木走日記

場末の時事評論

とってもわかりやすい「弱いものいじめ」的な図式を提供してしまった「名もなく地位なく力もない私たち」

 ひさしぶりに個人的時間が取れたので、この週末はじっくり新聞記事を読み直ししてスクラップしたり、会社のPCの前でネットを巡回いたしておりました。

 で、トラックバックもいただいてましたが、例のカルデロン一家の件でこんなことがあったようですね。

(前略)

 そんななか、日本の法制度に則りアラン、サラ夫婦は4月13日夕刻に国外へ退去し、夜半にマニラへと到着したとのことを新聞記事で読みました。

 私、本件については法務省および森法相、そして「恩恵的な措置及び児童の最善の利益の観点から検討されること」を求めた東京高裁(07年9月27日判決/民事第10部 吉戒修一裁判長)は、なかなか頑張ったほうではないかと評価しています(特に国外退去後速やかな入国認可を仄めかした法相)。選挙近いしね。大事だよね。

 さてそのいっぽうで、ネットをグルグル回っていて「在日特権を許さない市民の会」なる団体が、カルデロン一家が帰国予定として発表していた13日の2日前、4月11日土曜日に蕨市内でデモ行進を実施したとのエントリを読むことに。

 すげー名前の市民団体があるもんだとちょこちょこ読んでみて、嘆かわしいやら悲しいやら。えらいことウヨクの評判が悪いでやんの。

(後略)

しあわせのかたち
[国家・政治・時事] カルデロン一家へのデモに嘆く より 
http://d.hatena.ne.jp/sho_ta/20090414/1239715505

 うーむ、自称ロマン派ネトウヨなsho_taさんによれば、「在日特権を許さない市民の会」なる団体が、4月11日土曜日に蕨市内でデモ行進を実施したそうでありまして、「デモ行進のコースですけども、カルデロン・ノリコが通っておりました蕨市立南小学校、そして現在通っております蕨市立第一中学校の横を掠めるコースを選定」(「在日特権を許さない市民の会」桜井代表談)って、国会でも霞ヶ関でも大メディアでもなくて、彼女の今後の生活圏でデモを実行したようであります。

 参考までに「在日特権を許さない市民の会」の公式サイトはこちら。

「在日特権を許さない市民の会」
http://www.zaitokukai.com/

 13歳の少女に対して、その子の生活圏において大の大人130人が、「言論の自由」の下、自治体・警察当局に「正当に許可」を得て、デモ行進をしてシュピレヒコール「この国から出てけ!!」と繰り返すとは、活動の筋が悪すぎて、もしかしてちょっとこの団体は右派保守の評判を貶めるために存在する、その裏の実態は愛国的「リベラル」団体なのではないか、そうかんぐってしまうような愚かな戦略ではあります。

 本件(この稚拙なデモに関してですが)では、法律論もイデオロギー論も展開する価値はあると思えません。

 そこでマネージメント論から愚考してみます。

 このデモのタイミングとコース取りは、デモ行為を自分達の主張を「宣伝する」広告活動ととらえるならば、見事なくらいの広告戦略ミスであります。

 企業なら間違いなく経営失敗であります。

 デモという攻撃的手段(私はデモ行為そのものは国民が有する貴重な権利と理解しております)を用いるならば、敵は強くできれば手強いほうが効果的です。

 一般の大衆に共鳴を得るための当然の戦略です。

 大衆はデモ行為を通じてそこに物語を構築します、そのアラスジがデモ行為者に対して、それはもっともだ、それは正論だ、と共鳴するものでなければならないからです。

 彼らは常日頃、本件では政策の緩い政府や報道が同情論に偏向しがちなマスメディアなどを批判してきました、ならば政府やマスメディアなど巨大権力に対してデモすべきでした。

 13歳の女の子の生活圏でしちゃ逆効果もいいとこです。

 筋が悪すぎるのです。

 彼らの支持者によれば、少女の支持団体は「極左暴力組織」であり、デモ現場を蕨市という地域にこだわるのもこの一家の滞在を全会一致で認めた市議会もその教育現場も「赤化」しているからとの理由付けも一部あるようですが、ここも一歩譲ってそれが正しいと仮定しても、読みが甘いなあ、生活圏で大騒ぎのデモしちゃ、一般市民は反発しちゃってそんな「大儀」はすべてすっ飛ぶんです。

 このような世論にたいする配慮の欠けらも無いデモ行進を策するとは、この集団の視野狭窄ぶりから、彼らのマネージメント能力に大きな疑問符が付くわけですが、繰り返しますが、一歩譲って彼らの主張が正しいと仮定しても国会や政府に対してあるいはマスメディア本社に対してデモをする、つまり巨大権力に抗するための手段にデモって使わなければ効果的ではないのですが、13歳の一市民の生活圏でデモを愚行してしまう、国民の目からとってもわかりやすい「弱いものいじめ」的な図式を提供してしまっていることを、「名もなく地位なく力もない私たち」(「在日特権を許さない市民の会」桜井代表談)と自分達を定義している彼らには計算できなかったのでしょう。

 ・・・

 プチリベラルなナショナリストを自称する木走としては、この国を愛する者の一人として御注進申し上げたい。

 国を憂えての行動はなんでもありなんかじゃないと思います。

 そこには、国民大衆に支持されうる、確たる戦略が必要です。

 ましてやデモというのは、現在においてはシュプレヒコールをする側の方が威圧的に見られるケースが大半なのであり、13歳の少女の生活圏でデモしちゃうってのは、方法論として最悪の選択であり、そこに国民は「正義」など理解を示してくれるわけ無いのであります。

 私から言わせれば、戦略が稚拙でお話になりません。

 本人(少女)にとっても、地域住民にとっても迷惑なだけです。

 健全な愛国心を持っている保守派にとってもです。

 これでは完全な利敵行為でありましょう。

 最後に、あんまりみっともないことに日の丸を使わないで下さい、とお願いしときます。



(木走まさみず)



<関連テキスト>
■[メディア]「一人の娘の存在が日本をいらつかせている」〜日本の閉鎖性を批判する米フォーブス記事
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20090311/1236740322