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昨日、しばらく連絡取っていなかった友人から電話が来た。
「おう。かずあき久しぶり。最近どうよ。」
「どうもこうもねえよ。頭皮が不自由。」
「禿げたか。」
「まだ禿げてねえよ!」
「そか。」
「で、お前は最近どうなんだ。」
「頭皮か?」
「ちげえよ!」
「んー。脂ぎってる?」
「だから、頭皮のことを聞いてるんじゃないって!」
「あ、いや。そうじゃなくって、全体的に、こうな。」
さっぱり意味が判らない上に、なんだか敗北感。
こいつと話すといつもそうだ。大変悔しい。
合格してた。
ソフ開の合格発表があったので確かめてみた。
受験番号 SW219 - 0390 の方は,合格です。
午前試験のスコアは,680 点です。
午後I試験のスコアは,720 点です。
午後II試験のスコアは,745 点です
午前の過去問一年分の勉強で受かるものか。良いのかそれで。
合否の基準は、
- 合格基準は,午前,午後I,午後II試験のいずれも600点です。
- 午前,午後I,午後II試験のすべてが合格基準を満たす場合,合格となります。
- 午前試験のスコアが600点以上でない方の午後I,午後II試験のスコアは表示されません。
- 午後I試験のスコアが600点以上でない方の午後II試験のスコアは表示されません。
- スコアの範囲は,最低200点〜最高800点です。
という事らしい。
こんなんで良いのか?
とはいえ、一応プロだし、もう30だし、受かっていいか。
しかし、自己採した時も思ったけど、本当に感触どおりの得点分布だな。
とりあえず、全て裏目だった見直しの状態でも受かって良かった。
次は何の資格を取ろうか?
悪いのは何処?
メディアリテラシーの事を考えていてちょうど良い記事だったので紹介&考察。(元記事は/.Jから。)
紹介記事はそんなに長い記事じゃないので、まず読んでみて欲しい
- パソコンに熱中するとキレやすい…脳科学者が指摘(YOMIURI ON-LINE)
まず最初に気になったのは、3段目。
森教授は、加害女児も好きだったチャット(ネット上のおしゃべり)を行っているときの前頭前野の脳波を、3人に対して調べた。最初の5―10分は脳の活動を示すβ波が増えたが、その後は出なくなった。携帯電話によるメールや漫画本、アニメでも同様だった。
どういうものであれ、ある程度それに馴染んだ段階から脳の活動というものは落ち着くと思う。それが、本にせよ、映画にせよ、他者に対するコミュニケーションにせよ、意識化であれ無意識化であれ、一番頭を使うのは一番最初だろうと思う。常にファーストインパクトの緊張感を強いられるようなものを、人は「理解できないもの」と呼ぶのではないのだろうか。
其処までのものではなくとも、人というのは、自分ではない対象の状況把握に一番頭を働かせるものではないのだろうか。
会話のコミュニケーションパターンだってそうだ。
「最近、どう?」から始まって、お互いの現状把握があり、その後いつもの会話になったりするのではないだろうか。
そういうことを考えると、比較対象がないこの段の情報は意味がない。占いでよくある「誰でも当てはまる」手法と変わらない。
次の段。
ネットとはいえ、文章を作るために脳は活動していると考えがちだが、森教授は「チャットや携帯メールは文章を練らず、惰性でやっている」と指摘する。前頭前野が弱くなると、自己抑制が出来ず、動物的、本能的に行動するという。
まず、ネットというものに手を伸ばしたとき、誰しもがそれなりの苦労をしたと思う。勝手がわからない事だらけだし、用語だってわからない。そういう意味で、ネットを知らない人とか携帯を使わない人の方が、まず前頭前野とやらを使っていないのではないかと思う。その辺りは実際はどうかという検証をするべきではないか。
また、チャットや携帯メールというものは、大抵暫くは文字として残るものだと思う。むしろ、後で冷静になって考える事が出来るツールではないのだろうか。そもそも、会話の方がよっぽど練っていないと思うのだが。後にも残らないから、言質を取られ難いし。
そのため、この段はあまりに考慮が足りないように思える。
