「科学の発見」

科学の発見 (文春e-book)

科学の発見 (文春e-book)


本書は電弱統一理論(ワインバーグ=サラム理論)によりノーベル物理学賞を受賞した理論物理学者スティーヴン・ワインバーグによる科学史の本である.原題は「To Explain the World: The Discovery of Modern Science」.スコープとしては古代から科学革命までの西洋における物理学と天文学の学説史を扱っている.そもそも本書は学生向けの科学史の講義ノートから生まれた本であり,2つの点で極めて斬新な本になっている.
まず,超一流の物理学者により,古代から近世までの様々な理論が一貫したフレームで捉えられていることがあげられる.2番目に,そしてこれは極めて特筆すべきことだが,本書では科学史家たちに深く染み着いている過去の学者たちに対する文化相対主義的な遠慮が全くみられないのだ.これはある意味では後知恵で過去の学者たちを断罪するという所業に近づくリスクがある.しかしワインバーグは単に現代の知識から過去の人々の間違いを指摘しているわけではない.「世界の成り立ちや世界が従っている規則について仮説を立て,それを実証していく」という現代科学の方法論を発見して実践することがいかに困難であったかを理解するためには,過去の人々がどのような動機で世界を記述し,何故真実に近づけなかったかを見ていくことが必要だと考えているからなのだ.そして実際には「過去の学者たちは,その時代の制約の中で,いかに真実に迫ろうとしたのか,知的に誠実であったか」を問う姿勢が基本になっている.とはいえ歯に衣着せぬその主張は爽快だ.それではワインバーグの胸をすくような一刀両断ぶりを見ていこう.

第1部 古代ギリシア

ワインバーグは,数学や天文学の知識はバビロニア,中国,エジプト,インドで始まるが,それでも西洋科学の成り立ちを考える上では古代ギリシアの哲学者たちは特別な存在になると始めている.

  • 最初はタレス.タレスは万物が単一の基本的物質からなるという見解を表明した.これはエンペドクレスによる4元素説,そしてデモクリトスのアトム説につながる.プラトンは4元素説とアトム説を結合させた.ワインバーグは,これらの哲学者たちは「表面上に見える現象の奥にあるより深いレベルの現実を求めているが,自説についての証明が必要だとは考えていない」と解説する.それはゼノンのパラドクスと同じ姿勢であり,知的スノビズムだとコメントし,これまでの科学史家たちは「彼らが現代科学を先取りしていた」と強調しすぎていると指摘する.そしてギリシアの哲学者たちの理論は(実証がなく)単なる言葉にすぎす,科学者というよりは詩人と見なされるべきだと追い打ちをかけている.「詩人」とはなかなか強烈だ.
  • 次はピタゴラス.ピタゴラスはカルトの開祖として数学を追求し,演繹的手法を発展させた.これによりピタゴラスの定理を見いだし,また弦の振動にかかる整数比と和音の関係を説明した.アルキメデスはこの伝統の上にあり,浮力の理論を演繹的文体で説明している.ワインバーグはこれらの試みは数学と科学の違いを明確化しておらず「理性の力だけで真実に到達する」という誤った目標を自然科学に設定してしまったと評価している*1.
  • そしてアリストテレス.ワインバーグは,アリストテレスはプラトンまでの詩的スタイルから理詰めのスタイルに方向転換したと評価する*2.そして彼は優れた観察眼と鋭敏な思考を持っていたが,しかし「物事の有り様はその目的によって決まる」という目的論に満ちており,無意味な分類にこだわりすぎ,これが後の科学の進展の障害になったと指摘する.そのよい例は運動にはすべて原因があると考えたこと(これは観察のみに基づき,実証は試みられなかった)で,彼の力学についての多くの誤りはこれに起因しているのだと説明している.
  • 科学史家はアリストテレスを大いに賞賛し,その誤りに導いた方法論についても,彼の関心を持った問題と彼の知覚していた世界にふさわしいものだったと擁護する.ワインバーグはこれを鋭く批判する.科学において重要なのは,特有の問題を解決することではなく,世界を理解して説明することなのであり,どんな運動が「自然」かを考察したり,特定の物理現象の「目的」を論じるのはいつの時代にあっても無意味なのだと指摘する.そしてこのように考えることによってはじめてアリストテレスのような極めて理性的に人物にとってさえも自然をどのように研究すべきかを知ることがいかに困難だったかを理解できるのだとコメントしている.
  • アレクサンドロス大王の死後,科学探究の中心はアテネからアレキサンドリアに移る.そしてその関心は,知から実用へ,「万物の根元理論」から天文学,光学,流体力学に移る.ワインバーグはこの時代の光の反射や天体の動きについての理解の進展を詳しく解説している.プトレマイオスやアルキメデスの思索の解説は本書の読みどころの一つだろう.この時代に工学技術は一定の進展を示したが医学はそうではなかった.ワインバーグは工学技術は役に立つかどうかが明白だったのに対し,医学の施術はそれが効いたかどうかを(他の条件をコントロールしていない以上)知りようがなかったためだろうとコメントしている.


