「人を育てる」という最低限の社会的責任を放棄した企業
最近は学校教育ばかりに目が行くが、社会教育とりわけ職業教育の分野で今の日本は目詰まり状態にある。製造現場や運輸事業などで相次ぐ事故。明らかに日本の現場力が落ちているという現実をもはや否定できない。
日本式経営というものは、中途半端に教育を受けている人材より純粋無垢な人材を企業カラーに染めることを重視したきた。大企業は製造業の現業員であれば工業高校で最低限の技術教育を受けていればいい、大卒社員でも大学で学んだ内容は余り重視せず、潜在的能力さえあればいいという考えが支配的であった。
しかし90年代以降、新入社員をじっくり育てる大企業が軒並み新卒採用を減らし、非正規雇用に切り替えたり、即戦力確保のための中途採用に踏み切るようになった。一方で新興企業は大企業のリストラにより即戦力の確保が比較的容易であり、企業内での基礎的職業教育のノウハウがなくてもそこそこうまく行っていたのである。
現在どういう問題が起きているかと言えば、誰も職業教育をやらなくなった日本という現実である。
企業は都合よく、学校に即戦力を輩出する教育をしろだとか、国に職業教育しろと言うのである。
企業が社会的責任を放棄して、それを国が代替する姿こそ、「大きな政府」が生まれる温床である。
人々はベンチャー企業と「小さな政府」の親和性の高さ、或いは企業は新自由主義を支持しているような錯覚を持っているが、「人を育てる」という最低限の社会的責任を放棄した企業の態度は明らかに矛盾している。