何がサービスを閉鎖的にするのか

はてなは閉鎖的だといわれる。同様にmixiも2ちゃんねるもニコニコ動画も閉鎖的だといわれる。では閉鎖的に見える原因はどこにあるのだろうか?
...簡単な話である。そこにコミュニティ的な要素が存在する限り、外部から見たそれは閉鎖的なものに映る。別に真にコミュニティが存在する必要はない。つまり内部の人が「俺、このコミュニティに属しているから」と自覚している必要はない。外部からみてそこにコミュニティがあるように見えれば、直ちにそれは閉鎖的であると判断される。

もちろん、コミュニティの形成要因はサービスによって様々である。代表的な事例は「会員登録制度によるコミュニティ化」と「共通の話題に伴うコミュニティ化」だろう。個人的には前者を「上からの閉鎖性」、後者を「下からの閉鎖性」と呼んで、同じ閉鎖性でも性質が全く異なることを常に意識するようにしている。*1もちろん、はてなや2ちゃんねる等の事例もあるので、この二つのみが原因であるということは全くなく、実際は多くの要因が複雑に絡み合ってコミュニティ化を引き起こしていると言える。ただし、基本的にこれから述べる閉鎖性が生まれるのは圧倒的に「下からの閉鎖性」であって、「上からの閉鎖性」は形式的な閉鎖性を作るにすぎない。

コミュニティが起こるところには、閉鎖性がみられる*2。それはコミュニティ外部から見た場合、コミュニティ内部は彼らがそれを自覚しているか否かに関わらず常に「なれ合い」的な要素が含まれているものであり、また外部にいる人間はコミュニティの外部にいることを自覚した時点である種の疎外感を持たざるを得ないからだ。またコミュニティの内部には必ずといっていいほど独自の文化が形成され、その文化なり空気なりを全く見たことがない人間がそこにとけ込もうとすると、彼は「自分はここにいてはならないのだろうか」という強烈な違和感と異質感を感じるものである。だからこそ、コミュニティ的要素を伴う全てのウェブサービスはある種の閉鎖性を必ず有しているということが出来る。つまり、コミュニティが生成されることと、閉鎖性が生まれることは切っても切り離せない関係にあるのだ。内部の人間がどう思っているかに関係なく、外部の人間が「あそこには人のクネクネがある」と感じた時点で、それは閉鎖的であると判断される。

そして閉鎖性がコミュニティを完全に支配し、人の出入りが途絶えたとき、そのコミュニティは終わりの始まりを迎えることになる。「はてな」が死なないためには、この終わりの始まりを迎えないよう、人間の流動性が確保されていなくてはならない。コミュニティから生まれた閉鎖性に逆に支配されないようにしないと、コミュニティベースなサービスは死ぬ*3。

コミュニティが閉鎖性に支配されるときというのは、たいていそこに帰属意識が生まれたときだ。*4つまり、「外から見た場合の閉鎖性」だけではなく、「内部の人間が自覚する閉鎖性」をもそのコミュニティが有している状態となったときである。このとき、内部の人間は新参を拒絶する心理的傾向が生まれるから、そうなるともうそのコミュニティは終わりだ。コミュニティのアイデンティティはそこにあった独自の文化から「特定の人がいること」に移行してしまう。インターネットの世界でも、これからそういうことが起こってくるかもしれない。

その意味で、mixiは「上からの閉鎖性」はあるが「下からの閉鎖性」は全く存在していない*5ため、「独自の文化が生まれる」という面白さもない代わりに、帰属意識の発生もなく、だから衰退することもない*6。mixiが閉じて見えるのは、それはmixiが「現実の延長線上」として機能しているからであり、インターネット独特の要素(不特定多数云々)がかけているからだ。ただ単に、インターネットの特徴である「無限の広がり」が存在しないから、現実の関係がそのままネットに持ち込まれているから、そこに僕たちは「ネットなんだからもっと広がりがあってもいいはずなのになんで」と違和感を抱き、あるいは日常ではセグメント化されている関係性が「実社会」の名の下にフラット化されることで、別種の閉鎖性を認識するのである。

コミュニティを基盤としたサービスは必ず閉鎖的になる。ここにおいて我々はインターネット上でもある種の「コミュ力」をつけなくてはいけないし、「おれコミュ力ないしw」等といっている人間も、彼がTwitterやはてな村に入り浸っているならば、一定以上のコミュ力は潜在的に持っていると考えられる。現実世界において彼ないし彼女が社会にとけ込むために必要なのは、相手の顔が直接見えることへの承認と慣れであり、その場の空気にとけ込む勇気であり、そして他人に話しかける勇気である。「コミュ力がなくて...」といっている人は、そもそもこういった「コミュ力の土台となる部分」への慣れが欠けているのではないだろうか。中高一貫校を卒業した自分もこういった部分がかなり欠けていて、初対面の方に会うとおどおどしてしまうことが多い。なんとかしなくては。

*1:mixiは登録がそもそも制限されているから、これは運営側から押し付けられた閉鎖性である。ニコニコ動画はワンステップの登録さえすれば中を見ることが出来るが、内部では共通の話題をベースとしたある種の閉鎖性が存在する。これはユーザーサイドから生まれた閉鎖性であるので、「下からの閉鎖性」と呼べる。

*2:外部から見たら閉鎖的に見えるということ。

*3:まあ、はてなはコミュニケーションを意図したサービスではないけど

*4:正確にいえば「コミュニティの内部で文化が発生し、そこに親しんでいた時点で無意識的には有していた帰属意識が、意識化されたとき」という感じだろうか。

*5:現実におけるコミュニティ集団がそのままインターネット上に移植されたにすぎず、mixiは単なる「現実の延長線上」でしかない。つまり、全く新しいコミュニケーション空間ではない。

*6:飽きられるってことは十分に考えられるけど、コミュニティの寿命云々の話は適用されない