シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

特定ジャンル内でのヒットが外部に伝わりにくい理由

 
 細分化された集団で大ヒットしたものが外部に伝わらないのは何故か? - Togetterまとめ
 
 リンク先では、「細分化された集団(特定世代・特定趣味のような)でヒットしたコンテンツがなぜその外側に伝わらないのか」が議論されている。その前提として、「メディアの個人化によって流行や個人の選択が細かく分けられてしまったから」、とも書かれている。
 
 しかしそこから逆に考えてみれば、そうやってメディアによって流行や個人選択が細分化され、“蛸壺”がたくさんできあがってしまった以上、その細分化の枠を越えて大ヒットすることのほうが、むしろおかしいのではないだろうか。「おかしい」というと語弊があるなら、「珍しい」とでも言えば良いだろうか。そして細分化された集団を超えて大ヒットが起こる際には、必ず、その「おかしな」「珍しい」現象が起こるだけの理由があるのではないか。
 
 4Gamer.net ― 市場の拡大とは新しい視点からの顧客開拓――「激動の国内オンラインゲーム市場10年史」を掲載
 
 例えば2000年代前半にブレイクしたオンラインゲームの『ラグナロクオンライン』。オンラインゲームの世界では、当時『ウルティマオンライン』や『ディアブロ2』のような有名な海外ゲームが先行していて、ファンから支持されていた。けれどもそれらは、海外オンラインゲームファンという、ゲーム界隈のなかでもさらに細分化されたジャンル内でヒットしていたのであって、その小集団の枠を超えるには至っていなかった。リンク先には、以下のように書いてある。
 

ラグナロクオンラインの盛り上がりで特徴的だったのは,それまでのプレイヤー(海外ゲームのファン)ではない層,すなわちコンソールゲームやアニメ,漫画を好むコミュニティを中心に火が付いたという点である。
 
 オンラインゲームに興味はあったが海外ゲームには食指が動かなかった層,そもそもMMORPGというジャンルを知らなかった層などが,ラグナロクオンラインの登場によって掘り起こされた。本作は,既存の狭い市場に対してアプローチするのではなく,“まだオンラインゲームを遊んだことがない”より広い層へとアプローチすることで,結果的に大きな成功を収めたタイトルだったわけだ。

http://www.4gamer.net/games/005/G000570/20110630067/

 
 そういえば、最初期の『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』にしたところで、海外のロールプレイングゲーム好きの間では支持されていた*1『ウィザードリィ』や『ダンジョンズ&ドラゴンズ』のエッセンスを、“まだロールプレイングゲームを遊んだことがない”より広い層へと提供することで大ヒットしていた。たぶん同じ事が『新世紀エヴァンゲリオン』や『twitter』のようなコンテンツにも当てはまるのだろう。
 
 

「蛸壺のなかのヒット作」は、しばしば「蛸壺内のアドバンテージ」に依存している

 
 それと、細分化した集団内でのヒット作が、実は蛸壺のなかでしか通用しないアドバンテージに支えられていることがある。「蛸壺のなかだけでやたらウケの良いヒット作」は、そうした、蛸壺の外では通用しないアドバンテージのおかげで成立していることが多い。幾つか挙げてみる。
 
 【1.蛸壺内部でしか通じないショートカットキーに頼っている】
 
 世の中には、その界隈でしか通用しないけれども情報量やニュアンスの豊かなボキャブラリーがたくさん存在している。一例を挙げるなら、「セカイ系」というボキャブラリーは、その語彙を見慣れている人にとっては、一言だけで一度にたくさんの意味やシチュエーションを想起できるショートカットキーとして機能する。だから「セカイ系」というローカルなボキャブラリーは、蛸壺の内部ではとても重宝する。けれどもその語彙のローカル性ゆえに、知らない人にはまったく意味が分からない。
 
 蛸壺の内側で大絶賛される作品のなかには、このような情報量は高いけれども蛸壺内部でしか流通していないローカルなボキャブラリーや言い回しを用いることで、作品密度を高めているものがある。ライトノベル系の作品のなかには、全編これショートカットというような、ほとんど蛸壺内部の独自言語で埋め尽くされた、やけに情報密度の高い作品も存在する。こうした作品は、いくら蛸壺のなかでウケが良かろうとも、蛸壺の外の人間には解読が難しいため伝播しにくい。
 
