War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その98

 
ターチンによるローマ帝国衰亡論.ターチンはローマ帝国3つのセキュラーサイクルを語り,268年にローマ帝国は消滅し,イリュリアに興ったビザンチン帝国に変質したという立場を語る.ここから帝国消滅後にイタリアで何が起こったかが語られる.
  

第11章 車輪の中の車輪 ローマ帝国のいくつもの凋落 その9

 

  • 市民軍からなる団結した国家は消滅した.ローマ帝国のコア領域には不平等で団結力のない社会が残った.これは数世紀に及ぶマタイ効果の累積によるものだ.大規模奴隷農場はBC2世紀からイタリアで盛んになり,BC1世紀には自由市民の農場を駆逐していった.元首政の元で農場で働く奴隷の数は減少し,コロヌスに置き換わった.奴隷はいなくなったが農民と貴族のギャップは拡大し続けた.奴隷解放後の南部の大土地所有者と同じく,ローマ貴族たちも農民たちの横の連帯を制限し他.さらに彼らは農民たちを土地に縛りつけようとした.400年ごろには農民は農奴として扱われるようになった.

 

  • ローマ帝国の富の不平等は4世紀にそのピークを迎えた.しかしその過程は非線形だ.不平等の最初の拡大は共和制の解体フェーズ(BC2~1世紀)で,元老院議員クラスの資産が10~20百万セステルティウスとなった.元首政の統合フェーズでは元老院議員クラスの資産はたいして増加しなかった.しかし元首政の分解過程においては貧富の差は大きく拡大した.4世紀後半の西帝国の貴族層の資産は(共和政期の貨幣価値に換算すると)100~150百万セステルティウスとなっている.つまり帝国自体が縮小過程に入っており富の総額も減少している中で,富裕層の資産は10倍になっているということだ.このエリート層の富の蓄積は平民層の犠牲の上に行われたのだ.後期帝国の様々な歴史的事実がこれを裏付けている.

 
ここがターチンのローマ帝国衰亡論の1つのポイントだ.ターチンはメタエスニックフロンティアの消滅だけでなく,そこで生じた富の不平等がアサビーヤを侵食したと説明していることになる.

ターチンはローマ帝国については以下の参考書籍を挙げている.(改訂があるものは最新版)

The Roman Empire: Second Edition

The Roman Empire: Second Edition

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  • 5世紀までに,イタリア社会(それが社会と呼べるかどうかはさておき)にはどのような団結的な行動を起こす能力も残っていなかった.イタリア人は軍人や官僚として奉仕しなくなった.中央は税の徴収能力を失った.有力者たちは帝国政府の命令を無視してそれぞれの私設軍隊を創設した.これらの軍隊は5世紀に帝国になだれ込んだ蛮族に対しては全く無力だった.
  • イタリア半島の何百万もの人々は蛮族より圧倒的に多かった(ほとんどの侵入蛮族は多くても数万人程度で,最大でも10万人を超えることはなかった).しかし蛮族は自由にイタリアを蹂躙し,好きなまま略奪した.それでもイタリアに連携して蛮族に対抗しようとする動きは起きなかった.

 
そしてアサビーヤの消滅が蛮族の侵入を跳ね返せなかった主因であるとしている.確かに5世紀にイタリア半島は組織的な防衛能力を失っていた.とはいえ,やはり気になるのはターチンのいうアサビーヤの消滅時期と3世紀の危機までの200年のタイムラグだろう.元首政時代にローマ帝国は(アサビーヤが失われつつも)よく機能する軍団を整備し,ラインとドナウ国境に防衛線を構築できた.なぜそれが3世紀に急速に失われたかについては別の要因を探したくなる.
ここからターチンは北イタリアと南イタリアのその後の経緯の差について解説することになる.

War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その97

 
ターチンによるローマ帝国衰亡論.ターチンはローマ帝国のメタエスニックフロンティアが遠ざかったことに始まる第2セキュラーサイクルの分解フェーズ,そしてその中の父と子のサイクルを解説する.ローマはBC1世紀の内戦がアウグストゥスの勝利で終わったあと,貴族層人口の過剰の解消により一旦平和がもたらされ,そこから第3のセキュラーサイクルに入る.この統合フェーズの頂点は五賢帝時代でローマの国力はピークをつけるが,2世紀後半からの疫病をきっかけに蛮族が侵入し,帝国財政は破綻した.
 

