メルトはアンセム

ちまちまと大体読んだ。
ユリイカ 増刊号 総特集=初音ミク
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雑感としては非常に面白かった。相当の数の論者がそれぞれは結構短いけど、様々な視点から初音ミクを語っている。いつものユリイカとくらべ、一つ一つの文章が短めなのも読みやすいのでよいと思う。もっと論を展開させて欲しいと感じる論考をあったが、とっかかりとしては非常に参考になる。音楽制作論、音楽美学論、歌詞の分析、アイドル論、キャラ論、メディア論と、全体を通して各論者が「初音ミク」に関して様々な視点から論じるのも非常にこの流行の多面性を物語っていると思う。
それぞれの文章にはここでは立ち入らないが、個人的に「初音ミク」とは何であったかを簡単に書いときたい。ユリイカの中でも、初音ミクに対する評価は様々に異なっているが、私は一つの偉大な発明であり、革命的出来事だったと思っている。もちろん、vocaloidという技術は既に存在したし、初音ミクを取り巻く環境やメディアとしてニコニコ動画、同人音楽、ゲーム音楽、他の様々なオタクカルチャーが重要であったことも間違いない。しかし少なくともアマチュアで音楽をやってきた人間としてはこのようなとっかかりやすい声の楽器化は確実に音楽制作の民主化をもたらしたということは言いすぎではないと思う。他のvocaloidや音声加工技術はこれまであったにせよ、アマチュアで音楽を制作する人にとってこれほど扱いやすく、さらに受け入れやすいフォーマットはなかったであろう。
もちろん初音ミクの使われ方は、純粋に音楽的なもの以外の様々なフェイズがあると思う。ネタ的な動画やキャラ絵の生産など、音楽とは本質的に関係ないと思われる消費のされ方も多くある。ミクを否定的に語る論者も肯定的に語る論者も、そのようなキャラ、ネタ消費に対する言及において自らの論を進めていることはユリイカを読んでもよく分かる。私としては、ネタ/キャラ的な使い方は限界があると思うし、現代の文化におけるキャラ優先の美学はおそらく一つの退廃だとさえ思っている。
しかしそれでも、アマチュア音楽家は常にリスナーを求めている。彼らが自らの音楽的創造の発露を公開するために、ミクというキャラにたよることは別に責められることではない。常にそのようなとっかかりは音楽文化においては重要であったから。最終的には面白ければ何でも良いし、音楽としてすばらしいのならば何でも良い。
そういった意味でも、ミク、ニコニコ動画、コミケといったメディアを通じて発生している同人音楽に対して、私はとても期待している。アマチュア音楽を何年かやってきた自分にとって、これほど自らの音楽を流通させやすい世の中は過去に一度もなかっただろう。現状として同人音楽はまだまだネタ/キャラ的創作と受容がほとんどだろうが、ここから偉大な才能が生まれてくることは時代が証明してくれるだろう。
ユリイカの座談会の中で東浩紀が同人音楽のムーブメントに対して「同人音楽は巨大な焼畑農業」ではという挑発的な発言を行っている。確かに私もDENPAというイベントの映像を見る限り、そのような感想を持ってしまうことは否定しない。ニコニコ動画の音楽にあわせて様々なフリや掛け声で騒ぐ若者は、楽しいそうに見える一方、ある種の切なさがにじみ出ていることは間違いない。しかしながら、そのようなフロアにある狂喜と刹那さは何も同人音楽に限ったことではないだろう。既に伝説となった80年代末のレイブなどのクラブカルチャーにもそのような狂喜と刹那さは常にあっただろう。流行とは確かに焼畑なんだ。でも焼畑がすばらしい作物を作ることは誰も否定できない(もちろん環境問題はあるだろうが)。それに新たな耕地はvocaloidオリジナル曲を作るアマチュア、ZUN氏などの同人ゲームクリエイター、偉大な日本のアニメ、ゲームクリエイターたちによって開墾されているのだ。
同じネタに対してその差異を争うという意味ではクラシック音楽だって同じである。何らかの同一性が担保されている文化だからこそ、その美的な差異を競いあえるというものだ。同人音楽の現状が、単なるネタの繰り返しであるかもしれない。しかしどこかで飽きるだろうし、彼らのうちの何人かはフロアの寂しさを糧として新たな作品を生み出すだろう。
さらに、オタクとクラブカルチャーの連帯については、現状様々な議論がなされている。その発端となったのはユリイカの座談会にも参加しているDJテクノウチのこのエントリ(http://www.technorch.com/2008/12/133---denpa.html)である。未だ発展途上の文化に対して言及することは難しいが、個人的に2008年は結構重要な年であったのかもしれない。メジャーなところではPerfumeのブレイクがあり、それがもたらした功績は大きいだろう。逆にオタク文化の悲劇として秋葉原の事件もある。格差社会などの社会問題もある。そういった現代の日本の社会、文化においてオタクカルチャーが果たすべき役割というのはきっとあるのだろうと夢想している。自分が大学学部生であったときは実現できなかった、若者世代の連帯の可能性も感じている。日本においては未だ若者が文化を紐帯にして大規模な運動を起こしたことはなかったように思う。しかしながら、昨今のオタクカルチャーは空想としての統一体を夢想させるには十分なものである。もしかしてこれはサマー・オブ・ラブなのではと、勝手に考えているのだ。グローバルにみてサードなのか、ドメスティックにファーストなのかはともかくとして。そしてその行く先が幸福なのか不幸なのかは未だわからないとしても。
メルトはアンセム。Perfumeはローゼス(笑)。