第1部の最後に古代科学の終焉が扱われ,中世の自然研究の停滞はキリスト教のためだったのかが問われる.
冒頭でワインバーグは,科学と宗教という一般的な問題について「科学の発見には宗教観念からの切り離しが必要なのだ.それは『超自然を仮定しないでどこまで説明できるか考えてみよう』としなければどんなことでも説明可能になってしまうからであり,そしてそれを克服するには何世紀もかかった」と簡潔に結論を述べている.ここもいろいろストレートに語っていて面白い.

  • プラトンの考察は宗教に満ちあふれており,自然現象の秩序を人間的価値と融合した形で説明しようとしている.このような融合に郷愁を抱く科学者や科学史家もいるが,そのような郷愁こそ科学者が克服しなければならないものだ.
  • 古代ギリシアにも超自然に懐疑的だったものはいた.代表的なのはエピクロスであり,それを現代に伝えているのはローマ時代のルクレティウスだ.そして少なくともキリスト教を国教化する前のローマ時代には科学者への宗教的な迫害はなかった.
  • キリスト教は,異教徒の科学はキリスト者が取り組むべき霊的問題から関心をそらすことなどから科学を好まなかった.そして教会が知的な若者に宗教家として立身出世の機会を提供したことも科学の衰退につながった可能性がある.

第2部 古代ギリシアの天文学

ワインバーグはここで古代ギリシア時代の天文学の歩みを概観している.これは後にコペルニクス,ケプラー,ニュートンを評価するための予習という含みもあるが,一流の物理学者から見た天文学史はなかなか興味深い読み物に仕上がっている.

  • 古代世界で最大の進捗があった科学分野は天文学だった.それは物理現象が単純だったことと,それが有用(農業のための暦,そして航海術)であったことによる.実用のために技術が進歩し,それが科学的知見にフィードバックすることもしばしば生じた.
  • アリストテレスは地球が球形であることの理論的根拠,実証的根拠の両方を挙げている.彼の挙げる理論的な根拠はアプリオリな元素論に立脚していて現代的には根拠になり得ないが,実証的な根拠(月食時の地球の影の形,緯度により星の高さが変わること)は正しいものだった.
  • アリスタルコスは,半月の時の太陽と月の角距離,日食時の月と太陽に見かけの大きさがほぼ等しいこと,月食時の月と地球の影の相対的大きさの差,月の見かけ上の大きさ(視角)から太陽と月の大きさおよび地球との距離を計算した.方法は完璧だったが,計測数値が正確ではなかったために計算数値は実際とはかけ離れていた.最大の問題は「計測誤差」の評価を行おうとしていないところだ.しかし彼は定量的なマインドを持ち,太陽の方が地球よりはるかに大きいことから地動説的な考えを抱いたようだ.アリストテレスは,恒星の年周視差が計測できなかったために地動説を否定した.(ワインバーグは,当時恒星が太陽より遙かに遠く離れていることが実証できなかった以上やむを得ないと評価している)
  • ヒッパルコスは,日食の観察データから月までの距離の計算値を大幅に改善した.また彼は800の星の観察データを星表にまとめ,春分点,秋分点が天球上を移動*3していることを発見している.
  • エラトステネスは緯度の異なる地点での夏至の太陽の高さの差から地球の大きさを計算した.


