わたしちゃんと方言とステレオタイプなどにまつわる事例と雑感

後で書くとか取り上げるとかTBするとか言いながら積み残していることが多々あるのだが、とりあえず今日は何も言ってないけどこの話
「「翻訳された女」は、なぜ、「〜だわ、〜のよ」語尾で喋っているのか。」
に付けたブックマークコメントの詳細な追記と
dlitさんのエントリ「翻訳とキャラクターと言葉と役割語」にちょっと関係ありそうな事例の紹介を。
(タイトルがやたら長くなってしまったのは偶然です。決して真似したのではありません。)



小学校低学年の甥が冗談でたまに「ぼくちゃん」と自称する。3歳の姪が真似するので、甥が「女の子なのにぼくちゃんはおかしい」というと姪は「わたしちゃん」と言うようになった。それはおかしい、と甥はいうのだが、なぜぼくちゃんはよくてわたしちゃんはいけないのかという説明はできないようである。

「女の子なのに」云々は甥が学校で勝手に覚えてきたジェンダー規範で親が仕込んだ訳ではない。以前にブクマコメントにも書いたことだが彼は最近一人称を「俺」に変え、妹を「こいつ」と呼んでみたりせっせと男社会に適応すべく研鑽を積んでいる。総じてガラが悪い方が格好いいというアホな価値観に染まっているようだが甥なりのサバイバル戦略でもあるのだろう。子どもが語彙を周囲の価値観ごと取り込んでいくスピードは早い。後にまたもっと格好いいものが現れたらさっさと乗り換えていくのだろうが本人が自身の価値観を省みられるようになるにはもう少し時間がかかりそうである。

閑話休題。北海道新聞(以下道新)の夕刊に「はいはい道新」という囲み記事がある。道新に寄せられた読者の声、役所や企業、イベントなどへの苦情、あるいは賞賛や提言などをいくつか紹介するもので、今はどうか知らないがおよそ10年前ぐらいまでの私が読者であった頃、それは「電話で寄せられた口調」で書かれていた。当時、社説よりも何よりも先にこの欄で何か言われていないかチェックしている役所の人を私はたくさん知っていた。道民の声として広く親しまれ結構な影響力を持っている欄だったし恐らくいまもそうだろうと思う。

さて、私はこの欄の電話口に何度か電話したことがある。たとえば絵画展に入るのにアンケートと称して血液型を聞かれたのだがなんで絵画展に入るのに血液型を知られなきゃならんのだ、とかそんなことだが紙面に載るとこういう感じになった。

「ピカソ展に行ったらアンケートで血液型を聞かれました。なぜ絵画展で血液型を聞かれるのかしら。客層を見るのだとしても関係のない個人情報まで収集されて不愉快になったわ。」

そこで私は再度電話する羽目になる。「『はいはい道新』に載せてもらったんですが、私は絶対にああいう言葉遣いしないんですけどどうしてああなっちゃうんですか」というのはボツになって再び紙面に載ることはなかった。

10年ほど前の記憶をいささか脚色しているので事実そのままではないが、概略このとおりのことがあった。新聞社に電話してるんだから大方の人はですます調でしゃべっていると思うのだが、臨場感を出すためか口語なのはよいとして、私は長年暮らした北海道でこういうしゃべり方をする人に会ったことは一度もない。札幌あたりには「北海道は標準語ださー」などという自称標準語話者もたくさんいたが、そして勿論、東京あたりからの転勤族もいるので東京方言の話者などもいたと思うが、「聞かれるのかしら」だの「不愉快になったわ」などは北海道で口語としては(転勤族の)家族間でもなければまず聞かれない類のものであり、なのに「はいはい道新」には頻繁に登場する決まり文句なのだった。

結局口語のニュアンスを大事にする形式をとりながら、実際にやっていることは地方の方言の豊かなニュアンスをきれいさっぱり削ぎ落として無味無臭にした上で、元の口語にはないステレオタイプの「女言葉」を付け加える二段構えの印象操作ではないか、と私は同社の記者と話す機会があるたびに蒸し返したのだが、結局北海道を去って読者でなくなるまでに「はいはい道新」の文体が変わることはなかった。それから10年あまり、どうなったのかは知らない。

まだ言語学に触れていなかったころの話で当然学術的なことも何もわからないままだが、自分の言葉にありえないニュアンスが付加されてあたかも自分がしゃべったかのように(名前は出ないが)流布されるのは極めて不愉快だった。

このケースは「実際にしゃべった言葉」「方言」(ちなみに細かいことをいうと私は北海道弁のネイティブではないので電話の際には使っていないと思うが)「ジェンダー」「ステレオタイプ」「新聞」などが絡む場合で「フィクション」「外国語」「翻訳」「媒体」などの要素によってはまたいろいろと話が違ってくると思うが10年以上昔の怒りがまだ収まっていないのでこの機会に噴出させておく。

実は金水先生の本をまだ読んでいないとかは口が裂けても言えないしこれ以上無知と不勉強が露呈すると困るのでとりあえずの事例報告まで。