄が出まくったそうだ。

また、撮影が失敗すればフィルム代や現像費も倍かかる。さらに撮影用のライトを点けっぱなしにした結果、なんと岡田家の電気代が1ヶ月で20万円を超えてしまい、両親からこっぴどく怒られた挙句、弁償させられるはめになったらしい。

そんな苦労だらけのアニメ制作が4ヶ月も続き、ようやく5分間のショート・フィルムが完成。たった5分のアニメだが、『DAICONⅢ』がアニメファンに与えた衝撃は凄まじかった。その衝撃とは、「自分たちのような素人でもアニメを作ることができるんだ」という事実を証明してみせたことである。そして実際に『DAICONⅢ』を見て影響を受けた高校生や大学生たちが、次々とアニメを作り始めたのだ。

余談だが、実は僕自身も学生時代に友人たちと一緒に自主制作アニメを作ろうとしていたことがある(ペーパーアニメだけど)。教科書の端っこにパラパラアニメを落書きする程度の経験はあったので「楽勝だろう」と思っていたのだが、2ヶ月かかって1分ちょっとのフィルムしか出来ずに挫折した。

当初は白黒で描いていたのに、途中で誰かが「やっぱカラーの方がかっこいい」などと言い出したため、色鉛筆や絵の具で色を塗り始めたことも、作業を遅延させた要因だろう。おまけに、セルじゃなくて紙に描いていたから、「背景も一緒に描かなきゃいけない」と思い込み、全編背景動画になってしまった点も難易度を押し上げた要因に違いない(最初からセルでやれば良かったのにって?金が無かったんだよ!)。

まあ、他の自主制作アニメはもう少し効率的にやっていたのかもしれないが、いずれにしても「素人がアニメを作るのはほぼ不可能だ」という当時の認識や既成概念を、『DAICONⅢ』は一気にぶち壊してしまったのである。

そして『DAICONⅢ』の衝撃から約20年、再びアニメ界に激震が走った。そう、それが新海誠監督の『ほしのこえ』だ。そのクオリティもさることながら、真に驚くべきは、この映画を作るために使用されたコンピュータが全然特殊なものではなく、一般に市販されているごく普通のパソコンだったという点である。

その内訳を見てみると、ハードウェアはPowerMac G4 400MHz/メモリ1GB、ハードディスクは300GB、ソフトウェアは、2D作画にPhotoshop5.0、3DCG作成にLightWave3D6.5、エフェクトの作画にCommotion DV3.1、合成・編集作業にAfterEffects4.0など、特に珍しいツールが使用されたわけではない。

スペック的には決して最新とは言えない機器で、しかも普通のスキャナとダブレットのみで制作しているのが逆に凄い(データ保存も外付けハードディスクを増設しただけ)。おまけに、ソフトはバージョンアップすらしないで、旧バージョンのまま使用しているという有様だ。

新海監督曰く、「個人制作ならばこの程度の制作環境(スペック)で必要十分。いくらフルデジタルといっても、映画は構想が全てですから。ハードに関しては、現在店で売っているものなら、何でも映像の制作環境として使えると思いますよ」とのこと。ではいったい、新海誠が提示した“新たなる可能性”とは、一体何だったのか?

『ほしのこえ』が発表された直後、新海誠は一部のアニメマニアから「一人ガイナックス」と称されていたという。それは、約20年前に庵野秀明や山賀博之など当時はアマチュアだった人々が『DAICONⅢ』においてもたらした衝撃を、彼がたった一人で再現してみせたからである。

かつて、ガイナックスの前身であるダイコンフィルムとそのスタッフたちが実際にアニメーションを作ってしまったことによる衝撃とは、「自分たちと同じ素人でもアニメが作れるんだ!」という事実を同世代の人間に突きつけたことだった。

そして新海誠はその事実を踏まえた上で、今までは“集団作業”で、手間隙とそれなりの費用をかけなければ作れなかったアニメが、「個人でも制作可能な時代が到来した!」という新たな事実を、実際に自らやってのける事で立証してみせたのである。

だが「作ることが出来る」と「実際に作ってしまった」の差はとてつもなく大きい。一つの作品をたった一人でコツコツと作り続け、途中で挫折することなく完成まで持っていく、その労力たるやハンパではないだろう。いくらデジタル環境が整ったといっても、制作に伴う苦労が完全に無くなるわけではないのだから。

