雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

欧米の大企業よりはイノベータのジレンマに強かった日本だが

日本には様々な規制があって新規事業を阻害しているといわれる。曰く、解雇規制があるから人材が流動化しない。曰く、著作権法にフェアユースがないからGoogleやYoutubeが生まれない。曰く、法律が縦割りだから通信と放送の融合が進まない。だから規制緩和が必要なのだ。確かにそうかも知れないが反証もある。
ニコニコ動画はオーバーレイでコメントを流しており同一性保持権を侵害している点でYoutubeよりも法的リスクが大きそうだが今のところ繁盛している。電機メーカーの音楽プレーヤへの参入は韓国のMPManと比べて出遅れたが、著作権法の規制緩和を待たず各社とも追随した。
MPMan登場前夜の1997年ごろ、IMFショックに揺れる韓国メーカーより日本メーカーの方がずっと技術力が高かった。当時MP3は好事家がひっそり楽しむような如何わしい技術で、CDのリッピングにも音声ファイルの圧縮にも得体の知れないフリーソフトが必要があった。海賊版ソフトと同じような扱いだったのだ。
NTTはMPEG-4での国際標準化へ向けてMPEG-1 Layer 3 Audio (MP3)よりもずっと圧縮率と音質のいい技術(Twin VQ)で音楽配信ビジネスに乗り出そうとしていたが、レコード会社の協力を得られずデモに留まっていた。そうこうしている間に韓国発のMP3プレーヤが話題となり、国内メーカーもなし崩し的に追随したがパッとしないまま、後発のAppleに抜き去られた。
電子出版だって日本が早かった。少なくとも2008年まで日本が世界最大の電子出版大国だったし、2009年に米国から追い抜かれたか否かは微妙な情勢だ。Kindleが話題となっているが電子ペーパーを使った電子ブックプレーヤーだってSONYのLibrieやパナソニックのシグマブックが先行していた。遡ればNECが早くも1993年に液晶ベースの電子ブックプレーヤを発売している。
LibrieがKindleに追い抜かれたのは技術力の差ではない。SONYが権利保護にこだわってMP3プレーヤーに出遅れたことに対して、グループにレコード会社を抱えていることによる利益相反を指摘されたが筋違いではないか。電子書籍でも同じようにコンテンツの壁に阻まれたのだから。少なくとも2004年当時、出版社は売り切りで紙よりも安い価格でコンテンツを提供する気はなかったし、キャリアはメーカーに対してモバイル・データ通信を廉価で貸し出す構想を持っていなかった。SONYは欧米で電子書籍リーダー事業を続けてKindleに続く2位につけている。
総じて日本の大企業は米国の大企業と比べてイノベータのジレンマに強い。例えばNECも富士通もIBMやDECよりずっと早くパソコン市場に参入した。NTTドコモはAT&TやBTよりも早くモバイル・インターネットを開拓した。SONYやPanasonicはAmazonやB&Nよりも早く電子ペーパーを使った電子書籍リーダーを出し、日本の出版社は欧米よりも早くケータイ向け電子書籍で数百億円も売り上げている。政治・経済の中心が全て東京に集中して情報や意思疎通が早い上、長期雇用と年功賃金を前提としているために、短期的な成果よりも企業の中長期的な発展のための布石に対する経営陣や中堅層の理解が得やすかったのだろうか。
日本の大企業では長期の繰り返しゲームを前提としているために、いずれ既存の事業に打撃を与える可能性がある上に、短期的な投資回収の不透明な案件に対しては割と積極的に投資できた反面、社内外での利害衝突や紛争リスクに対しては過度に敏感だったのではないか。MP3プレーヤーの例ひとつみても分かるように、法律が禁じていることに対してだけでなく、法律の想定していない新技術に対して先陣を切ることには消極的で、米国どころか韓国のベンチャー企業にも後塵を拝した。それどころか明らかに合法的なサービスや製品であっても、既存の大口取引先のビジネスモデルに影響する企画は闇に葬られた例もある。
だから機器レベルの破壊的な技術に対しては米国とよりは比較的うまく追随できた一方で、通信やコンテンツなど異業種が絡んで法的紛争の可能性が生じた途端に身動きが取れなくなったのではないか。問題の根は過剰規制よりは利害対立による紛争を避けようとする規範意識の問題であり、それは欧米並みに規制を緩和したところで解決し難い。そしてこの事勿れ主義は日本に限った話ではなく、欧米の大企業にも根強くある。違いはしがらみの小さなベンチャー企業にとって、リスクマネーだけでなく大口顧客や優秀な人材を獲得しやすいか否かにあったのではないか。
(「ゼロ年代のソフトウェアにみる垂直統合と最適化の構造要因」に続く)