第11章 車輪の中の車輪 ローマ帝国のいくつもの凋落 その8

  

  • 「最後の賢帝」マルクス・アウレリウスは何とかローマの支配階級をまとめられたが,次のコモンドゥス帝はそうではなかった.周辺の元老院議員たちからの暗殺の陰謀の試みと粛清が繰り返され,最後には暗殺された.そして内戦の時代になった.
  • この最初の内戦の勝利者はドナウ軍団の将軍セプティミウス・セヴェルスだった.その後しばらく(彼とその子のカラカラ帝の時代)は平和だったが,217年にカラカラが暗殺され,皇帝暗殺がローマの宿痾のようになった.そして235年までに4人の皇帝が次々に暗殺され,50年にも及ぶ内戦の時代になった.ローマ帝国の衰退はその最終段階に入った.

 
これがいわゆる3世紀の危機と軍人皇帝時代ということになる.暗殺された4人の皇帝とは,カラカラの暗殺にかかわったとされる近衛隊長官だったマクリヌス帝,共同皇帝だったその子のディアドゥメニアス帝,この両帝を暗殺してセヴェルス朝を復活させようとする試みに担ぎ出されたヘリオガバルス帝,(血筋に疑惑がささやかれ奇行が多かった)ヘリオガバルスが近衛兵に暗殺された後に即位したアレクサンデル帝になる.アレクサンデルの暗殺によりセヴェルス朝は断絶し,アレクサンデルを暗殺したトラキアの蛮族出身の軍人であるマクシミヌス・トラクスが即位し,そこからローマは次々と短命な軍人出身皇帝が入れ替わる時代(軍人皇帝時代)を迎えることになる.
 

  • 連続的な過程を区切るにはどこかに恣意が入る.しかしローマ帝国の最後をいつにするかを決めなければならないとするなら,私は268年を選ぶ.この年からドナウ辺境の司令官たちがガリエヌス帝を暗殺して,自分たちで帝国を動かそうとし始めたのだ.そしてそこから非情かつ有能なイリュリア軍人皇帝と呼ばれる皇帝たちが生まれた.その1人であるディオクレティアヌス帝は285年に帝国を再統一した.別の1人であるコンスタンティヌス帝は330年に首都をコンスタンチノープルに移した.
  • 彼らは自分自身をローマ人と呼んだが,しかし彼ら自身,そしてその軍隊は全く新しい帝国のものであり,1000年前にティベル川のほとりで生まれた国家のものではない.この帝国はその後ビザンチン帝国と呼ばれるようになる.これらのイリュリア人たちはイタリア人を信頼しなかった.そしてそれはある意味合理的だった.イタリアにはもはやアサビーヤが残っていなかったからだ.

  
268年を選ぶというターチンの見解は面白い.普通なら軍人皇帝時代となる235年を選びそうなものだが,初期の軍人皇帝たちは(最初のマクシミヌス・トラクスはドナウ方面軍出身だが)アフリカ出身(ゴルディアヌス,アエミリウス)だったり,シリア出身(フィリップ・アラブス)だったり,伝統的ローマ元老院階層出身(ガルス,ヴァレリアヌス,ガエリヌス)だったりする(そして268年のゴティクス帝以降ドナウ方面軍出身皇帝が連続する)ので,「イタリア半島で生まれたローマ帝国は3世紀になくなり,新しくバルカン半島起源の辺境国家が興隆した」という主張をとるターチンとしてはそれらを含みたくないということだろう.
 

War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その96

 
ターチンによるローマ帝国衰亡論.ターチンはローマ帝国のメタエスニックフロンティアが遠ざかったことに始まる第2セキュラーサイクルの分解フェーズ,そしてその中の父と子のサイクルを解説する.ローマはBC1世紀の内戦がアウグストゥスの勝利で終わったあと,貴族層人口の過剰の解消により一旦平和がもたらされ,そこから第3のセキュラーサイクルに入る.しかし平和は人口増をもたらし,その後もサイクルは回り続ける.
 

第11章 車輪の中の車輪 ローマ帝国のいくつもの凋落 その7

  

  • 農業社会の平和と安定は,しかしながら問題の芽を内包している.幸運の車輪は回り続けるのだ.そして元首政期以降のすべてのサイクルの詳細を紹介するのは重畳的で退屈になる.ここでは元首政期(BC27~AD284)についてはハイライトだけを紹介しよう.