そして古代の天文学にとっての最大の難問は惑星の運動だった.アリストテレスは「地球の周りを幾層もの天球が回っていて,それに星が乗っている」と主張したが,それでは惑星の観測データを説明できない.ここから西洋天文学の2000年の格闘が始まる.

  • ピタゴラス学派は太陽も月も惑星も地球も(地球のギリシア側から見えない)「中心火」の周りを回っていると主張した.ピタゴラス学派のフィオラオスは,数字へのこだわり(運行している星は10個あるべきだが9個しかない)から,地球から見て「中心火」の逆側に「反地球」があると主張した.アリストテレスはこれは馬鹿げた主張だと一蹴している.そして実際にピタゴラス学派が自説から観察データを説明しようとしたことはないようだ.
  • 惑星の観測データの解釈にかかる古代の最大の論争は地動説か天動説かではなかった.それはアリストテレスの同心天球モデルかプトレマイオスの周転円モデルかにかかるものだった.
  • プラトンは天体の動きは円運動の組み合わせであるに違いないと主張し,それにあわせて様々な解決策が提唱された.エウドクソスはひとつの天体ごとに何層もの天球が回るモデルを提示した.それは「ファインチューニング」の多い不格好なモデルであった.ワインバーグは「ファインチューニング」を何故そうなのかを説明できないパラメータ設定が多いという意味で用いている.このことを現代の物理学者の目から解説する部分は大変面白い.
  • アリストテレスはそれを整理しようとしたが,明らかなミスがあり,それを是正すると多くの天球がやはり必要になり,ファインチューニングの多い不格好なモデルであることからは逃れられないものだった.そしてそれでも惑星の明るさの変化を含む多くの観測データを説明できなかった.
  • アポロニウス,ヒッパルコス,そしてプトレマイオスは周転円,離心円,エカント*4という数学的装置を導入し観測結果をより説明できるように工夫した.この理論はいくつかのパラメータをファインチューニングすれば,コペルニクスの地動説と全く同じ動きを説明できるものだった.つまり惑星一個あたりひとつの周転円以外の複雑な仕組み(つまりその他の周転円,離心円,エカント)は地動説を採らないために生じた無理矢理な仕掛けではなく,惑星軌道が円ではなく楕円であることに対して調整するものだったのだ.このプトレマイオス理論のワインバーグの解説はなかなか詳細で面白い.本書の読みどころのひとつだ.
  • より観測データを説明できるプトレマイオス説がアリストテレス説を凌駕できなかったのは,科学は目的論的原理に従うべきだという規範の影響が大きかったためかもしれない.惑星の動きを説明することをあきらめるような新プラトン主義者も現れている.

第3部 中世

科学は古代ギリシアで一旦頂点を迎え,光学,天文学の様々な自然現象を記述できるようになった.しかし中世世界ではこれに匹敵するものはなかった.とはいえ中世が完全に知性の暗黒時代だったわけではない,古代の業績はイスラム圏に,そして後にヨーロッパの大学で維持され,時に改良され,科学革命への素地が準備される.ワインバーグはイスラム圏と中世後期のヨーロッパに分けてこの時代の科学史を記述している.

