僕が新聞を読まないワケ

 松坂に対し、一つだけ注文がある。グラウンド外でのイチロー化現象は避けて欲しい。チームと合流する前の自主トレで、報道陣をシャットアウト、松坂カーテンを敷いてしまったために、松坂報道が一時期、途絶えてしまった。ファンは本人の肉声が聞かれず、寂しい思いをしただろう。
 周囲の雑音を封じて、自主トレに取り組みたいという気持ちはわかるが、2、3日に1回くらいナマでコメントするくらいのことはできるはずだ。露出を極力抑え、一つのメディアに独占させ、大金を獲得する所属プロダクションの方針ではないかという情報もあった。もし、事実そうならば、勘違いしているだろう。
 松坂が尊敬する、イチローが特定の人物やメディアにしか肉声で話さないのをマネているのだとしたら、やめた方がいい。引退したサッカーの中田英寿も、イチローと似たようなマスコミ対応だったが、格好いいと思っているのは、本人とその周辺だけだ。

http://www.yukan-fuji.com/archives/2007/02/post_8535.html

僕は新聞を取っていない。テレビのニュースもほとんど見ない。間違いが多いからだ。しかし今日、もうひとつ「見たくない理由」が付け加えられた。
松坂選手がマスコミに顔を出さなかったことで誰が不利益を被ったのだろう?「寂しい思いをした」というファンのことだろうか?松坂選手の恋人でもあるまいし、寂しい思いをしたくらいで文句をいう筋合いはないだろう。
真剣に松坂選手のコメントを必要としている人が、マスコミ以外にもいるのだろうか?
ある企業が不祥事を起こした後、記者会見で「世間に迷惑をかけた」と謝罪しているのを見たことがある。「世間」とは誰のことだろう?マスコミは、具体的に被害を被った人に対して謝罪をさせ、その後でさらに「世間」という不思議なものに対して謝罪することを強要する。しかし、「世間」は謝罪をされたところで何のメリットもない。
本当に必要な情報を、テレビや新聞から拾えたためしがない。いったい誰のために取材しているのか。どうして「2、3日に1回くらいナマでコメントするくらいのことはできるはずだ」とコメントすることが前提なのか。マスコミはお奉行様か、それとも人間に懺悔を求める神様か。僕はマスコミの、「世間」の存在を笠にきた、この傲慢さが嫌いだ。
マスコミは自分たちを「社会の公器」と呼ぶが、「社会の好奇」と書き間違えたんじゃないの?と思う。