 

  • BC27以降の内的な平和と経済繁栄は人口増加を生んだ.イタリアはまたも人口過剰問題を抱え込んだのだ.AD100年ごろには無産市民の人口が目に見えて増加してきた.トラヤヌス帝(治世AD98~117)は自由民の子供への公的扶助プログラムを創設した.これは軍隊に入るべき人員を確保するためだったろう.軍隊のイタリア出身者の割合1/4程度で共和政期(2/3)に比べて大きく減っていた.この比率は3世紀には3/100まで下がる.

 
ここでターチンは軍隊のイタリア出身者の割合を重視しているが,やや微妙だ.ローマ帝国はガリア,イベリア,アフリカ,バルカン,中東と拡大しているのであり,軍隊のイタリア出身者の比率が下がるのは当然だ.ローマはギリシアのポリスと異なり,征服地の人々をどんどんローマ市民として取り込んだ(支配層については元老院議員の資格も与えている)し,退役後のローマ市民権を約束することで,忠誠心のある軍隊を編制した.これらを考慮した上で,軍隊のローマへの忠誠心,あるいはアサビーヤが全体として下がったというなら,より深い説明が必要だろう.
 

  • そして小規模土地所有者が減少する中,イタリアとシシリアの中核地帯はラフティンディウムと富裕層のヴィラで占められるようになった.外部征服の終わりとともに奴隷の流入が減少し,土地はコロヌス(移転の自由のない小作人)により耕されるようになった.

 

  • 五賢帝時代は内的平和と経済繁栄の時期であり,ローマ帝国は最大版図を持つ.そしてそれは貴族の黄金時代だった.エリートは経済的に繁栄し,人口を増やした.すべての貴族の繁栄の指標は2世紀にピークをつけている.

 
通常はこの五賢帝時代がローマ帝国国力のピークとされる.ターチンによれば,これは第3セキュラーサイクルの統合フェーズで説明されることになる.アサビーヤの侵食はすでに前回のセキュラーサイクルで始まっているが,それがブレーキとして聞き始めるまで300年かかったのだという説明がなされている.私的にはこれはやや苦しい説明だと思う.
 

  • AD150までに社会は危険なほどトップヘビーになった.しかしなお内的安定を保っていた.この均衡は165年の疫病(アントニヌスの疫病)の到来で破れる.これはおそらく天然痘(あるいははしかも加わっていたかもしれない)で,そのインパクトは中世の黒死病に匹敵するものだった.この疫病は波のように何度も到来し(最初の大波が170〜180年代,次の大波が250〜260年代だった),大きな被害を生じさせた.
  • 疫病流行後の物事の進展は速かった.(ローマの)弱さを感じたゲルマンとサルマタイの部族はラインとドナウの辺境を圧迫し始めた.167年以降帝国は繰り返し彼らの侵入を受けることになる.帝国財政は破綻した.マルクス・アウレリウス帝は戦費を賄うために国家の宝物を売りに出した最初の皇帝になった.デナリウス通貨は改鋳を繰り返し,最終的に銀の包含量は2.5%になった.それすらも供給不足になり,帝国は軍隊をコントロールできなくなっていった.エジプトで反乱が生じ,ローマでも市民が食料暴動を起こした.

 
ターチンはこの時期の疫病について国力低下と蛮族に弱みを示したマイナス要因として強調している.しかしここまでには人口減少をサイクル上昇要因と扱うこともあったので,そのあたりの説明もほしいところだ.
ともあれここからローマの第3セキュラーサイクルの分解フェーズ入りということになる.

NIBB動物行動学研究会 講演会 基調講演


 
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動物行動学研究会の講演会で長谷川眞理子さんが基調講演されるというので聴講してきた.
 

人間行動生態学へ 長谷川眞理子

 