  • 東ローマ皇帝ユスティニアヌスによりアルカメディアが閉鎖されたときにギリシアの学者たちはペルシアに亡命した.そしてイスラム科学はアッバース朝で黄金時代を迎える.この時代のアラブの科学には,数学と天文学に興味を持つグループと哲学者と医師のグループという二つの流れがあった.天文学に関して前者はプトレマイオス派で後者はアリストテレス派になる.前者の業績としてはインドからの数学の導入(0と位取り十進法記法,正弦法),より正確な天文観測などがある.
  • その後イスラムの科学は衰える.これも宗教の影響なのかという問題について,ワインバーグはアッバース朝の科学者には宗教への懐疑主義傾向が見られるが,時代が下ると宗教家が科学を敵視する風潮が強くなっているとコメントしている.
  • 西ローマ帝国の滅亡後,知的には後退したヨーロッパだったが,10世紀頃から復興し始める.最初に大聖堂の附属学校で古代ローマ時代の学問が教えられ始め,また古代の著作が次々に翻訳されるようになる.重要だったのはトレドでアラビア語から翻訳されたアリストテレスの著作群だった.アリストテレスは13世紀に教会から異端とされることもあったが,まもなく撤回され,後の時代に多くの影響を与えた.アリストテレスの自然の法則に関する理解の多くは間違っていたが「自然には法則がある」という信念を広めたことが特に重要だった.ワインバーグは,教会による異端宣告はアリストテレスから絶対の権威を剥奪するのに有用であったし,その後の撤回はキリスト教絶対主義から科学を救ったのだとコメントしている.
  • 14世紀ヨーロッパで創造的科学研究がついに始まる.その嚆矢となったのはジャン・ピュリダンであり,彼は科学原理の論理的必然性を認めずに観察と実証を重視する経験主義者だった.ワインバーグは,これは純粋に演繹的な科学というプラトンの設定した実現不可能な目標からの解放だった(そしてそれはとても難しいことだった)と評価している.さらに(一時的とはいえ)地動説を主張したオレーム,運動を数学的に記述したベーコンなどが続く.

第4部 科学革命

物理学と天文学は16世紀から17世紀にかけての科学革命を経て現在のような学問体系になり,それに続く自然科学諸分野の模範となる.これはかつては当然の理解だったが,近年一部の歴史学者から疑問を提示されている.批判には二通りあり「それは既にイスラム圏で始まっていた」というものと「17世紀以降も前近代的な考え方の名残が連綿と続いていた」というものがある.ワインバーグはどちらの疑問にももっともな部分がないではないが,それでも「科学革命」は精神史をそれ以前とそれ以後に二分するリアルな転換点だったと評価できると主張している.現役の物理学者から見て,それ以前の学者が行っている営みは宗教や哲学と不可分に結びつき,それ以降の学者の営み(数学的に表現された客観的な法則の探求)と根本的に異なるものに感じられるというのだ.そしてここからは「科学革命は確かに存在した」ことを述べていく.まずは天文学.

  • 科学革命はコペルニクスから始まる.コペルニクスの地動説はプトレマイオス説に比べて観測結果をよりうまく説明できるわけではなかった.しかしそれはより「ファインチューニング」を減らすことに成功しており,彼は自分の理論の方が「より美しい」と主張した.ワインバーグはこれは物理学の歴史に繰り返し現れるテーマであるとし,量子力学の発達史をあわせて解説している.
  • 地動説は少しずつ転向者を生みだし,またティコ・ブラーエはコペルニクス説と数理的に等価な天動説体系を理論化して両者の折り合いをつけようとした.
  • ケプラーは当初プラトン的に正多面体的な宇宙論にこだわっていた.これは偶然の結果に過ぎない惑星軌道を説明するには不向きだったが,ワインバーグは数学的に美しい理論を求めようとするケプラーの努力を理解できるものとし,現在の天文学者が直面している「膨張する宇宙を説明する自然定数と自然法則」の問題も,もしマルチバース理論が正しければ単なる偶然の結果になり得るのだとコメントしている.ケプラーは次にティコの正確で詳細な天文観測データに出会い,コペルニクス理論と観測データの差を修正する離心円やエカントを徹底的に試したあげく,この修正は不可能だと確信し,ついに円形軌道の呪縛を逃れて楕円軌道(第1法則)という結論にたどりつく.その後ケプラーは観測データから第2法則(これは太陽から離れるにつれて惑星速度が遅くなることを意味し,惑星の運動の原因が太陽にあるという深遠な意味が含まれる),第3法則も導き出す.
  • そしてガリレオ*5が登場する.ガリレオは望遠鏡を用いて多くの歴史的な発見を行い,太陽中心の地動説モデルを有利にする観測データ(金星の満ち欠けの発見)を初めて示した.その後ガリレオはカトリック教会と対立し,異端宣告を受けてしまう.ワインバーグはその経緯を詳しく説明し,1979年のヨハネ・パウロ2世による名誉回復にも触れた後,教会がその名誉回復の理由を「地動説の方が正しく当時の教会がその判断を誤った」ことに帰していることに対し,そもそも宗教上の教義を理由に科学者の学説を断罪したこと自体の誤りを認めるべきだったと痛烈に批判している.


