ケータイとパソコン、格差社会。

ネットとケータイの文化圏の違い、とかいうエントリがはてなの人気エントリに上がっている。


まぁパソコンでブログやったりするのはネットに通じている特殊な人だよね、というのはおおむね間違ってはいない。しかしケータイからネットを利用する人を「ケータイ族」と十把ひとからげにするのはどうかと思う。ケータイは持っているがパソコンを持っていない人のなかには、経済的な余裕がなくてパソコンを買えない人もいるのではないか。


僕がそうしたことに気づくきっかけになった出来事を書いておこう。


大学の昼休みには空き教室で飯を食ったりしている連中がいる。僕はその日、教室内でノートパソコンをいじっていた。


そこに清掃員のジイサンが入ってきたのである。メシを食っていた女子学生どもに「ゴミはちゃんと片付けてな」と注意したのち、こっちにも来た。てっきり勝手に教室のコンセントを使っていたことを咎められるのかと思ったが、そうではなかった。


清掃員のジイサン「それパソコンって言うんだろ」
自分「ええ、そうですよ。」


そのジイサンは覚えたての言葉を使うかのように「パソコン」という言葉を口にした。ああまだ一度も使ったことがないんだな、と思った。ジイサンは自分のパソコンがいくらなのかと尋ねてきた。パソコンを買おうと思っているんだろうかと思いながら、13万円です、と答えた。そしたら目を丸くして言った。


清掃員のジイサン「で、でも5、6万で買えるのもあるんだよな。」
自分「うーん。そういうのもありますね。」


話はそこで終わった。


で、ジイサンが教室から出ていってから思った。ひょっとすると13万円ってのはあのジイサンの一ヶ月ぶんの給料ではないか、と。計算根拠は以下の通り。


時給850円×8時間×20日=136,000円


清掃員のジイサンにしてみれば、1ヶ月分の給料に相当するパソコンを平気で使っている大学生の僕は相当なボンボンなのだろう。いや実際ボンボンだが。


それはともかくパソコンは高級品である。これに対して、せいぜい1台1万円であるケータイなら家族との連絡用として買おうと思える値段である。そこからネットをはじめるひともいるだろう。別の清掃員が大学の建物の陰でさぼってこっそりケータイをいじっている光景は、よく見かける。


また、清掃員のジイサンがケータイで上司に呼び出されることはあっても、仕事でパソコンを使うことなどまずない。つまり経済的な余裕もないだけでなく、(遊び以外で)パソコンを使う必要性もないのである。


たしかにパソコンからネットをしている人とケータイからネットをしている人には意識の違いがあるだろう。しかしそれは、トラックバックの考え方、コミュニケーションの取り方の違いで分類した「文化圏」とは異なる様相を呈している。ケータイからのみネットをやっている人はそれぞれ違う理由があるからだ。だからそれらをまとめて「ケータイ族」だの「ケータイ文化圏」などと呼ぶことには違和感を覚える。


【参考】http://www.kotono8.com/2006/10/25mobile.html