  • 今日は昔話もふくめて,人間についてどう考えるかについて話したい.
  • 動物の行動の研究は1930年代以降にエソロジー(動物行動学)として始まった.ローレンツ,ティコバーゲン,フリッシュが1973年にノーベル賞をとったことで有名だ.
  • この受賞は私が大学3年の時だ.今中身をみると「種の保存」のような現代では否定されている間違った考え方も含まれていた.有名なドーキンスの「利己的な遺伝子」はこれをふくめたグループ淘汰の誤りを明確に指摘した本になる.余談だが,この「種の保存」の誤解は本当にしぶとくて不思議だ.先月スポーツ科学関連の講演会に呼ばれたが,その後の雑談で,ある参加者が「『利己的な遺伝子』は本当にいい本ですね.生物が種の保存のために進化することがよくわかりました」と話していて,心底がっかりした.
  • 受賞者の1人であるティンバーゲンは生物学には4つのなぜがあると説いた.それは至近因,究極因,発達因,系統進化因になる.
  • (動物行動学を越える新しい学問である)行動生態学は生物の行動についてこの究極因を考察するものになる.生物の行動は(学習やエピジェネティックスを含む)情報処理,意思決定アルゴリズムが,環境と遺伝変異の中で自然淘汰を経て進化すると捉えることが出来る.ここで重要なことは遺伝子が直接行動を支配するわけではないということだ.
  • この行動生態学は1960〜70年代に姿を現した.適応的アプローチ,究極因の研究,どのような条件でどのような行動が進化するのか,行動の適応度の測定,進化速度の測定などの研究がなされた.
  • 私は1973年に東大で進振りの時期を迎えていた.このような行動生態的な研究が面白いと思ったが,どこに進めばそういう研究が出来るのかがわからなかった.動物学教室ではミクロしかやらないといわれ,いろいろ探して,人類学教室では人類だけでなく霊長類も範囲内だということでそこに進んだ.そして霊長類を研究することになった.人類(の行動研究)は難しいと思った.人間とは何かというのは難しい.私は45歳ぐらいになってようやくある程度いえるようになった.

 

  • 1975年に欧米で社会生物学論争が巻き起こった.EOウィルソンが「社会生物学」という大著を出した.その最終章で,「いずれ人文学も社会学も生物学の一部門になるだろう」と書いて,大論争になった.
  • まず大反対が巻き起こった.いわく,生物学帝国主義だ.遺伝決定論だ,人文学社会学は独立した存在だ.ヒトと動物は根本的に違う,などなど.(いろいろ紆余曲折の末)生物学サイドは,ともかくヒトを対象に行動生態学を当てはめてみようという動きになった.私は80年代にティム・クラットンブロックの元でポスドクをやることになったが,ヒトに直接当たるのは無謀だということで,ほかの動物をやっていた.
  • 社会生物学論争に戻ると,批判者の中心はルウォンティン,グールド,サーリンズといった面々だった.サーリンズは文化人類学者として,文化の独自性を強く主張し,文化は文化でしか説明できないと論陣を張った.これは(何のエビデンスもなく)イデオロギーだった.社会生物学論争についてはセーゲルストラーレの「社会生物学論争」がよく書けている.私はオルコックの「社会生物学の勝利」を訳した.
  • 80歳を越えた某文化人類学者と意見を交わしたことがあるが,「人種なるものは存在せず,すべては文化的な区分けだ」「進化は嫌いだ」「進化論は遺伝的な差を認める差別主義だ」というばかりで全く聞く耳を持たない.科学であるなら,「何が示されたら意見を変えるのか」ということがあるはずだが,イデオロギーになってしまっている人にはそれがない.多くの社会学者や人文学者は何があっても意見を変えず,意見を変えたやつは変節だと罵る.これでは科学ではない.なお先日HBESJで60代の文化人類学者のイヌイットの話を聞いたが,彼はきちんとヒトの生物学的な基盤を認めその上に文化があるのだといっていた.文化人類学も変わってきているのかもしれない,
  • ヒトを対象に行動生態学を当てはめようという動きは1970年代に人間行動生態学が興り,1985年ごろから進化心理学が立ち上がった.国際学会であるHBESは1988年創設.初代会長はハミルトンだった.私は,閉鎖的で日本独自にこだわる日本の霊長類学会をやめてそちらに進んだ.1996年に日本で研究会を立ち上げて,その後HBESJという学会に改組している.
  • 進化心理学ではまず人間本性の研究,つまり文化を越えたヒューマンユニバーサルの探求が盛んになされた.そして領域固有な脳の働き,モジュール性,領域特殊性が強調された.1998年のHBESのポスターはそれ一色だった記憶がある.
  • 最近ではやっぱり文化も大事であると認識されるようになっている.文化の意味,文化環境の大切さが意識されるようになり,文化進化,遺伝子と文化の共進化,ニッチ構築などが数理モデルもふくめて研究されている.私もヒトにとって文化環境は非常に重要だと考えている.動物は自然環境の中で,それに対処するための身体を遺伝的に進化させる.ヒトは自然環境とともに文化環境を持ち,その中でうまくいくように遺伝子に淘汰がかかる.獲物を捕るために動物は爪や牙を進化させるが,ヒトは狩りの方法,道具,捕った獲物の分配をふくめた文化で対処する.ヒトは生まれ育った文化に従って行動し,それに対して遺伝子に淘汰がかかる.だからヒトとは何かを考えるのなら文化も考えなければならない.