ワインバーグは次に物理学分野での科学革命を説明する.

  • 理論は観測や実験によって実証される必要がある.力学については実験が特に重要だった.科学者は母なる自然からその秘密を力尽くで奪い取るために人工的な環境を巧みに構築するようになるのだ.そしてこの嚆矢はガリレオになる.ガリレオは,落下実験により「重い物体も軽い物体も同じ速度で落下する」ことを示し,さらに斜面に沿って自由落下させる実験により「自由落下する物体の速度はその落下時間に比例する」ことを実証した.17世紀以降の科学実験の大きな特徴はその結果を公表し,後に続く科学者に利用できるようにしたことだ.
  • ホイヘンスは振り子を使って重力加速度を測定し,実験結果から運動量と運動エネルギー保存の法則を提唱した.ワインバーグはこれは科学がついに論理的な演繹法や数学的な確実性の追求への呪縛から脱却できたことを示しているとコメントしている.
  • パスカルとトリチェリは実験結果から気圧の存在を説明し,アリストテレスの誤り(自然は真空を嫌う)をまた一つ実証した.ボイルは実験結果を積み重ねてボイルの法則を提唱する.


ワインバーグはここで科学史家や哲学者から評価の高いベーコンとデカルトの業績を扱う.ここも辛口で面白い.

  • ベーコンはその徹底した経験主義を評価されている.彼は新発見は観察からのみ生みだされるべきであり,科学者は実用に結びつく研究のみ行うべきであると主張した.ワインバーグはこの主張は極端であり,実際に彼に影響された科学者がいたとは思えないとしている.
  • デカルトはその権威や感覚に対する懐疑主義と確実な推論を求める姿勢からさらに評価が高い.しかしワインバーグはデカルトは数学的確実性にこだわりすぎている上に,その科学的原理の推論の確実性の基礎は結局「神が人間に与えた知力を信用する」ところに求めているが,それはおかしい(神が地震や疫病を放置するのに哲学者が欺かれることを放置しないと考えるのは奇妙だ)とコメントしている.そしてデカルトの犯した数々の誤りを見ると,結局彼の演繹法は彼に期待された重みに耐えきれないものであることが明らかであるとしている.そしてワインバーグは,デカルトの業績について,科学的方法論や哲学ではなく,解析幾何分野の創設と光学分野への貢献(虹の説明など)こそが取り上げるに値する重要なものだと評価している.


科学革命の最大の立役者は当然ニュートンになる.ワインバーグは以下のように描写する.

  • ニュートンについては彼が現代の科学者とは異なる側面を持っていたことが強調されることがある.しかしニュートンは過去の自然哲学と現代科学の始まりとの境界を越えた人であり,その業績は以降の現代科学の模範となった.
  • ニュートンの偉大な業績は主に光学,数学,力学の分野でなされた.光学では実験によって色彩を説明し,数学では微積分を独力で創設し,運動の3法則と重力の理論は,天体の運動がなぜケプラーの法則に従うかを説明し,天空と地上において物理学を統合し,歴史に最大級の影響を与えた.
  • ニュートンにより「科学理論は究極的に理性にのみ基づいて築き上げられるべきだ」という古代ギリシアにさかのぼる古い科学の理想は捨てられることになった.現代の物理学者は最も根本的な理論に対しても常に「どうしてそうなのか」という疑問を抱き続けざるを得ないのだ.
  • ニュートンの理論,予想は次々に実証され,世界に受け入れられた.それはアリストテレス哲学の中心課題であった「目的」について何ら解答を与えていなかったが,多種多様な現象を計算可能にする普遍原理を提示していたのだ.そしてこれは物理理論の規範と可能性を示す強固なモデルとなった.