それはもはや、才能以上に凄まじいばかりの”情熱”がなければ決して成し得ない一大事業ではないだろうか?そういう意味でも、新海誠がいかに稀有なクリエイターであるか、そして『ほしのこえ』がいかにエポックな作品であるかが分かると思う。

事実、新海誠の出現と前後して何人もの個人クリエイターがデビューを果たしているのだ。彼の映画を観て「自分も作りたい!」と影響を受けた人が出てきている証拠であり、アニメ界に多大な影響を及ぼしていることは間違いない。『ほしのこえ』はまさに、自主制作アニメの世界に”革命”を起こしたと言っても過言ではない、奇跡のような作品なのである。

さて、この作品を語る際にはどうしても「アマチュアが作ったアニメにしては出来がいい」という文脈で評価されがちだが、では「内容の方はどうなのか?」と言えば、「制服姿の女子中学生が巨大ロボに乗って宇宙人と戦う」という、清々しいほどのオタク趣味全開な内容に(違う意味で)驚嘆せざるを得ない。

これは紛れも無く、『DAICONⅢ』から連綿と続く自主制作アニメの系譜であり、「自分の妄想を本能の赴くままに映像化した由緒正しいオタク作品」と言えるだろう。一応、ストーリーのようなものは存在するが、やってることは「ランドセルを背負った女子小学生が巨大怪獣やパワードスーツと戦う『DAICONⅢ』」となんら変わらない。

だが、アマチュア作品とは本来そういうものなんじゃないだろうか?プロのアニメ制作現場を一度も経験したことがない新海監督は、「自分が好きなもの」や「自分が観たい映像」を、従来の常識にとらわれることなく忠実に具現化しようとしたのである。そのため、個人の嗜好が強く出過ぎてしまい、人によっては「受け入れられない」と感じる人がいるかもしれない。

また、あまりにも映像の完成度が高すぎるが故に、本来アマチュアの作品なのに「素人くさい」とか、プロの作品のように批判されてしまう弊害も起こっているようだ。『機動戦士ガンダム』のキャラクターデザイナーで有名な安彦良和監督も『ほしのこえ』を観て、「背景やメカのクオリティは素晴らしいが、キャラの作画が素人みたいで驚いた」とコメントしている(以下、安彦良和氏のインタビューから一部抜粋↓)。

『ほしのこえ』はものすごく戸惑ったんです。「何なんだろう?」と。僕の中の常識に当てはまらなかったんですよ。周りから「(新海監督が)一人で作られたんですよ」と聞かされて、「アニメが一人で作れるわけないでしょ」と思って。にわかには信じられないなと。それで見てみたら、背景やメカはものすごいクオリティなんだけど、キャラクターだけが素人みたいで。そういうことは普通ありえないんですよ。クリエイターにも得手不得手はありますけど、力量というものはある程度のレベルに平均されるものなんです。だから、このギャップに驚きました。


物語にしても、好きな女の子が宇宙戦争に出て行っちゃう突拍子もない話で、僕には「これ本気で作られているのかな?」と思えるぐらいだったんです。つまり常識で考えると、バランスがあまりにも悪すぎるんですよ。だから普通は躊躇してしまう。だけど作品を見て、とんでもない人なのかもしれないと思いました。それぐらい画面が素晴らしいんですよ。ただ者じゃない感じがありました。われわれアナログ人間の常識の外で仕事をしていらっしゃるなと。僕は特にそっち(デジタル)のことには疎いから、余計に理解できなかったんです。 (「新海誠Walker」より)

このような、「一つの画面の中で技量のギャップが著しく目立つ」とか「内容がマニアックに偏りすぎる」などの現象はまさにアマチュア作品特有のものであり、『ほしのこえ』の大きな特徴だろう。まあ確かに、この作品には不足しているものが多いし、作画の精度にもバラつきがある。一本の映画としてはいささか歪な構成だ。

しかし、だからこそ本作には作り手側の主張が最も強く反映され、後の新海作品と比べても極めて私的な要素がダイレクトに投影されているのだ。自主制作アニメというより、むしろ新海誠のプライベートフィルムとしての価値がこの作品には間違いなくあると思う。粗削りで拙いながらも、一つの小さな物語に込められた若き映像作家の瑞々しい感性とほとばしるパッション!それこそがまさに『ほしのこえ』の本質であり、最大の魅力なのだ。


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