 

  • このあたりで私自身のヒトについての研究についても触れておこう.
  • まずヒトの殺人についてのリサーチがある.マーチン・デイリーとマーゴ・ウィルソンは殺人を調べ,(殺人率の性差や年齢曲線について)ユニバーサルパターンを見つけ,性淘汰で説明した.私はこれを日本のデータでやってみた.そこには日本特有のパターンもみつかり,それを文化的に説明しようとした.
  • 続いて児童虐待のリサーチがある.子殺しがなぜ起こるのかを進化的に考察してヒトに応用するリサーチがあり,これを東京都の研究員として都のデータを用いて児童政策のために行った.
  • 思春期のリサーチもある.これは多くの子供の10歳から20歳までを追跡する大規模コホート研究で,チームで行った.多くの論文に結実している.

 

  • 今日は特に日本の女子死亡率の推移についてのリサーチを紹介しておきたい.これはデータをとっていろいろ進めたがなかなか論文にならなかったものだ.
  • 配偶競争はオスの方が激しい場合が多い.そのような場合に性淘汰が働くとオスはよりリスクをとる戦略をとり,死亡率(特に外部要因による死亡率)も高くなる.これは基本的にはヒトにも当てはまり,多くに国の様々な時代のデータでそうなっている.
  • しかし社会の状況によっては女性の方が死亡率が高くなることもある.インド,パキスタン,バングラデシュ,モロッコなどで女性差別が激しい場合にそういう状況が観察される.ベネズエラのアチェ族でも粗放農耕社会でそういうデータがある.
  • 日本ではどうか.戦後の日本は,男性の方が死亡率が高いというよく見られるパターンになる.特に高度成長期以降は完全にそうなっている.しかし戦前にはそうではなかった.年齢40歳ぐらいまで女性の方の死亡率の方がかなり高かったのだ.その一部はお産の影響だが,幼児や10代(特に差が大きい)の死亡率の高さはそれでは説明できない.
  • 一体何が起こっていたのかをいろいろ調べた.この傾向は1884年の統計開始時から戦前を通じて見られる.死因を調べると外部要因(事故)による死亡率は男性の方が高いが,肺炎,結核などの病気による死亡率は女性の方が非常に高い.これは女工哀史のような過酷な労働,および病気になってもなかなか医者に診てもらえないという女性差別の影響だろうと思われる.
  • いろいろ調べるとその時代の女性差別の様々な状況が浮かび上がってきた.
  • ではなぜその時期に強い女性差別があったのか.これが難しい.明治以降日本の社会規範は大きく変わり,四民平等,その中での立身出世主義,そして男性嫡子相続制となった.これらの影響が考えられるが,決め手には欠ける.
  • そして進化的に考えるならどっちの方が(男子をより残すのとそうでないのと)適応度が高かったのかが気になるが,そのデータが取れない.
  • というわけで論文とはならなかったのだが,いろいろ示唆に富む部分もあるので今日お話しした.

 
 
以上が基調講演の内容になる.戦前の女子死亡率の状況はなかなかすさまじい.
 
なおこの講演会はこの後幸田正典による魚類の鏡像認知,依田憲によるバイオロギング,木下充代に夜アゲハチョウの浩司氏革新系,土畑重人による社会性の講演もあり,なかなか充実していた.
 

第17回日本人間行動進化学会(HBESJ Hiroshima 2024)参加日誌 その2

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大会二日目 12月8日

 

口頭セッション3

 

狩猟採集⺠の食餌幅選択及び農耕⺠との関係性を考慮した数理モデル 河⻄幸子

 
狩猟採集民と農耕民と生物資源2種がある社会で,個体群動態がどうなるかについての数理モデル発表
 

教示を行うライフスケジュールの進化 下平剛司

 
教示についてのライフスケジュールの進化についての数理モデル発表.教示が,教示者のコストになるとともに,子の知識・技術の学習効率上昇を通じて子の繁殖力を高める場合のトレードオフを分析したもの
 

社会学習の「深さ」をめぐる鶏と卵問題 森隆太郎

 