 
 【2.蛸壺内部でしか許してもらえないような特徴・クセを持っている】
 
 同じく、蛸壺内部でなら許してもらえるけれども、余所ではNGになってしまうような特徴・クセを持っている作品も、蛸壺の外で評価されにくい。
 
 例えば異様に目の大きな萌え美少女ばかり出てくる作品は、いくらストーリー的に素晴らしい作品でも、その異様に大きな目を気持ち悪いと思わないような人しか手にとってくれない。また、深夜番組でなら許容されるきわどい表現に頼り切ったヒット番組も、きわどい表現が使えない時間帯に進出してくるのは難しい。
 
 こうした特徴・クセは、えてしてその作品の短所であるとともに、長所や味わいである場合も多く、強引に洗い流してしまおうとすれば、あたかも臭みを除去したブルーチーズのような、毒にも薬にもならないシロモノに成り下がってしまう。
 
 
 【3.蛸壺内部の集団ナルシシズムを利用している】
 
 近年は、「コンテンツが売れる」内実が、そのコンテンツが具体的に役立つという実際的な機能以上に、心理的な機能のほうが重要である場合が少なくない。「他人より格好の良いコンテンツを手にしていたい」といった個人的にナルシシズムを充たすことが主要な機能となっているガジェットの類などが、それにあたる。
 
 こうしたナルシシズムの充足が、ときに、蛸壺内で集団的に起こることがある。つまり、「センスの良い俺達」「最先端の俺達」という感覚を、蛸壺内で集団共有するような形式だ*2。例えば「この商品を買う人間はセンスが良い」「この商品を買う俺達は頭の良い俺達」といった感覚が、蛸壺のなかのアーティストとファン/コンテンツの送り手と消費者の間でいったん成立してしまうと、商品自体の機能が多少おざなりになろうとも、蛸壺の内部では盛り上がり続けることになる。
 
 「カルト的人気」という慣用句があるけれど、実際、アーティストとファン/コンテンツの送り手と消費者 との間に、カルト宗教の教祖と信者にかなり似通った一体感のシステムが成立しているケースは、意外と多い。このようなシステムが出来上がった後の蛸壺内ヒットは、このシステムに依存したヒットである可能性が高く、よそに持っていっても評価されない可能性が高い。
 
 
 【4.「俺達だけが本物。余所の連中は偽物」】
 
 3.がさらに一歩進むと、「俺達以外はまがいもの」「俺達以外はナンセンス」という排他性を帯びるようになり、他の蛸壺に対して敵対的・侮蔑的な態度を取りはじめる。他の蛸壺――つまり他のジャンルやクラスタ――を貶めることで自分達のナルシシズムを充たすという心理的機能をコンテンツが帯びれば帯びるほど、その蛸壺内部ではウケが良くなるかもしれない一方で、そのコンテンツはますます蛸壺内部でしかウケないものとなってしまう。
 
 そこまではっきりと敵対的にならなくても、細分化したジャンルごとに「自分達が一番」を強調するような状況下では、おのずと「他の連中は二番以下」という意識が生まれてしまうわけで、この4.のニュアンスの混入は多かれ少なかれ不可避で、これがために、ジャンルの枠を越えたヒットの足を引っ張りやすくなる。
 
 
 以上、1.2.3.4.を紹介してみたが、探せば他にもあるかもしれない。蛸壺の内側でしか通用しないローカルなアドバンテージに頼りすぎたコンテンツは、それに依存したヒットであるがために、蛸壺の外でヒットするのが難しくなってしまう。特に3.4.のような心理的機能とシチュエーションは、今日日のコンテンツ流通全体に薄く広く認められるため、ひとつのジャンルでウケた作品が、ジャンルの枠を越えて伝播するにあたり、無視できない障壁になっていると思われる。これは、現代のコンテンツ流通/消費がナルシシズムという心理的ニーズに深く依存してしまっている以上、回避のむずかしい副作用ではないかと思われる。
 

*1:が、知っている人しか知らなかった

*2:自己愛は、実は個人単位ではなく集団単位の一体感を通しても充たされる、という事実はしばしば見逃されている。