ワインバーグはさらにプリンケピアにおける記述,アインシュタインの相対性理論との関係*6などニュートンの業績を詳細に解説している.ここも読みどころだ.


ワインバーグは科学革命が生じた理由についての考察も行っている.

  • 古代や中世においては現代科学のような目的意識もなく人間的価値が入り込む余地のない無機質な営みは目標とされていなかった.
  • なぜ科学革命が16世紀のヨーロッパで生じたか,いろいろな説明はあるが確かな理由はよくわからない.しかしどのようにしてそうなったかは説明できるだろう.ヒトは目の前の現象の説明に対して満足感を覚える.これが報酬となり試行錯誤の末にどのようにすれば知識を得られるかがわかり始め,目的や価値を気にかけなくなり,確実性をあきらめ,観測や実験を重視するようになっていったのだ.


そして最後に科学革命以降の科学史と将来の展望を簡潔にまとめている.

  • 世界はニュートンの時代に想像されていたよりもはるかにシンプルで統一的な自然法則によって支配されていることがその後の科学の進歩によって明らかになっていった.電気力と磁気力は統一され,光学は電磁理論と統一された.
  • 物質は原子からなることが明らかになり,さらにそれは原子核と電子から,さらにそれらは各種の素粒子からなることが理解され,それらの素粒子の運動は量子力学で記述され,そこに働く2つの力は電磁力と統一されて標準モデルとなり,化学と物理が統一された.
  • 標準モデルはなお重力を統一していないし,ダークマターの問題は解決していない.しかし標準モデルは間違いなく未来のより完全な理論の近似理論たり得るだろう.
  • 生物学はダーウィン以降ようやく目的論から離れ,DNAの解明によってその基礎が物理化学と結びつくことになった.とはいえ,生物学的な問題をすべて素粒子から記述することは事実上不可能であり,可能であっても人間にとって理解できないものになるだろう.また歴史的偶然の要素が多いという特殊性もある.それでも生物学の原則は(歴史的偶然とともに)基本的物理法則によって成り立っているだろう.
  • このような見解は「還元主義」として批判されることがあるし,物理学の内部でも問題によってはそのような論争がある.ある意味それは「世界がそのようになっている」という一つの見解でもある.科学が将来的に還元主義の道をどこまで進んでいくかはわからない.しかしわれわれはこれまでこの道を長い間歩んできたし,道はまだまだ続いているようだ.

そして本書の最後はダーウィンへのオマージュとしてこう記述されている.ダーウィンファンとしては大変楽しいところだ.

これは壮大な物語である.天空の物理学と地上の物理学はニュートンによって統一された.電気と磁気の統一理論が開発され,それで光を説明できるとわかった.電磁気の量子理論が拡張された弱い力と強い力を包含するようになり,化学と生物学までもが物理学を基礎とする(不完全ながら)統一された自然観に組み入れられた.さらに基本的な物理理論へと,われわれの発見する幅広い自然法則はこれまでにも還元されてきたし,今も還元されつつあるのである.

