速読の意味

概要

私は速読するとき、高速だと五千〜字/分、最高速だと一万〜字/分くらいのペースで読む*1。あくまで私の体験だが、その体験から、速読に関する誤解を解く。

速読は、速く読める代わりに深く読めない。だが、速読はトレードオフが生じても、それでも意味があるのだ。そして、速読の運用や技術に関する外観を眺め、精読との併用まで視野に入れよう。

速読の誤解

まず速読は、頭の良し悪しとは別だ。理解力や思考力とは別だ。情報を入力する部分の技術なので、処理や出力まで向上するわけではない。回線の速さとCPUの速さは別物だ。

あるいは、もしかしたら副産物があるのかもしれないが、過剰に期待すれば確実に失望するだろう。端的に、速読ができても、英語ができなければ英語の本は読めないし、数学ができなければ数学の本は読めない。

しかも、ある程度はどうしても、量と質のトレードオフが生じる。非常に高速に読んでいるときは、細かい部分まで深く理解できない。これは、幅優先と深さ優先との、情報探索の違いというか、深さを無視しているから速いという面があるので、仕様がない。

それは喩えれば、自動車のギアは、エンジン性能を上げるのではなくて、タイヤに伝わる回転数を変換する、ということだ。平坦な道はギアで加速できるが、坂道を上がるときにトルク負けしたら登れない。

同様に、速読で頭の回転まで速くならず、新しい分野の本を読むときは、結局は遅くなる。坂を上がるときパワーが必要なように、難解な概念を理解するのには時間が掛かる。もちろん、理解できないこともある。「なんだ、それじゃ意味ないじゃん」と思うかもしれない。

速読の意味

しかし、速読が質と量のトレードオフの関係になっていても、充分意味はある。現代は情報過多なので、「一通りは目を通したい書籍」が山のように積まれているからだ。しかも、ネットの情報はさらに玉石混淆なので、高速でサーチして玉だけ拾いたい場面がたくさんあるだろう。

つまり、こういうことだ。画像をJPEGで圧縮すると、情報が失われてしまうが、それでも容量を圧縮することに意味はある。一覧したいときはサムネイルを作るだろう。あるいは、PCでハードディスクに比べてメモリやキャッシュの容量は少ないが、高速にアクセスすることに意味があるだろう。

速読の運用

だから、速読は運用まで考慮したとき、十二分な効果を発揮する。何でもかんでも速く読む必要はない。重要度が高い本をじっくり読むための時間を捻出するために、重要度が低い本を速く読むのである。読む価値が二割八割で分布している場合、スピードのコントロールに意味があるのだ。

自分の基準で大雑把に分けると、「学ぶ」ことが必要な分野は普通に読むが、「知る」だけでいい分野は速く読む。特に、何回も繰り返して出てくる既知の情報に対して効果的だ。最適化は、大量にループする部分を高速化するのが定石だろう。

ここで、「それでは、従来からある、飛ばし読み・拾い読み・斜め読みなどと、同じでは?」と思うかもしれない。だが、速読は飛ばして読まないので、高速でも安定する。具体的にどのように読むのか見てみよう。

速読の技術

速読は、点より線、線より面で読むスタイルを目指す。それは、字より行、行より項で読むスタイルにほかならない。部分を積み上げて全体に至るのではなく、先に全体を見て部分に分解する。そのために、全体を画像的に見る、といった訓練をする。

自転車に乗るようなもので、意識的にしているわけではないのだが、なぜ速くなるかというと、ありえない意味や組合せを大量に排除して、パターン認識で読むからだと考えている。パターンだから微妙な変化は切り捨ててしまう。

少し別の視点から見ると、例えば手書きの字は、活字のようにパターン化していないので、一字ずつ追う必要があり、速く読めない。また、一つの字をじっと見つめていると、ゲシュタルト崩壊して、意味が何なのか分からなくなる。

精読の併用

そのように使い分けるので、速読によって、精読の必要性がなくなるわけでは全くない。誤読が致命的になる場合(操作を間違えると機械が壊れるだとか)は、やはり丁寧に読む必要がある。それは悪路を走る場合は、スピードよりスピンしない方が重要だというようなことだろう。

あるいは、独特のレトリックを用い、一字一句に深い意味があるような、文学的作品などは、そもそも速く読んでも意味がない。面白い作品の面白い部分を読むときは、ものすごく低速になる。観光地に着いたら、高速を降りて景色を眺める、といったことだろう。

私は平均すると一冊一時間くらい、内容が薄い本は30分*2で一冊読んでしまうが、その一方で、専門書は時間を掛けてゆっくり読む*3。また前の項に戻って繰り返し読むこともある。速い車にはバックギアは不要、ということもないだろう。それでは車庫入れするときに大変困る。

結論

速読は速さ自体に価値があるというよりも、重要度が低い本・項を高速で読むことで、重要度が高い本・項に時間を回すことができる、というところに価値があると考えている。

*1:それ以上の速さでも読めるが、思考のトルクカーブから、あまり効率的でないのでしない

*2:本当にざっと読むときは5分程度で読む場合もあるが、それだと細部がほとんど記憶に残らない

*3:後者の方が優れているとは限らない。時間は有限なので、拘束時間が短いのは利点でもある