木走日記

場末の時事評論

原子力安全委員長はただの馬鹿者であることが判明

 政府と東京電力で作る政府・東電統合対策室は21日、福島第一原子力発電所1号機で3月12日にいったん始めた原子炉への海水注入を、東電が自主的に中断していたことを明らかにしました。

 官邸にいた東電幹部から、経済産業省原子力安全・保安院などが原子炉への海水注入について安全性を検討するとの連絡を受けたためといいます。

 注入開始や中断の情報は当時、政府に伝わっておらず、連携の悪さが改めて示されたわけです。

 東電は午後3時36分に1号機の建屋が水素爆発した後、原子炉を冷やすため、発電所長の判断で午後7時4分、海水の試験注入を開始します。

 ところが当時、官邸にいた武黒一郎・東電フェローから午後7時前後、保安院などの検討について電話連絡を受け、東電は同25分、注入をいったん止めてしまいます。

 武黒フェローが電話連絡をしたのは、だれかの指示を受けたものではなく、自主的判断といいます。

 菅直人首相が午後6時からの20分間に、経済産業省原子力安全・保安院などに海水注入の安全性検討を指示していました。

 班目春樹・原子力安全委員長に核分裂が連鎖的に起きる再臨界が起こる可能性を尋ね、「可能性はある」と聞いたためといいます。

 保安院などが午後7時40分、検討の結果、問題ないことを首相に説明します。

 同55分の首相指示などを受け、東電は午後8時20分、海水注入を再開します。

 さらに同45分に再臨界を防ぐホウ酸も加えました。

 東電は当時、再臨界の可能性はないとみており、幹部の連絡がなかった場合、「そのまま注入を続けた」と説明していました。

 海水注入は、所長判断で行う決まりになっています。

 東電は最初の海水注入開始と停止について、保安院に口頭連絡したが、保安院側は「記録はない」と説明しています。

 細野豪志首相補佐官も会見で「総理もずっと後になってから知った」と話しています。

 海水注入は午後7時25分から約1時間中断したが、1号機は水素爆発した後で、東電が今月15日に公表した炉内の解析でも、すでに炉心溶融が起きた後になります。したがって、東電は中断による事故悪化の影響はなかった、と主張しています。

 ・・・

 実にレベルの低い言った言わないで国会が紛糾しております。

 一連の報道であの重要な局面で政府中枢においてろくに議事録すらおこしていないことがよく理解できますが、我が国中枢のこれが危機管理体制のレベルかと思うと情けない限りです。

 国会でこんな下世話な言った言わない議論で終始していてはダメでしょう、今現在、成すべき事のプライオリティはここじゃないでしょう。

 それにしてもこの不毛の議論の中で食言を繰り返し醜態を晒している愚か者がいることは国辱ものであります。

 海水注入を検討の際、班目春樹・原子力安全委員長に核分裂が連鎖的に起きる再臨界が起こる可能性を尋ねたところ、「可能性はある」と答えたとされたことに対し、班目委員長は「私は言っていない」と強く反論いたします。

 22日付け朝日新聞電子版から。

班目委員長「私は言っていない」 再臨界の危険性発言
2011年5月22日3時0分

 班目春樹・原子力安全委員長は21日夜、朝日新聞の取材に対し、政府・東電統合対策室の会見について「再臨界の危険性があるなどと私は言っていない。侮辱と思っている」と反論した。

 会見で配布された海水注入をめぐる事実関係の発表文には、「原子力安全委員長から、『再臨界の危険性がある』との意見が出された」などと記されていたが、班目委員長は「発表文は東電と官邸と保安院が作ったもの。原子力安全委員会として抗議する」と話した。

 会見には安全委事務局の加藤重治内閣府審議官も同席していたが、班目委員長の発言は否定していなかった。

http://www.asahi.com/politics/update/0522/TKY201105210693.html?ref=reca

 翌日になると、政府・東電統合対策室が21日の会見で配布した発表文が訂正、「再臨界の可能性はある」から「再臨界の可能性はゼロではない」となります。

 23日付け朝日新聞記事から。

班目氏発言は「再臨界、ゼロではない」 発表文を訂正
2011年5月23日0時22分

 班目(まだらめ)春樹・原子力安全委員長は22日夕、首相官邸を訪れ細野豪志首相補佐官や福山哲郎官房副長官らと会談し、3月12日の東京電力福島第一原発への海水注入を検討した際、班目氏が「再臨界の可能性はゼロではない」という趣旨の発言をしたことを確認した。