本書を通読すると,人類の「物事を知ろうとする試み」は,(特にそれが世界の成り立ちにかかる根本的な原理であればあるほど)それにより何らかの人間的な価値を求めようとする心に侵入されてしまう傾向があることがよくわかる.これはヒトの本性の1つと密接に関わっているのだろう.西洋ではこれらは純粋演繹を求めるプラトン主義,アリストテレスの「目的論」*7として現れ,さらにキリスト教的な呪縛が科学の障壁として立ちふさがった.そういう意味で科学革命は人類が非常に幸運な物事の成り行きの結果手にしたものであったのであり,普遍的人権思想と同じように,いわば歴史の僥倖として捉えるべきものかもしれない.
冒頭でも述べたが,ワインバーグの現代の知識を前提にした過去の科学者や哲学者たちへの評価は,決して彼等の主張が後知恵で見て正しかったかどうかに依拠していない.目的や希望などの価値にとらわれていないか,それが(理論上破綻していないだけでなく)実際にも成り立つものであるのかを観察や実験によって確かめようという姿勢があるのかが基準になっている.そして実際に理論の美しさを追求して結果的に誤った科学者に対するまなざしは温かい.理論は観測や実験で確認されなければならないとはいえ,「世界には普遍的な自然法則があり,それは還元的に追求でき,美しい理論として記述できる」という信念は現代科学にも濃厚にあるからなのだろう.
そしてワインバーグが古代や近代の科学者や哲学者に対して科学史家たちと全く異なる評価を下していく部分は本書の最も面白い部分であり,読んでいて特に爽快だ.ギリシアの哲学者たちを「詩人」と断ずるところも豪快だが,個人的にはデカルトの評価が大変面白かった.デカルトの「方法序説」は「我思う故に我あり」で大変有名だ.私ははるか昔この明晰な議論に初めて触れたときにいたく感銘を受けたのだが,ではそこから次にどう進むのかに興味を持って深入りすると,突然「神」が降臨するという展開に唖然とした記憶がある.しかし一般的にはデカルトの方法的懐疑の哲学の評価は高く,私は常々釈然としない思いを抱いていた.本書の記述は,そういう私の何十年にもわたってもやもやしていた部分を吹き払ってくれたようにも感じられる.ここはあるいは英米の経験主義と大陸欧州の観念主義の文脈で解釈すべきなのかもしれないが,ワインバーグのストレートなさばき方はともかくも小気味よいものだ.
またワインバーグによる物理学史を彩る諸問題についての一貫したフレームからの解説も本書の魅力の一つになっている.本文中にも詳しく解説されているが,きちんとした解法はさらにテクニカルノートにまとめられている.学部生向けの講義が元になっているので当然といえば当然だが,この部分だけでも初学者にとって大変充実した物理学の副読書になっている.
本書は,科学革命の本質を科学者の目から解説している注目すべき科学史書だ.科学という営みに興味のある人すべてに推薦できる.


関連書籍


原書

To Explain the World: The Discovery of Modern Science

To Explain the World: The Discovery of Modern Science

*1:ワインバーグは現代では数学と科学はきちんと区別されているが,なお厳密さを巡って意志疎通に難をきたすことがあるとコメントし,数学者たちは物理学者は曖昧だと感じ,物理学者は数学者は厳密さにこだわりすぎていると感じると述懐していてなかなか面白い

*2:ワインバーグは,アリストテレスの文体について「簡潔にして無駄がなくプラトンと大違いだが,実際には結構退屈だ.とはいえプラトンのような馬鹿らしさはない」とコメントしている

*3:これは地球の自転軸の歳差運動によるもので,ニュートンによって初めて正しく説明された

*4:離心円は,周転円の中心が描く従円の中心を地球から少しずらすという仕掛け.エカントは(離心円をとる場合の)従円の中心に対して地球の逆側にある点で,周転円の中心がエカントを中心として一定の角速度で動くとした

*5:ワインバーグは,ガリレオについて,ニュートン,ダーウィン,アインシュタインと並ぶ史上最高の科学者の1人だと評価している

*6:物体の運動が光速より十分遅い場合の近似理論とみなせる

*7:生物学はその淘汰産物の適応的デザインのために特に目的論に侵入されやすい.目的論によって進化理論の理解がはばまれているという事情もより本書が示したような大きな構図から見るとまた興味深いところだ.