  • 問題解決には社会学習が有効な場合がある.特に「ウシの体重当て」のような場合の集合知効果がよく知られている.
  • ある特定のウシの体重を知るにはこれで十分だが,その学習が,別のウシの体重当てにも使えるかどうかは社会学習の有効性において重要な問題となる.つまり学びの波及に関する観点が重要だがこれまでの研究ではあまり考察されていない.世の中に似ていて異なる問題は多く,それにも応用できるような「深い」学習が重要と考えた.
  • ではどのような社会学習なら目の前の特定状況を越えられるのか.ここでは特定の数値を推定するものを「浅い」学習とし,関数問題として捉えるものを「深い」学習とする.
  • ここで個人学習と社会学習があって世代交代していくモデルを考える.そして社会学習に浅いものと深いものがあるとする.
  • モデルを回してみると,深い社会学習は世代が更新されるにつれてより効率が良くなるが,浅い学習ではそのような改善があまりない.しかし(学習頻度,学習の正確性などの)条件によっては初期世代では各個体にとり浅い学習の方が有利になる.
  • 条件をいろいろ調べた結果,累積的文化進化が生じるには,学習が選択的で忠実,深い学習の波及効果が大きいことが重要であることが分かった.
  • 社会学習の利益には複数のチャネルがあり,一部の利益には外部性があることを示している.

 

間接互恵性における社会規範の進化 村瀬洋介

 

  • 関節互恵性の数理モデル的な研究は,どのような行動ルールと評判ルールの組み合わせ(規範)のもとで協力が安定するか(非協力的な戦略に侵入されないか)を中心になされてきた.そしてリーディングエイトと呼ばれる8つの戦略セットが見いだされてきた.
  • これらの先行研究には以下の制限がある
  • (1)評判が誤解なく他者と共有されることが仮定されている(公的評判モデル).そうでない私的評判モデルも研究されているが,結果は結構異なる.
  • (2)すでにあるルールの安定性が吟味されている.どのような条件で頻度を増やしていくかはあまり吟味されていない.
  • (3)多くの研究は限られた戦略ルールを選択してシミュレートしている(大槻の論文は例外)
  • そこで「関節互恵の協力が確立するにはどのような状況からどう進化するのか」を2080のすべての戦略セットを用いて吟味した.これは2080×2080の対戦をシミュレートすることになる.我々は富岳を用いた大規模計算アプローチでこれに取り組んだ.
  • 結果は以下の通り
  • まずナイーブに総当たりでシミュレートすると協力は進化しない.進化動態としてはallDに対してL2, L5がまず侵入し,そこにL1, L3, L4, L7が侵入し,それが多くなるとallCの侵入を許し,allDが再度侵入するという形になる.
  • サブグループを作り,対戦はサブグループ内,稀に他グループから戦略が伝播するという集団構造を導入すると協力が進化しうる.
  • 協力が進化する上で特に重要なのはリーディングエイトのうちL1と呼ばれるタイプだ.上手く協力が増えるサブグループ内でL1が頻度を高め,安定している傾向がある.L1はリーディングエイトの中でも最もコンテキストに依存しないルールで,協力には良い,裏切りには悪い(ただし罰する場合を除く)という単純ルールとなる.

 
富岳を使った大規模計算アプローチというのはとても興味深い.なお発表者は協力の進化についての大規模計算アプローチについていくつかnoteを書いてくれていていずれも面白い.
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招待講演

 

現代の狩猟採集社会における食物分配について: アラスカのイヌピアットとカナダのイヌイットの事例を中心に 岸上伸啓

 

  • 私は文化人類学者としてカナダ,アラスカのイヌイット,イヌピアットなどの人々を対象に食物分配をテーマに研究してきた.ここでは2つの事例を紹介し,文化の変化,分配の多面的機能を説明し,分配を通して人間とは何かを考えてみたい.
  • 文化人類学は,参与観察,フィールド調査を行い,結果を文化間で比較したり一般化を試みたりする.人間とは生物的,文化的,社会的存在であり,私は生物学的な基盤の上に文化があるのだと考えている.
  • 狩猟採集社会ではほぼ普遍的に食物分配が見られる.ヒトの特徴としては(積極的に)与える分配,交換がある(いずれもチンパンジーには見られない)

 