 政府・東電統合対策室が21日の会見で配布した発表文には、菅直人首相が海水注入の検討を指示した際、「(班目)原子力安全委員長から『再臨界の危険性がある』との意見が出された」と記された。班目氏は21日夜、朝日新聞の取材に「再臨界の危険性があるなどと私は言っていない」と反論。細野氏は22日朝の民放番組で班目氏の発言を確認する考えを示していた。

 班目氏と細野氏らの会談後、22日夜に東京電力本店で発表文の「訂正版」が配られ、「原子力安全委員長から『再臨界の危険性がある』との意見が出された」との記述は「総理から再臨界の可能性について問われた原子力安全委員長が可能性はゼロではないとの趣旨の回答をした」と訂正された。

http://www.asahi.com/politics/update/0522/TKY201105220399.html?ref=reca

 そして24日の国会答弁では、「(海水注入の際に菅直人首相らに)『再臨界の可能性はゼロではない』と言ったのは、事実上ゼロという意味だ」と答えます。

 24日付け朝日新聞記事から。

再臨界可能性「ゼロではない」は「事実上ゼロ」 班目氏
2011年5月24日13時28分

 東京電力福島第一原発1号機への海水注入が3月12日に一時中断された問題について、班目(まだらめ)春樹・原子力安全委員長は24日午前の衆院復興特別委員会で「(海水注入の際に菅直人首相らに)『再臨界の可能性はゼロではない』と言ったのは、事実上ゼロという意味だ」と述べた。自民党の吉野正芳氏の質問に答えた。

 政府・東電統合対策室が21日に配布した発表文は班目氏から首相らに「『再臨界の可能性がある』との意見が出された」と明記した。だが班目氏は発言を否定し、発表文は22日に「(班目氏が)可能性はゼロではないとの趣旨の回答をした」と訂正された。

http://www.asahi.com/politics/update/0524/TKY201105240232.html

 「可能性はゼロではない」は事実上「可能性はゼロ」のことだと、白を黒と語る詭弁でしかないでしょう。

 「可能性はゼロではない」は、科学的には可能性について何も語ってないこととほぼ同じなんです、0%だけが否定されているだけで、0.・・・・・・・・(・・・で表せる部分の何桁のどんな数字を入れてもよい)で表現できる全ての確率が含まれているわけです。

 あの重大な局面で科学の専門知識を有するアドバイザーが「可能性はゼロじゃない」などと表現するのは、科学的には何もアドバイスしていないのと同じです。

 一歩譲って当人の国会での主張のとおり、「可能性はゼロじゃない」は事実上「可能性はゼロ」の場合に当人が口にする口癖のようなものだったとしましょう。

 だとすればこの元東大教授のコミニュケーションスキル、科学的リテラシー能力は最低と申せましょう。

 受け手側の科学的知識のスキルに合わせて専門的知見を相手が理解可能なように配慮して情報発信しなければならないのは当然なのに、「可能性はゼロじゃない」=「事実上可能性はゼロ」などという等式(?)は、学者同士で通用していたオレサマ基準かもしれませんが、日本語としては破綻しているわけで、まして一国の運命を左右するかも知れない重大な局面で使用する言葉じゃないでしょう、一般人が誤解する可能性をなぜ考えなかったのか。

 原子炉に海水を注入するかどうか重大な検討をしているあの局面で、「可能性はゼロじゃない」では何もアドバイスにはなりません。

 素人である受け手が「ゼロじゃない」を「ある」と解釈したとしてまったく日本語レベルでは正しいのです。

 「可能性はゼロに近い」とか「可能性はあるがそれは極めて低い」とか、ほんの少しでも補足の説明があればこのような誤解は避けられたはずです。

 「可能性はゼロじゃない」は事実上「可能性はゼロ」の意味だなんて、こんな無責任な説明で納得する国民などいないでしょう。

 極めて残念なことですが、この国の原子力安全委員長は専門アドバイザーとしてはまったくの不適格者であることが判明されました。

 というか国会においてさえ意味不明の日本語を駆使し自己弁護を繰り返す、これはただの馬鹿者です。



(木走まさみず)