「追い出せデモ」から考える、「ポスト社会運動」の影響力について

id:macskaさんが、昨日埼玉県蕨市で行われた「カルデロン一家追い出せデモ」について触れていたので(参照)、僕も少し触れておきたい。バタバタしていて、まとまったエントリ書く時間があまりなかったんだけど、本件については気になったので、多くの記事やブログの動向だけはずっと追っていた。特に有意義な試みを共有するため、僕も改めてe-politics のサイトを紹介しておこう*1。



このデモの当日には、どうやら100人近い支持者が集まり、カルデロン一家の住居の近隣を「犯罪者一家をたたき出せ!」と声をあげながら歩いていた模様。その一部はネット中継されていたので、僕も中継を見ていたのだけれど(一部というのは、電波が悪かったのか、途中で中継が止まってしまったことと、その中継カメラのポジションからは、全体像が非常に分かりにくかったため。なので、ほとんどの人は編集された動画経由でしか見れなかったと思う。余談だけど、中継が途切れるたびに、「過激左翼のジャミング妨害じゃね?」的なネタが頻出していた)、中継サイトには700人前後の人が集まっていて、チャットログがものすごい速さで流れてた。



ちなみに在特会の会員は、運営サイトによれば現在5184人。で、アップロードされた動画を見る人数や、こうした団体が設定した議題について掲示板などで語り合う人の数は、時に数万人に及ぶ。その人数は、コアメンバー、支持メンバー、ROMメンバー、瞬間的なカスケードによる集合といった具合に膨らんでいくのだけれど、その分、コミットの度合いは薄まっていく。さて、この数をどう評価すればいいだろう。


僕の印象は、この数字は特定のトピックスに対する見え方を、大きく変容させるのには十分な数だろう、というもの。国政の議席数自体には影響がなかったとしても、たとえば地方自治体へのパブリックコメント、特定の対象への印象的なプレッシャー、企業やメディアへの「凸行動」、2ちゃんねるやニコニコ動画といった特定の言説空間におけるトレンド形成といったものには、一定の影響を持ちえる。特に今回のデモでも明らかなように、それに対抗する勢力がほとんど脆弱な時にはなおさら。地方のパブコメなんて数百の範囲で推移するものだし、特定対象への圧力やヘイトスピーチとして繰り出される場合、その意図が十分に果たされるであろうことは、この動画からも伺い知ることができる。


個人的には、今回のケースでも、バッシングのために多くの「流言」が登場していることが気になってはいた。そして、そうして作り上げられた「批判の語彙」*2を、「中和の技術」*3として利用し、「相手が悪いのだから、自分たちの行動は正当なもの。決してレイシズムではない」と言いながら先鋭化していく様を、苦々しく観察していた。そんな中、ウェブ上の集合行動が、ひとつの環境として、ヘイトスピーチを許容する言説空間として機能することで、ある先鋭化を許容してしまうのではないという懸念も抱いている。


こうしたネット上の「祭り」に対しては、「ネタなのだから」と説明する人もいる。確かに、ネット上の書き込みの多くは、必ずしも「本気の排外主義」や「保守的思想」に支えられているものばかりではないし、多くのカスケードを、旧来的な「愛国」のロジックで観察することはできない。しかし一方で、それぞれはまったく違った行為素によってもたらされていたとしても、結果として出力された類似の行為(書き込みやコピペ)を集積することでカスケード現象を生じさせ、ある勢力への勢いへと変換されていることは、実際にいくつもの事例から観察されてきた(「ジェンダーフリー騒動」「waiwai騒動」「国籍法騒動」などなど)。


こうした動きを僕は、先日のシカゴで行われたアジア学会発表では「ポスト社会運動」という言葉を使って説明した*4。課題や属性を共有した人々による運動というだけでなく、ゲーム的なノリや、瞬間的な「行為」の連続を、一つの「行為体」として集合化していく手法が特徴的であり、これまで「新しい社会運動」と言われていたものとは一線を画すものだと考えているからだ。もちろん、本人がネタと思っていることや、あるいはネット空間やこうした文化圏が「政治的無関連化」しているように見えることは、その政治的な影響力の中立性を意味しない。むしろ、そうした不安定な言説の集合が何に着陸するのか、常に注視が必要となると考えている。


こうした動きが、「メインストリームだと目された左派言説への反発」によって先鋭化している現状では、それを改めて「中和」することは非常に難しいのかもしれない。それでも、違和感を共有するために、こうした情報を「まとめ」ておくことは重要だと思ったので、ひとまずエントリ化してみた。

*1:中の人には、一度じっくりインタビューしてみたいんだけど、ムリだろうか。

*2:『ウェブ炎上』にも書いたように、これはミルズの「動機の語彙」という言葉を借りて僕が作った造語で、ある衝動に対してたまたま与えられた「批判するための語彙」のこと。こうしたロジックを誰かが提供することで、論旨のカスケードが生じることもしばしば。

*3:非行少年が、自らの非行的行動を「正当化」するために使う技術に、「責任の否定」「危害の否定」「被害者の否定」「非難者への非難」「高度の忠誠への訴え」といったような一定のパターンがあること。転じて、いじめ研究においても、いじめっ子が自らの加害行動を「正当化」するために、同様の技術を用いて「中和」しがちであると指摘しされている。

*4:この辺りの詳細は、6月に講談社新書から出る本で分析してみた。また、他の本でも運動論として掘り下げて準備中。もちろん、アジア学会に関する報告エントリも近々書きますー。