  • アラスカのイヌピアットはホッキョククジラを狩猟する.ホッキョククジラは体長15メートル,体重50トンにもなるヒゲクジラで,北極海とベーリング海を季節回遊する.現在11の捕鯨村があり,1980年代以降,国際捕鯨委員会から年間51頭の捕獲が認められている.
  • 私の調査地はこの中のバローと呼ばれる村で人口4300人ぐらい.
  • 捕鯨のあとは宴や祭りとともに肉,皮,脂が分配される.肉,皮,脂は外には販売されず,すべてイヌピアット内で分配,交換,贈与される.
  • 村には捕鯨集団が50ほどあり,それぞれキャップテン,その妻,5人ほどのハンター,その家族で構成されている.
  • 現在では近代化された建物が建ち並んでいる.車社会であり,生鮮食料品を売るスーパーもあり,日常的にそこで買い物をする.11月から5月は氷雪に閉ざされる.
  • 捕鯨のスケジュール.1〜2月は船や道具の整備,春になるとクジラが氷原のクラックに沿って移動を開始するので,岸でクジラが来るのを待つ.突然目の前に現れる.大きすぎるクジラは避け,9〜10メートル級を狙う.見つけると小さな皮船を漕いで近寄り,まずモリでつく.その後銃でしとめる.このあと他の捕鯨集団の助けを借りてクジラをひいて解体場に運ぶ.解体後は助けてくれた他集団に一山づつ分ける.その後祝宴となり,村の人が集まってくるので皆に分けて食べる(入り口で肉だけもらって帰る人も多い).残りは地下貯蔵室に.そして5月,6月の2つの伝統的な祭りでまた皆で分けて食べる.
  • 9〜10月は秋の捕鯨シーズン.もう氷は溶けているのでクジラは沖合いを回遊しており,モーターボートを沖にまで出して捕る.これはかなり危険.持ち帰るのも大変で,やはり他集団の助けを借りる.解体後は春と同じで,祭りは感謝祭とクリスマスになる.
  • 彼らにとって捕鯨は生活サイクルの要になる.クジラのどこを誰にどう分けるかはかなりの部分慣習的に決まっている(一部はキャップテンの裁量になる).(詳細の説明がある)
  • イヌピアットにとって,クジラはヒトのために命を差し出してくれるもの.捕鯨はそうやってきてくれたものを捕獲する神聖な行為になる.だから決して粗末には扱わない.
  • 村によって分配の詳細は異なる.最近(特に1980年代以降)分配のやり方は単純化してきている.若いキャップテンの方がより平等に分配する傾向がある.

 

  • カナダのイヌイット(かつてはエスキモーと呼ばれた)は現在約7万人ほどいて,うち70%ほどは昔ながらの極北地域にいるが,30%はモントリオールのような大都会に出てきている.
  • 伝統的な居住地はツンドラ地帯で,低温低湿で農業は出来ず,アザラシ,セイウチ,クマ,カリブーなどの狩猟が生業だった.
  • 調査地はアクリヴィク.人口は増加中で1984年に317人だったものが2021年に642人になっている.現在では住宅は近代化され,発電所,学校,教会,生協,空港などが整備されている.エネルギーは石油に依存し,スノーモービル,モーターボートで移動する.経済的には役所の賃金労働やアート製作販売などにより貨幣経済が中心になっているが,狩猟採集も熱心に行われている.伝統的には大家族だが,核家族化が進行中.
  • 多くの食品を生協で購入し消費するが,狩猟採集で得た食物は伝統的な分配の対象になる.
  • 分配は4タイプ(ハンター間,ハンター→村人,共食を介して,ハンターサポートプログラム).共食を解する分配が多く,ハンターの家に集まって皆で食べる.最後のプログラムは村がハンターを雇い,村が事業として分配するものだ.
  • 最近では分配の頻度が減り,範囲も狭まっている.

 

  • イヌピアット,イヌイット共通にいえるのは,分配には多面的な機能があるということ.経済的な食物分配だが,特定の社会的関係を元にした社会的機能(これが特に重要)があり,さらにコミュニティのアイデンティティにかかわる文化的機能,名声や評判にかかる政治的機能,文化的な満足や貸し借りを感じるなどの心理的機能がある.
  • 最近では,現金経済の比重が増し,分配の頻度や範囲は減少しているが,なお多面的な機能を果たしている.
  • 人間は他の人をケアする生物であり,分け与える能力が重要ではないかと感じる.

 
なかなか具体的な話が多く,スライドも臨場感満点で面白い講演だった.
 

口頭セッション4

 

戦後日本における犯罪加齢曲線の崩壊―衝動性の健全化か幼形化か? 高橋征仁

 