前提条件を省かれて過ぎているため、前頭前野をどのように使っている人間が大丈夫で、どのように使っていない人間がダメなのかなど判らない。
これでは、『「吉本新喜劇で笑う人間は惰性で笑っている。」と指摘する。前頭前野が弱くなると、自己抑制が出来ず、動物的、本能的に行動するという。』とか書かれても通る話ではないのではないのか。吉本新喜劇に限らず、井戸端会議だろうが、SEの愚痴だろうが、政治家の年金問題でもなんでもいいわけだ。いつものパターンで脊髄反射できるものなら。
さらに、
運動をあまりせず、パソコンを長時間使っている状態を問題視するのは東邦大医学部の有田秀穂教授だ。有田教授は、脳幹から脳の各所に情報を送る「セロトニン神経」に注目する。この神経は脳を覚せいするほか、快・不快体験に対し過剰に反応しない平常心を生み出す。セロトニン神経の活性化には、規則正しい生活のほか、歩行や呼吸などのリズム性運動が大切という。加害女児について有田教授は「クラブをやめて運動も十分にできない、友人ともうまくいかないというストレスがセロトニン神経を弱めた可能性も否定できない」とみる。
これは、どう考えればよいのだろう。
俺は、おそらく世の中で一番PCを長時間使っている人種であるだろうIT業界の人だ。だからといって切れやすい人間が、他の業界と比べて多いとは思わない。
逆に、IT業界でもない会社でSEとして勤めていたときに、切れやすい人間を多く見た気がする。
そもそも、セロトニンは、
という物質らしいのだが、これは、キレやすいというより、自分の内側に向くものなのではないのだろうか。素人判断なので専門家の意見を詳しく聞いてみたいが。
脳内の神経伝達物質のひとつで、必須アミノ酸であるトリプトファンの代謝過程で生成されるもの。ほかの神経伝達物質であるドーパミン(喜び、快楽)、ノルアドレナリン(恐れ、驚き)などの情報をコントロールし、精神を安定させる作用がある。セロトニンが不足すると感情にブレーキがかかりにくくなるため、快楽から抜け出せずに依存症に陥ったり、うつ病になりやすいなどといった指摘もある。
それにしても、こういう情報の出されかただと、ミスリーディングを招く話の運びとしか思えない。
私見だが、仕事中、貧乏ゆすりしたり、うろうろしたりしている人間の方が、キレやすい気がする。そういう「リズム的運動」をしている人のほうが、圧倒的にキレやすいようだし、PCの前に長時間座っていられないだろう。
そもそも、俺は、佐世保の件は、キレるとかではなく、冷静に犯行に及んだのではないかと思っている。そうではないと、別室に呼び出したり、カーテンを閉めたり、目隠ししたりとかしないように思う。
ただ単に、いじめてはいけない人間をいじめてしまった故におこった事件なのではないかと。
キレて鋏を振り回したりコンパスで差したりするガキと、先生にちくったり親に頼んだりするようなガキ。そういうところの中間層でピンポイントで一番ヤバい奴。そんなかんじではないのかなと。
そもそも、少年犯罪データベースなんかでは明らかなように、ガキの「凶悪犯罪」なんて全然珍しくないわけで。
最後に、
一方で、こうした見方を検証する基礎データすらないのが現状だ。そこで文部科学省では、テレビの視聴時間などのライフスタイルと脳の働きとの関係などを調べる「脳科学と教育」プロジェクトを始めている。零歳児と5歳児1万人に対し継続的に生活状況をアンケートするほか、行動や発達を観察する
とあるが、これは佐世保の事件に関連した話なのか?
穿った見方をすると、たまたまそういうプロジェクトがあって記事の批判回避のために使っているのか、関連しているのかがわからない。
そもそも最初から「検証する基礎データがすらない」のならば、こういうトピックの取り上げ方をするなと。
文部科学省の調査の話と、学者の佐世保の件のコメントを分けて報道するべきではないのか。
報道側だとか報道側が思っている世間だとかが望む結論じゃなくて、バイアスの少ない真実だけをくれよと、マスコミには思ってしまう。それがあれば、後は自分で考えるから。
世の中が悪くなっていっているのではなくて、伝える側の質が悪くなっているだけじゃないのかと、つくづく思う。