  • 長谷川・長谷川(2000)の論文で,戦後日本の犯罪年齢曲線の崩壊が指摘されている.そこではこれを説明するのに高学歴化の進展による将来の安定化期待の増大を背景とした「衝動性の健全化仮説」が提唱されている.
  • しかしよりこの崩壊を細かく見ると,若年男性のピークは1950年より1955年で上昇し,1962年以降急激に低下しており,高学歴化の進展と必ずしも一致していない.また犯罪率減少のスピードがとても速い.
  • 犯罪年齢曲線は強盗,強姦,傷害などでほぼ同じ形でピーク崩壊している.暴行については60〜70年代で18〜19歳のところでより減少幅が大きくなっている.これは大学進学率の上昇で,受験前の事件化に手心が加えられた影響かもしれない.
  • 日本の殺人率の推移をみると,第二次世界大戦中は青年男性の減少もあり大きく低下し,戦後にまず戦前の水準に戻り50年代を通じて高止まりする.そして1962年ごろから大きく低下していく,この頃の若者は戦中低殺人率時代の人の子供世代に当たる.また社会的に産児制限や中絶が多くなる時代でもある.
  • そして70年代ごろから結婚は恋愛結婚が多くなり,女性の配偶選択はやさしい人が基本になる.
  • 以上のことから私は代替仮説として性淘汰による「衝動性の幼形化(家畜化)仮説」を提示したい.犯罪年齢曲線の崩壊は,戦争の影響,さらに衝動性の抑制に対して女性の配偶選好が強く働いた結果として解釈できるのではないだろうか.

 
戦争の影響の部分はよくわからなかった.恋愛結婚の増加により,女性がやさしい人を求め,男性側に衝動性の抑制が働いたというのは面白い視点だが,遺伝子淘汰には世代不足であり,何らかの条件付き戦略の発動(何らかのキューで衝動性が抑制される)か学習効果(ぐっと我慢して暴力に訴えない方がモテそう)ということになるのだろうか.なお質疑応答で眞理子先生から,コホート別に分析した2004年の論文の方が参考になるのではという指摘があった.
 

マッチングアプリにおける配偶者探索方略の検討 山田順子

 
マッチングアプリを模した形式で,配偶者選択における情報探索方略を調べたもの.男性の方略は一貫していたが,女性は相手男性によって方略を変える傾向があったというもの.
 

Parochial Cooperation in Nested Groups CHIANG, Yen-Sheng

 

  • 内集団びいきのリサーチには様々なモデルがあるが,これまでは内集団と外集団という2項対立で扱われることが大半だった.しかし実際には人が属する集団には階層制(家族,親族,職場,地方,国など)があリ,内集団にもいろいろなレベルがある.
  • そこで入れ子になった内集団階層を前提に,協力がどのように生まれるかを調べた.協力ゲームを行い,プレーヤーは自分がどのレベルのグループIDをシグナルするかをその都度選ぶ.
  • 数理モデルと実験を行った.シグナリングにより協力が生まれるが,弱い.よりローカルなシグナルの方が協力が生まれやすいという結果だった.

 
モデルの詳細はよくわからなかったが,いろいろな前提やパラメータに依存しそうな印象だった.
 

閉会挨拶 竹澤会長

 

  • まず大会運営にかかわった方々に感謝申し上げたい.
  • 私が会長になった時に会員数は300人ほどだったが,今日現在で380人となっている.年々増えていて喜ばしい.またLEBSヘの投稿も一時低迷したが,近時増えている.(昨日の懇親会で,メンバーが増えていることについて「新陳代謝」といってしまい,古参の人が消えているわけではないとおしかりを受けたが)新しい人新しい顔が増え,発表テーマも増え,学会として発展してきている.これも皆様のご努力のおかげだと思っている.
  • それでは,恒例の年末の締めを眞理子先生にお願いしたい.

 

年末の締め 長谷川眞理子

 

  • 夕べの懇親会では新陳代謝という言葉も出たが,まだ退出してませんから(会場笑い)
  • 今年も知らない顔にたくさん出合うことが出来た.実際に若い人が増えている.多くの学会で若い人が減っていると聞いているのでとても嬉しく思う.
  • 今回の発表は数理モデルが多かったという印象だった.このモデルでこういう現象を説明しよう,そして簡単なもの,難しいものがあり,どういうところがわかりやすいのか,そういう視点で説明があるといいと思う.
  • コロナの時には文化人類学などの参与観察が基本の社会学では,ネットアンケートのような調査が(やむを得ず)増加した.今回の(数理モデルの)発表はちょっとそれに似ている印象がある.しかし人間の生身を見ながら考えるのは重要だと思う.ネットによるリサーチは補完的に用いて,それをふくめてヒトについて考えていくのがよいと思う.おばあさんの感想かもしれませんが.
  • 運営してくださった皆様には感謝です.どうもありがとうございました.

 
以上で本年のHBESJは終了である.オンラインを設定していただいて本当にありがたかった.運営の方々には私からも御礼申し上げたい.どうもありがとうございました.